第十九話「追憶の欠片、交錯する想い」
丹波篠山に、春の嵐が吹き荒れていた。雨音と雷鳴が、バー『RETRIEVER』の静けさを破る。咲は、地下室のメインシステムを前に、無数のモニターを凝視していた。そこには、数日前に奪還したデータの解析結果が表示されている。
「結人、このデータは……」
咲は、思わず息を呑んだ。データの中には、数十年前に裏社会で極秘裏に進められていた、異能者に関する研究記録の断片が含まれていたのだ。そこには、彼女の「奪われた記憶」に繋がる、あるキーワードが記されていた。
「『プロジェクト・ノア』」
その言葉に、咲の心臓が激しく脈動する。
「『プロジェクト・ノア』……?」
詩音が、横からモニターを覗き込んだ。
「ええ。裏社会では、かつて『アーク(方舟)』とも呼ばれていました。優秀な異能者の遺伝子を人工的に操作し、完璧な『道具』を生み出そうとした、忌まわしい研究です」
如月結人が、重い口調で説明する。
「まさか、その研究に……」
咲の脳裏に、断片的な映像が蘇る。白い研究室、無数の機械、そして、誰かの優しい声。しかし、その映像はすぐにノイズに阻まれ、消えてしまう。
「このプロジェクトは、数十年前に失敗し、関係者やデータは全て闇に葬られたはずです。なぜ、今になってそのデータが……?」
結人の表情が険しくなる。
「そして、このデータには、ある『人物』の名前が繰り返し出てくる。ミダス・グループの創設者であり、史上最強の異能者と謳われた男……」
「……鳴瀬アキラ」
詩音が、静かにその名を口にした。
「私の……父の名前だ」
咲と結人は、言葉を失う。ミダス・グループは、詩音の父が創設した組織であり、彼女は、その「罪」を償うために『奪還屋』として生きることを選んだ。その父が、忌まわしい研究に関わっていた?
「しかし、父は、そのような研究を忌み嫌っていたはず……」
詩音は、歯を食いしばる。彼女は、幼い頃に父親から聞かされた「信念」を思い出していた。力は、人を守るために使うべきだと。
「このデータは、偽物だ……!」
詩音は、感情を露わに叫んだ。彼女にとって、父親の汚名は何よりも耐え難いことだった。
「詩音、落ち着け。これはあくまで、断片的なデータだ。まだ、何も分かっていない」
咲は、詩音の肩に手を置いた。しかし、詩音は、咲の手を振り払う。
「私には、父の記憶しかない。結人、このデータが、本当に正しいのか……!?」
詩音の目には、怒りにも似た悲しみが宿っていた。
結人は、黙ってうなずいた。
「このデータの暗号パターンは、ミダス・グループの創設期のものと酷似しています。そして、ミダス・グループのデータの中に、**『アキラの遺志を継ぐ者』**というキーワードが頻繁に現れている。彼らは、何かを『継承』しようとしている」
結人の言葉は、詩音の心をさらに深く抉った。
(父の遺志……? それが、こんな忌まわしい研究だとでも言うのか……?)
詩音は、自分の過去が、そして父の存在が、信じてきたものと全く違うのではないかという疑念に苛まれていた。
「詩音……」
咲は、詩音の苦しみに、何も言葉をかけることができなかった。彼女の「奪われた記憶」と、詩音の「信じてきた記憶」が、今、不気味な形で交錯し始めていた。
その時、地下室のメインシステムが、再び警告音を鳴らし始めた。
「まずい! 外部からのハッキング! しかも、これまでとは違う、強力なアクセスです!」
結人の声が緊迫感を帯びる。
「ナイトレイダーか!?」
咲がP90を構える。
「違います! これは……ミダス・グループの残党、あるいは、彼らの思想を引き継いだ新興勢力です!」
結人が叫んだ。
モニターに、不気味なメッセージが浮かび上がる。
『「アキラの遺志」は、あなたたちが持つ「光の心臓」の力によって、完全に成就する』
咲と詩音は、互いに顔を見合わせた。
「奴らの狙いは、光の心臓……そして、私たちの記憶……」
咲が呟く。
「父の……遺志……?」
詩音は、銃を握りしめた。彼女の瞳には、今、過去の亡霊と向き合う、新たな決意の光が宿っていた。
「咲……私に、もう一度、力を貸してくれ。父の汚名を晴らし、この『偽りの遺志』を、断ち切るために」
「ああ、もちろんだ。それが、俺たちの『奪還』だ」
咲は、詩音の言葉に力強く頷いた。
二人の『奪還屋』の前に、過去の因縁が、新たな敵となって立ちはだかる。そして、その核心には、伝説の財宝『光の心臓』と、彼女たちの「記憶」が深く関わっていることが明らかになった。