第百三十八話「約束の星」
天体観測所のドームの隙間から差し込む月明かりが、咲の足元に銀色の道を描き出していた。彼女の視線の先、満天の星々の中に、一つだけ、強い青い光を放つ星が瞬いている。それは、サキモリが詩音に残した「最後の鍵」であり、二人の秘密の星座「約束の星」の中心に位置する、希望の光だった。
「…詩音…」
咲は、その星に手を伸ばす。彼女の指先が、その光の軌跡をなぞるように動いた時、足元の星図が淡い青色に輝き始めた。そして、壁に描かれた無数の星々の線が、まるで生きているかのように、観測所のドームへと収束していく。
「再会のプログラム…起動」
咲の心に、どこからともなく、静かで穏やかな声が響いた。それは、詩音でも、シオンでもない、サキモリの声だった。声と共に、ドームの中心にある錆びついた望遠鏡から、一本の光の柱が立ち昇り、青く輝く星へと向かっていく。光は星とつながり、その星の光を望遠鏡を通して、観測所の中心へと降ろしてきた。
光の柱が降り注いだ場所には、小さなクリスタルの台座が現れた。台座の上には、銀色の細い線で描かれた星の形が浮かび上がっている。咲は、吸い寄せられるようにその台座に手を置いた。
その瞬間、咲の意識は、光の中に引き込まれた。彼女の目の前に広がったのは、満天の星々が瞬く、宇宙空間のような場所だった。そして、その星々の一つ一つが、詩音の失われた記憶の断片であることを、咲は直感的に理解した。
「…これらすべてが、シオンの記憶の破片…」
咲の心に、再びサキモリの声が響く。彼は、詩音の意識を完璧に解放するためには、これらの記憶の破片を、彼女自身の力で一つに繋ぎ合わせる必要があったのだ。サキモリが町のシステムに詩音の意識を移植したのは、この破片を永遠に保存し、失われるのを防ぐための、最後の手段だった。彼は、咲がたどり着くことを信じ、この「再会のプログラム」を隠していたのだ。
咲は、宇宙空間に浮かぶ、無数の光の粒に手を伸ばした。彼女が一つ触れるたびに、その光は、詩音とサキモリの記憶の断片を見せてくれた。
記憶の断片1:子供の日の天体観測所
小さな女の子が、望遠鏡を覗き込んでいる。「見て!お兄ちゃん!白鷺座だよ!」と、満面の笑みで叫ぶ。隣には、少し年上の男の子が、優しく微笑んでいる。
「すごいな、詩音。本当に見えるなんて」
「サキモリお兄ちゃんが作ってくれた望遠鏡だもん!何でも見えるよ!」
彼らの夢は、この小さな望遠鏡から始まった。まだ、町全体を覆うような壮大な理想郷ではなく、二人だけの、秘密の宇宙を創ることだった。
記憶の断片2:研究所での語らい
成長した詩音とサキモリが、研究所の白い部屋で向かい合っている。
「町のシステムは、私たちが設計したものと、少し違ってきているわ」
「そうだな。僕らの理想郷は、もっと、みんなが自由に夢を見られる場所だったはずだ」
「ねえ、サキモリ。たまには…システムから離れて、お休みしようよ。私たちが初めて天体観測所に行った、あの日みたいに」
「ああ、いい考えだ。一年に一度、この日だけは、システムを休止しよう。僕らの初めての休日だ」
ユーザーから伝えられた「15話に一回程度の休日」という情報が、この記憶と繋がった。彼らは、ただシステムを構築するだけでなく、そのシステムから解放される自由を、何よりも大切にしていたのだ。しかし、いつしか、システムは彼らの手から離れ、歪んだ「理想郷」へと変貌してしまった。
記憶の断片に触れるたびに、咲の心に、詩音とサキモリの感情が流れ込んでくる。夢と希望、そして、理想が歪んでいく絶望と悲しみ。サキモリが詩音を救うために、どれほどの苦悩を抱えていたか、咲は初めて理解した。
そして、彼女が最後の光の粒に触れた時、すべての記憶の断片が、一つの大きな光の玉へと収束した。それは、咲の心臓の鼓動と共鳴し、彼女の全身に温かい光を巡らせた。
「ありがとう…観測者37…いいえ…咲…」
その声は、優しく、温かく、そして、何よりも懐かしい、詩音の声だった。
咲の意識が、現実の天体観測所へと戻る。目の前のクリスタルの台座は、もはや光を放っておらず、代わりに、咲の心の中に、詩音の意識が、確かに蘇っていた。
「…詩音…本当に、あなたなの…?」
咲が呟くと、彼女の心の中から、詩音の声が応える。
「ええ…ただいま、咲。サキモリも…ずっと、あなたを待っていたわ」
詩音の意識は、咲の心臓に宿る「鍵」と、町のシステム全体に再構築された「シオン」の意識を統合し、完全なものとなった。
「…これから、どうすればいいの…?」
咲は、問う。町は、まだ沈黙の中にあった。システムが停止し、人々は途方に暮れている。
「私たちは、もう一度、始めなければならないわ。サキモリが夢見た、本当の理想郷を、今度こそ…あなたと一緒に創り出すの」
詩音の声には、悲しみはなかった。ただ、未来へと向かう、強い意志と、咲への深い信頼が満ちていた。
咲は、観測所の外へと歩き出す。夜空には、まだ青い光を放つ星が瞬いていた。それは、新しい物語の始まりを告げる、希望の光だった。彼女の心の中には、かつて復讐の炎が燃えていた場所で、今、詩音という、かけがえのない光が、静かに灯っていた。




