009話 まだ知らぬ過去、まだ知らぬ未来
「えー!? コラの冒険迷宮の踏破が目標なん!?」
闇金業者への報復を終え、頭取からカナリアの借金を帳消しにさせた俺たちは、ミルクを買い込んで家へと戻っていた。
俺が作った夕食を三人で囲み、食後のひととき――その流れで俺たちの最終目標を告げると、カナリアは目を丸くした。
仲間になったとはいえ、事前の了承は大切だ。いざ潜ってから「聞いてない!」なんて言われたら、やってられない。
カナリアは、驚いたまま両手で口元を押さえた。
……その反応自体は、まあ予想どおりだったのだが。
なにせ、コラの冒険迷宮は大陸で最も深いとされる迷宮だ。
魔素中毒の流行以前は、幾度となく挑戦の波が押し寄せた。騎士、冒険者、英雄――それでも踏破した者はいない。
だから、カナリアの次の一言は、ある意味で裏切りだった。
「むーっちゃええやん! うち、そういうのに憧れて村から出てきてんッ! これはきましたわーーッ!」
「えぇ……」
うん、違う。思ってた反応とちょっと違う。
「本人がやる気なら、いいんじゃない?」
隣のクロウェアが、やけに無邪気な笑みを浮かべる。
「いや、それは……うん、まあ、そうだけど……」
なんというか、解せぬ。
「じゃあ明日からさっそく迷宮に潜る。カナリア、お前の得意なことを簡単に教えてくれるか?」
「なんや、改まって言われると照れるな……あんま期待せんといてな? えっとな――」
そう言って彼女が語ったのは、信じがたい戦歴だった。
四属性の魔法がすべて使え、故郷の村を襲った翼竜を単騎で撃退したという。
しかも、魔法は独学。すべて見よう見まねで覚えたらしい。
実際、あの闇金事務所を吹き飛ばした時点で、彼女のポテンシャルは計り知れなかったが――
控えめに言って、化け物だ。上級冒険者でも簡単に届かない域。
「――ぐらいなもんやで?」
あんま期待せんといてな、じゃねぇよ。
「それだけの実力があれば、まともな依頼でいくらでも稼げたんじゃないか?」
「それがなー……うち、採集系の依頼とかぜーんぜんでけへんのよ。で、討伐系を受けてたんやけど、加減がでけへんくて……魔石ごと魔物を吹き飛ばしちゃうんよ」
「あー……」
つまり、器用さが死んでる、と。
いや、カナリアはこの街で生きるには強すぎたのかもしれない。
まあ、それがなければ俺たちがこうして出会うこともなかったわけだ。
文句はない――ないけど、俺にまでその不器用さが向けられたらたまらんので、あとで教育しよう。
「了解。細かい動きは明日、実地で確認する。連携もな」
「わかったー。で、クロは何するん?」
「クロウェアは荷物持ちと魔石回収だ。倒した魔物から魔石を取り出すのは任せていい」
クロウェアは静かに頷き、果実汁のグラスを口に運ぶ。
俺はというと、終始ニコニコしているカナリアの顔を見て、つい一言こぼした。
「……なんか、やけに楽しそうだな」
「これが“パーティー”ってやつやろ!? うち、パーティーに入るの、ずっと夢やってん!」
――まるで大きな子どもだ。
身体は妙に育ってるし、魔法の実力も規格外。それなのに、言動はどう見ても無垢すぎる。
「……それは、よかったな?」
けど、俺たちが向かうのは、絆や夢が報われる優しい舞台じゃない。
甘いお菓子でも、愉快なごっこ遊びでもない。そこにあるのは、絶望と、希望だけだ。
俺は、それをわざわざ口に出すつもりはなかった。
どうせ、彼女もすぐに知ることになるのだから。
§
カナリアを仲間に加えた翌日、俺たちは予定通り、コラの冒険迷宮へと向かっていた。
浅層の本道はいつも通り、松明の明かりに照らされていて穏やかだった。
出てくる魔物も地上と大差なく、多少の腕があれば冒険者でなくとも問題はない。
まずはカナリアを前衛に立たせ、実地でその実力を測ってみることにした。
彼女ほどの魔力があれば、この階層では魔物に接近されることすらないだろう──そう見込んだのだ。
そして、その見込みはあっさりと現実になった。
「わーぉ」
「これは楽ね。グリン、うかうかしてられないんじゃない?」
カナリアは一人で魔物を薙ぎ払い、俺たちはその後ろをついて歩くだけ。
申告通り、彼女の魔法は敵を木っ端微塵に吹き飛ばしてしまう。
そのため魔石が残らないのが惜しいが、中層以降で回収すればいい。
中層に入っても、その快進撃は続いた。
カナリアが使う<照明>の魔法のおかげで、暗視魔法なしでも広範囲が明るく照らされる。
これもまた、彼女と同行することの大きな利点の一つだった。
ただし、魔物は相変わらず粉砕されるばかりで、魔石の回収はやはり見送りとなった。
下層に入るまでは、それもお預けだろう。
中層のちょうど半ば、安全圏と呼ばれる魔物の寄りつかない開けた空間に到着する。
足元には冒険者たちの踏みしめた跡が残り、磨り減った岩壁には簡易なメモや注意書きが彫られていた。
岩壁には誰かが刻んだ注意書きや、簡素な祈りの言葉が並んでいる。
長い時間をかけて、“ここが一時の安息を許す場である”ことが刻み込まれた空間だった。
「俺たちも少し休もう」
「ふぅー、ちょっと緊張したわ」
「ここまで来ると、ほんとに散歩みたいね」
腰を下ろして息を整えていると、後から別の冒険者たちが安全圏に入ってきた。
ゆったりとした衣装に、身の丈ほどの杖を携えた三人組。どこか中性的な雰囲気を漂わせていた。
笹のように尖った耳。妖精族の冒険者たちだ。
彼らが通り過ぎようとしたとき、カナリアが軽く会釈をする。
「こんちゃ」
「どうも」
妖精族たちも、同じように軽く頭を下げて返してきた。
俺はつい、彼らの性別に思考を巡らせてしまう。
髪は長すぎず短すぎず、声も高くも低くもない。
男か女かの判断がまるでつかない。だが、だからこそ、彼らは妖精族らしいとも言えた。
無粋に見つめすぎるのも良くない。俺は視線を逸らすことにした。
だがそのうちの一人──先頭に立つ者が、俺の顔を見てぴたりと足を止める。
「……貴様は、“紫電”か?」
その懐かしい二つ名を聞いた瞬間、思わず動きを止めてしまった。
七年前、俺がまだ現役だった頃の呼び名。
相手は、その反応で俺が俺だと確信したのだろう。肩をわななかせながら、険しい目で俺を睨んだ。
「探索者の、恥さらしめ……!」
カナリアとクロウェアが、無言でこちらを見る。その視線が刺さる。
俺が無視を決め込んで口を開かずにいると、相手は声を荒げた。
「また……また逃げるのかッ!」
その怒声を、背後の二人がやんわりと制した。
一人はすっと前に出てリーダーの肩に静かに手を添え、もう一人は無言のまま周囲に視線を走らせた。
無駄のない動きだった。そしてなにより、どこか慣れた手つきだ。
「落ち着いてください」
「申し訳ありません。お騒がせして」
彼らの声もまた、男性とも女性ともつかず、どこか品を感じさせた。
言葉遣いも柔らかく、年若いリーダー格の者よりもずっと大人びて見える。
ただ、何より痛かったのは、左右から注がれるカナリアとクロウェアの視線だった。
妖精族の後ろ姿が安全圏の闇に消えても、左右からじりじりと視線が突き刺さってくる。痛いほどに。俺は肩を竦めて、気まずさをごまかすようにため息をついた。
しばらくの沈黙ののち、
「……あの人たちとなんかあったん?」
カナリアが切り出した。
我慢していたのだろう。妖精族が立ち去ってからも、彼女がそわそわしているのは、隣に座っていて手に取るように分かった。
反対側に視線を送ると、クロウェアが「さあ、話してごらん」とでも言いたげな顔をしていた。じつにわかりやすい。
観念して口を開く。
「いや……あいつらと何かあったわけじゃない。そこは安心してくれ」
「そっか。ならええけど……あれ? じゃあなんであんなに怒ってたんや?」
俺の二つ名を知っていたということは、過去の栄光も、そこからの転落も、酒に溺れていた日々のことも耳にしていたのだろう。
あの時代、冒険迷宮ブームの最中、俺は最前線で仲間と戦い、名を上げた。だが、魔素中毒が広まり、ブームが終焉を迎えると、パーティーは解散。唯一病に罹った俺だけが時代に取り残された。
恐怖に飲まれ、酒に逃げ、気づけば七年。冒険者として過ごした年月より、酔い潰れていた時間のほうが長くなっていた。
罵声を浴び、唾を吐かれ、殴られ、時に留置場の世話にもなった。それが、俺が“紫電”と呼ばれた男の現在だった。
その過去を、どう穏やかに語るべきか迷っていると――
「あの子たちにはないだけだものね」
クロウェアが、静かに言った。
よく見ている女だ。
俺が地上に戻ってから、最初の宿で見つけた酒瓶の山。発作が起きるまでに語ったくだらない昔話。そして、さきほどのやり取り。そこから察したのだろう。
「邪推はよせ。なんだ、冒険が嫌になって長いこと酒に逃げていた。そのせいで同業者の反感を買った。それだけだ」
「そっか。じゃあ改心したんやな。やっぱ、冒険者の血ってやつやね!」
満面の笑みで頷くカナリアに、俺は肩をすくめる。
「逆だよ。俺は冒険をやめるために、最後の冒険に出たんだ」
「え? 冒険したないのに冒険しとるん? けったいな人やなあ……」
素直すぎるその感想に、俺は少しうんざりした。
……お前にだけは言われたくない。
と、今度は背後から、押し殺した笑い声が漏れた。
「何がおかしい?」
振り返ると、クロウェアが拳で口を押さえながら、目尻を緩ませていた。
こいつ……。
「馬鹿にしたわけじゃないの。ただ――」
クロウェアが言葉を選びながら、ゆっくりと口を開く。
「生き急いでるなって思って」
その言葉に、少しだけ胸が詰まった。
気づけば、俺は“あの頃”ばかり振り返る人間になっていた。戻れもしないのに、そこにだけしがみついて。
高い魔力は老いを遅らせる。
俺も、魔法学園に入れるほどの魔力保持者であり、容姿も大きくは変わっていない。
魔力保持者と呼ばれる者たちは、百五十年から二百年を生きる。
ただし、命が惜しければの話だ。
カナリアはその中でも特に強い魔力を持っているし、クロウェアに至っては、人の寿命の尺度では測れない存在だ。
――魔法使いと魔法使いは引かれ合う。
そんな言葉が、ふと頭をよぎった。
現に、俺たちはこうして出会い、今ここにいる。
もしボタンを掛け違えていたら、この巡り合わせもなかっただろう。
「……ほっとけ」
短く吐き捨て、俺は立ち上がった。
「行くぞ。休憩は終わりだ」
カナリアとクロウェアが顔を見合わせたあと、後ろから静かに俺についてきた。
俺たちはまだ、お互いの過去も、これからの未来も知らない。
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それが、明日も物語を書き続ける力になります。