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第百四十四話「遠い記憶、私の光」

咲は、陽だまりの村を後にし、再び旅の空へと足を進めた。村で過ごした時間は短かったが、彼女の心に温かい光を灯してくれた。それは、誰にも奪われることのない、彼女自身の宝物となった。


「…ありがとう、おじいさん、おばあさん」


咲は、後ろを振り返り、心の中で感謝を告げた。彼女の足元は、もう迷いのない、確かなものだった。


道は、徐々に険しい山道へと変わっていった。咲は、これまでシステムの管理下に置かれていたため、こんなにも広大で、ありのままの自然に触れるのは初めてだった。急な上り坂、苔むした岩、そして、足元に絡みつくツル。それでも、彼女は、一歩一歩、慎重に、しかし、確実に進んでいった。


山の空気は澄んでいて、呼吸をするたびに、心が洗われていくような気がした。木々の間から差し込む光が、足元に美しい模様を描き、鳥のさえずりが、彼女の耳に心地よく響く。それは、彼女が「情報」として知っていた自然とは全く異なる、生きた自然だった。


道中、咲は、一つの疑問を抱き続けた。


(私は、どこに向かっているんだろう…)


これまで、彼女の人生は、サキモリの夢を追うという明確な目的があった。だが、今、彼女には、何もない。ただ、前に進むということだけが、彼女を突き動かす唯一の原動力だった。


その時、彼女の脳裏に、一つの光景が浮かんだ。それは、幼い頃の記憶だった。まだ、サキモリが彼女を「実験体」としてではなく、「娘」として扱っていた頃の記憶だ。


サキモリは、彼女の手を引いて、森の中を歩いていた。


「咲、見てごらん。この世界は、美しいだろう?」


サキモリの言葉に、咲は、満面の笑みで頷いた。


「うん!とっても綺麗!」


その時、咲は、サキモリが、この世界を心から愛していることを知った。そして、その愛が、彼の理想郷を創る原動力となっていることを知った。


だが、その記憶は、すぐに、もう一つの記憶に塗り替えられた。


「…咲、お前は、この世界を変えなければならない」


サキモリの言葉は、以前とは全く違う、冷たい響きを持っていた。彼の眼差しは、彼女を「娘」としてではなく、「道具」として見ていた。


「…嫌だ…お父さん…」


咲は、そう呟いたが、サキモリは、もう、彼女の言葉を聞いてはいなかった。彼の心は、「理想郷」という名の狂気に囚われていた。


咲は、その記憶から目を覚まし、頭を振った。だが、その記憶は、彼女の心に、一つの疑問を投げかけた。


(サキモリが本当に望んでいたものは、何だったんだろう…?)


彼女は、これまで、サキモリの「理想郷」を完成させることが、彼の夢だと信じていた。だが、彼の真の夢は、もっと別のものだったのではないか。


咲は、立ち止まり、深く考える。サキモリは、この世界を愛していた。そして、その愛ゆえに、この世界をより良いものにしたいと願っていた。しかし、彼は、その願いを叶えるために、間違った道を選んでしまったのだ。


「…サキモリ…」


咲は、静かに呟いた。その声には、怒りも、憎しみもなかった。ただ、深い悲しみが込められていた。


その時、彼女の胸の中で、詩音の温かい光が、再び、じんわりと温かさを増した。


(お父様は…きっと、あなたに、本当の優しさを、教えて欲しかったんだと思います…)


詩音の声が、心の中で響いた。それは、彼女の心の奥に隠されていた、サキモリの本当の願いだった。


咲は、涙を流した。彼女は、サキモリの本当の願いを知ることができなかった。彼を救うことができなかった。だが、もう、後悔はしない。彼女は、詩音の温かい光を胸に、サキモリの代わりに、この世界に、本当の優しさを広げていくことができる。


それが、彼女の、新しい旅の目的だった。


咲は、再び歩き出した。彼女の足元は、もう、迷いなく、確かなものだった。この先には、何が待っているのか、それはわからない。だが、彼女は、もう、恐れてはいなかった。


夜明けの空が、完全に明るくなり、彼女の行く道を、優しく照らし始めた。咲は、その光の中を、希望に満ちた足取りで進んでいく。その一歩一歩が、彼女自身の人生を刻む、かけがえのない足跡となっていた。

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