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第十七話「失われた旋律」

バー『RETRIEVER』に、一本の電話がかかってきた。発信元は、世界的に有名なピアニスト、エドワード・ブレア。彼の声は、憔悴しきっていた。


「私の……『音』が、奪われた」


エドワードはそう訴えた。彼は新作の作曲のため、丹波篠山にある別荘に籠っていたのだが、数日前から、彼の耳には一切の音が届かなくなってしまったという。それは単なる聴覚の喪失ではなかった。彼が奏でるピアノの音も、触れたものの音も、完全に世界から消え去ってしまったのだ。


電話を切った悠真が、神妙な面持ちで詩音と咲に説明する。


「今回の依頼は、ピアニストの音を取り戻すことだ。被害者は、丹波篠山にある別荘にいる、エドワード・ブレア」


詩音は黙ってレミントンM700の整備を始めた。その手つきは、いつものように冷静だ。


「音を奪う異能者か……。そんな奴がいるんだ」


咲が、少し不思議そうな顔でつぶやいた。


結人が、ホログラムで情報を提示する。


「犯人は、音を操作する異能者、『サイレンス』と呼ばれている人物だ。彼の異能は、特定の周波数の音を完全に消滅させる能力を持つ。エドワード・ブレアのように、音を扱う人間を狙って、その能力を奪っている」


「音を奪って、どうするつもりなんだろう?」


咲が問う。


「そこは不明だ。だが、被害者は皆、精神的な苦痛に苛まれている。彼らは、自らの存在意義を失ったかのように、深い絶望に囚われている」


結人の言葉に、詩音は黙ってレミントンM700を手に取った。


「非殺傷でいく。音を奪う異能者相手に、音を立てずに制圧する」


「音を立てずに……か」


咲は頷いた。


「今回の敵は、その異能の特性上、音を立てれば相手に察知される可能性が高い。咲と詩音、二人でいくぞ」


悠真がそう指示を出すと、二人は静かに頷いた。


新幹線と車を乗り継ぎ、丹波篠山に到着した詩音と咲は、目的の洋館を遠くから見つめていた。周囲は緑豊かな山々に囲まれ、静けさが支配している。


「ねぇ、詩音。この辺り、全然音がないね」


咲が、小声でつぶやいた。


「ええ。セミの鳴き声も、風の音も、聞こえないわ。すでに『無音の領域』が展開されているみたい」


詩音はそう言って、洋館から数キロ離れた山中に隠れた。彼女はレミントンM700の無音化機能と、特殊な超音波センサーを使い、周囲の状況を把握しようとする。


「私はここで、咲の援護をする。咲、洋館の周囲は、サイレンスの異能によって広範囲に渡って『無音の領域』が展開されている。風の音、木の葉の擦れる音、全てが消滅している」


詩音の声がインカム越しに響く。


「了解。聴覚に頼るな、ということだね」


咲はそう返すと、静かに洋館の敷地へと足を踏み入れた。


敷地に入ると、すぐに奇妙な感覚に襲われた。周囲の全ての音が、まるで耳元でスイッチを切られたかのように、完全に消失したのだ。咲は自身の聴覚に頼らず、代わりに皮膚で感じる空気の振動、足の裏で感じる地面の僅かな傾斜、そして眼で捉える微細な変化に集中した。


(音がないと、こんなにも世界は不安定なのか)


彼女のCQCと合気道は、相手の呼吸音や足音、動きから発する微かな音を情報として利用することが多い。しかし、今はその全てが遮断されている。


洋館の正面玄関には、屈強な男が警備にあたっていた。彼はヘッドホンを着用し、周囲の音を遮断しているようだった。


(ヘッドホンをしていても、聞こえないはずなのに。むしろ、音を遮断することで、自分の存在をアピールしているようなものか。わざと隙を見せてる?)


咲は男の呼吸音も足音も聞こえない中で、彼の動きを視覚情報だけで予測する。男が巡回ルートの角を曲がった瞬間、咲は物音一つ立てずに接近した。CQCの**「ステルスアプローチ」**。彼女の足音は、まるで幻のように地面に吸い込まれていく。


男が振り返る寸前、咲は彼の首筋に手刀を叩き込んだ。完璧な一撃で、男は音もなくその場に倒れ伏す。


「警備員、一人無力化。音は立てていない」


咲の報告に、詩音が小さく息を吐いた。


「やったね、咲。流石だわ」


「ありがとう、詩音。でも、まだ気が抜けないね。ここからが本番だよ」


咲はそう言いながら、洋館の内部へと足を踏み入れた。


洋館内部は、さらに不気味な静けさに包まれていた。廊下にはいくつもの部屋があり、どこからか気配が漂ってくる。


「咲、二階、左の部屋。そこにサイレンスがいる」


詩音の指示がインカム越しに響く。


「どうして分かったの?」


咲が尋ねる。


「レミントンM700のスコープ越しに、特殊な音波探知機能を使用しているの。サイレンスの異能は音を消すことだけど、彼自身の存在が発する微細な振動までは消せない。私は、その微かな振動を捉え、サイレンスの位置を特定した」


「なるほど、流石だね。じゃあ、私は二階へ向かうよ」


咲はそう言うと、静かに階段を上っていった。


二階の部屋に辿り着くと、ドアは施錠されていなかった。咲は静かにドアを開ける。


部屋の中央には、痩身の男が立っていた。彼こそが『サイレンス』。彼は目を閉じ、まるでオーケストラの指揮者のように両手をゆっくりと動かしている。その手の動きに合わせて、部屋の空気が微かに歪んでいるように見えた。


「ようこそ、奪還屋。ここは私の奏でる、完璧な無音の世界だ」


サイレンスの声は、耳には届かないが、咲の脳裏に直接響いてくるような錯覚を覚えた。彼の異能が、意識そのものに干渉しているのだ。


咲は、サイレンスに向かって静かに歩み寄る。サイレンスは、咲の接近を察知しているようだったが、微動だにしなかった。彼は、自身の能力を過信している。


咲が間合いに入った瞬間、サイレンスが手を振るった。すると、咲の周囲の空気が突然重くなり、まるで水中にいるかのように動きが鈍くなった。


(これは……音の振動を反転させて、空気抵抗に変えているのか!)


咲はすぐにサイレンスの能力の本質を見抜いた。音の振動を「消す」だけでなく、「逆転させる」ことで、周囲の物理法則に干渉しているのだ。


しかし、咲は焦らない。彼女は、重くなった空気の中で、CQCの**「低重心移動」と合気道の「円転換」**を組み合わせ、ゆっくりと、しかし確実にサイレンスとの距離を詰めていく。通常の動きでは抵抗が強すぎるため、あえて不自然なほどゆっくりと、だが無駄のない動きで彼の懐に入り込んだ。


「詩音、彼の異能、空気抵抗を操作している!」


咲の報告に、詩音は即座に反応した。


「了解。レミントンM700、特殊弾装填。低周波振動弾」


詩音は、レミントンM700のスコープ越しにサイレンスの頭部を狙い定めた。彼女の指が、静かにトリガーを引く。


ドスッ!


レミントンM700から放たれた特殊なゴム弾は、弾頭部に低周波振動発生装置を内蔵していた。弾丸はサイレンスの首筋を正確に打ち抜き、同時に弾頭部から人間には知覚できない低周波の振動を発生させる。


サイレンスは、異能の干渉を受け、目を見開いた。彼の周りの空気抵抗が、一瞬だけ正常に戻る。


「今だよ、咲!」


詩音がインカム越しに叫んだ。


その隙を突き、咲はサイレンスの腕を掴み、合気道の**「小手返し」で彼の体のバランスを崩す。そして、そのまま彼の側頭部にCQCの「ピンポイント打撃」**を叩き込み、彼を無力化した。


「ターゲット、無力化」


咲の報告と共に、部屋の中に、微かな虫の羽音が聞こえ始めた。


「よかった、聞こえる!」


咲は、安堵の表情を浮かべた。そして、遠くで鳥のさえずりが聞こえた。音の領域が、ゆっくりと元に戻り始めたのだ。


任務を終え、バー『RETRIEVER』に戻った二人を、エドワード・ブレアが待っていた。彼の顔には、安堵と感謝の表情が浮かんでいる。


「私の……私の音色が、戻った!世界が、再び私に語りかけてくれる!」


エドワードは涙を流しながら、咲と詩音の手を握り締めた。


「本当に、ありがとうございます。あなたたちが、私の人生を取り戻してくれた!」


「私たちの仕事だ」


咲はいつものように淡々と答えた。


詩音は、エドワードの目をじっと見つめ、静かに言った。


「音は、世界とあなたを繋ぐ旋律。それを失うことは、世界から孤立することに等しい。もう二度と、その旋律を失わないで」


エドワードは深く頷いた。


任務を終え、帰り道。丹波篠山の夜空には、満天の星が輝いていた。


「音がない世界は、不気味だったね」


咲が呟いた。


「ええ。でも、その静寂の中でこそ、微かな音の価値が分かることもある」


詩音は、遠くで鳴くコオロギの音に耳を傾けながら言った。


「うん、そうだね。コオロギの音、こんなに優しく聞こえるなんて知らなかった」


咲はそう言って微笑んだ。二人の「奪還屋」は、今日もまた、見えない喪失と戦い、静かに、そして確実に、人々の「旋律」を取り戻していく。

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