第百三十四話「白鷺堂の紋様」
サキモリが光の粒子となって消え去った後、地下工場は深い静寂に包まれた。無数のドローンは機能を停止し、床に散乱している。咲は、その場で茫然と立ち尽くしていた。復讐の対象を失った喪失感と、何が起こったのか理解できない混乱が、彼女の心に渦巻いていた。彼女の身体は満身創痍で、胸の傷口から再び鈍い痛みが走る。しかし、それ以上に、心に開いたぽっかりとした穴の方が痛かった。
サキモリは、彼女がこの町を守るために倒すべき敵だった。しかし、その決着は、彼女自身の手ではつけられなかった。彼女の目の前で、サキモリを倒したのは、巨大なカブトムシのような姿をした、謎の影だった。その影は、まるで咲の存在を最初から無視していたかのように、用が済むと地下工場の奥へと消えていった。
「…待って…!」
咲は、消えゆく影に向かって声を張り上げた。しかし、返事はない。彼女は、力を振り絞ってその影が消えた方へと歩みを進めた。暗闇の中を進んでいくと、そこには錆びついた扉があった。影は、この扉を通り抜けていったのだろうか。彼女が扉に手をかけようとした、その時だった。
壁の一角に、微かに光る紋様があることに気がついた。それは、まるで、影が咲に何かを伝えるために残していったかのようだった。光はすぐに消えたが、咲の脳裏にはその紋様が焼き付いていた。それは、まるで白鷺が羽ばたいているような、繊細で美しい紋様だった。その紋様の下には、「白鷺堂」という文字が刻まれている。
「白鷺堂…?」
その屋号は、咲にとって、全く聞き覚えのないものだった。しかし、何故か、懐かしさを感じた。それは、まるで、遠い昔に聞いたことのある、優しい声のような響きを持っていた。
咲は、その紋様を、指先でなぞる。ひんやりとした壁の感触が、彼女を現実へと引き戻した。彼女の復讐は、まだ終わっていなかった。サキモリは倒したが、詩音を殺した真の黒幕、そして、この町の裏側を操っている存在は、まだ、明らかになっていない。そして、今、新たな謎が生まれた。あの謎の影、そして「白鷺堂」という屋号だ。
咲は、通信機を取り出し、作動させる。しかし、応答はない。サキモリのシステムが破壊されたことで、この地下工場のネットワークは完全にダウンしているようだった。彼女のソニックライフルもまた、内部システムが損傷しているらしく、正常に作動しない。
「…仕方ない…」
咲は、地下工場の奥へと進むことを諦め、地上を目指すことにした。地上に出れば、町のネットワークに繋がるかもしれない。そう考えた彼女は、再び地上へと続く細い通路を探し始めた。
通路は、瓦礫と化したドローンの残骸で塞がれていた。咲はソニックライフルで瓦礫を破壊しようとしたが、銃は沈黙したままだった。彼女は、瓦礫を素手でどかしながら、少しずつ、前へと進んでいく。鉄骨やコンクリートの破片が、彼女の皮膚を切り裂き、血が滲む。しかし、彼女は痛みを無視して、ひたすら前へと進んだ。どれくらいの時間が経っただろうか。彼女は、ようやく、地上へと続く階段を見つけた。階段を上ると、そこには、町の外れにある、廃墟と化した研究所の裏口があった。
朝日が、咲の顔を照らす。彼女は、久しぶりに感じる外の空気に、深く息を吸い込んだ。空気は冷たいが、どこか懐かしい匂いがした。彼女は、研究所の屋上へと登る。そこから見える町は、いつもと変わらない姿をしていた。しかし、咲の目には、もう、この町が、以前と同じように映ることはなかった。
この町の地下には、サキモリという神がいて、彼の計画が実行されようとしていた。そして、その計画を阻んだのは、人間ではない、謎の影だった。そして、新たな謎の鍵として、「白鷺堂」という屋号が残された。
咲は、自身のソニックライフルを握りしめる。彼女は、もう、ただの復讐者ではなかった。彼女は、この町の真実を探求する者となった。サキモリの目的は何だったのか、謎の影は何者なのか、そして「白鷺堂」とは、一体何なのか。これらの謎を解き明かすことが、詩音の無念を晴らす、唯一の道だと信じていた。
彼女は、屋上から町の中心部を見つめる。そして、新しい目的を胸に、静かに歩き出した。彼女の戦いは、形を変え、新たな局面を迎えたのだ。
しかし、その道のりは、決して平坦なものではなかった。地上に戻った咲は、まず、情報収集のために、町の情報ネットワークにアクセスを試みた。しかし、彼女の持つ個人端末は、地下工場での戦闘で損傷し、全く作動しない。そこで、彼女は町の中心部にある、情報端末が設置されている公園へと向かうことにした。
公園は、早朝だというのに、多くの人々で賑わっていた。人々は、何も知らないかのように、笑い、語り合っている。咲は、その光景を見て、一瞬、自分の戦いが、まるで夢だったかのように感じた。しかし、彼女の胸の傷が、それが現実だったことを物語っている。
咲は、情報端末に近づき、白鷺堂の紋様と屋号について検索をかけた。しかし、検索結果は、何も表示されなかった。咲は、何度か検索ワードを変えてみたが、結果は同じだった。まるで、「白鷺堂」という屋号が、この町のネットワークから、完全に抹消されているかのようだった。
「…どうして…?」
咲は、困惑した。しかし、彼女は諦めなかった。ならば、直接探すしかない。そう決意した彼女は、町の中心部を歩き始めた。彼女の視線は、町のあらゆる場所に向けられていた。建物の壁、店の看板、路地裏のポスター。しかし、どこにも、白鷺堂の紋様も屋号も見つけることはできなかった。
「…一体、どこにあるの…?」
咲は、疲労と焦燥に苛まれながら、歩き続けた。しかし、彼女の努力は、無駄ではなかった。町の外れにある、古い商店街に差し掛かった時だった。彼女の視界に、一つの古びた看板が飛び込んできた。その看板には、白鷺堂の紋様が、薄っすらと描かれていた。
「…見つけた…」
咲は、その看板を見上げ、息を呑んだ。しかし、その看板の下には、「白鷺堂」という屋号はなく、「喫茶店 白鷺」と書かれていた。そして、その店の扉は、固く閉ざされていた。
咲は、店の扉に近づき、ノックをする。しかし、返事はない。彼女は、扉のガラス越しに、店の内部を覗き込む。店内は、埃が積もり、長い間、誰も立ち入っていないようだった。しかし、カウンターの奥に、一つの古い写真が飾られていることに気がついた。
その写真には、白衣を着た、若い男女が写っていた。彼らは、皆、笑顔で、何かを語り合っている。そして、その中の女性の一人が、どこかで見たことがあるような気がした。彼女の顔は、詩音に似ていた。
咲は、驚愕の表情を浮かべる。彼女は、その写真に、詩音の面影を見つけた。そして、その写真の奥に、もう一つの写真があることに気がついた。その写真には、サキモリが写っていた。
サキモリは、白衣を着て、若い男女の一人と、笑顔で語り合っている。そして、その二人の背後には、「白鷺堂研究所」と書かれた看板があった。
咲は、その写真を見て、全ての謎が、一つに繋がったような気がした。サキモリ、詩音、そして、白鷺堂。これらは、全て、一つの線で繋がっている。
彼女は、店の扉を強く叩く。しかし、返事はない。彼女は、扉の鍵穴に、ソニックライフルの先端を差し込む。彼女は、この店の内部に入るために、手段を選ばない。彼女は、この店の内部に、全ての真実が隠されていると信じていた。
彼女は、ソニックライフルの先端を差し込み、鍵穴を破壊する。そして、扉を開け、店の内部へと足を踏み入れた。埃が舞い上がり、彼女は咳き込む。しかし、彼女は、そんなことには構わなかった。彼女の目は、カウンターの奥にある、写真に向けられていた。
彼女は、写真に近づき、それを手にとる。写真は古く、色褪せていたが、そこに写っている人々の笑顔は、鮮やかだった。彼女は、その写真を、胸に抱きしめる。そして、彼女は、この写真に写っている人々、特に詩音に似た女性とサキモリの間に、何があったのか、知ることを決意する。
彼女の戦いは、復讐から、真実の探求へと変わった。そして、その探求の旅は、今、始まったばかりだった。




