008話 たった今、生まれた関係
はあ……。
深く息を吐いた俺の胸の中に、後悔がじわりと広がっていく。
昨日――俺は、てっきり正義感に駆られて美人を助けたつもりだった。
街で男たちに絡まれていたカナリア。鮮やかな髪、整った顔立ち、目立つ服装。
……誰がどう見ても「絡まれそう」な風貌だったし、実際そう思った。
だが、真実は違った。
あの二人はただの取り立て屋で、カナリアは金を借りて返せなかった借主だった。
つまり、俺は――
借金を踏み倒した女を庇い、取り立て屋を追い払ったお人好しというわけだ。
……最悪だ。
頭がずんと重くなる。
俺は、もう少し冷静になったと思っていた。余計なことに首を突っ込む癖も、幾分かマシになったはずだったのに。
「……グリン?」
不安げな声がかかる。
見ると、カナリアが申し訳なさそうに立っていた。
その顔を見た瞬間、俺は思わず視線を逸らした。
「最初から言えよ。俺が助けに入ったとき、お前は何も言わなかった」
「言えへんかったんや……あの場では……。あの二人、怖かって……」
小さく震えながら俯くカナリア。
――俺は人助けがしたかったんじゃない。ただ、目の前の美人が困っていたから手を出した。それだけだ。
結果、家にひとり女が増えて、生活はまた一段と複雑になった。
……俺は、何をやってるんだろうな。
冷めたコーヒーをひと口すする。
言葉は交わさずとも、沈黙がすべてを語っていた。
だが、今さら後悔しても始まらない。
カナリアの置かれた状況を改めて見直した結果――思っていたよりも、遥かに詰んでいた。
のんきに朝コーヒーなんて飲んでる場合じゃねぇ。
「よし、クロウェア。こいつ、追い出すぞ」
「堪忍、堪忍してやぁ!」
カナリアは懇願するように俺の腕をつかむ。
だが、その表情には恐怖というより――焦燥があった。
「ほんま、ここしかあらへんねん……!」
「ここしかって……実家でも帰ればいいだろ」
「ないんや。そういう場所も、人も、ひとつも……」
俺は眉をひそめる。
逃げ場のない目をしていた。
根っからの嘘つきの目じゃない。どこかで本当に、誰かの手を欲しがっている――そんな瞳だった。
「うち、ちゃんと働くし……ご飯も作るし、掃除も洗濯もするから……ここに居させて……お願い……っ」
必死に言葉を重ねながら、カナリアは俺の前で小さくなった。
その様子は、どこか“家”というものを初めて目にした子どものようにも見えた。
――そんな顔をするなよ。
言いかけて、飲み込んだ。
情で拾えるほど、俺はもう若くも未熟でもない。
自分一人でさえまともに抱えきれず、クロウェアとの共存ですら試行錯誤の最中だ。
そこにさらにひとり――それも、借金を背負ったまま、問題を引き寄せる女を加えるなんて。
生活が壊れる。命だって危うくなる。わかりきってる。
「……ダメだ、ダメだ。こっちはもう十分面倒背負ってんだ。ミルクを買い足すのとはわけが違う」
と、そこへクロウェアが首をかしげながら口を挟む。
「グリン。何をそんなに慌てているの? 冒険者からお金を借りたからって、そんなに大ごとなの?」
まるで他人事のような口ぶりだが、それも仕方がない。浮世離れした彼女には、この事態の深刻さがわかるはずもない。
俺はコーヒーを置いて、できるだけ冷静に説明を始めた。
「俺たち冒険者の間で“同業者から借金する”ってのは、最後の最後の手段なんだよ。普通は銀行とか、街金とか、ちゃんとした組織を頼る」
「たしかにそうね……じゃあ、カナリア。なぜあんな品のない連中にお金を借りたの?」
カナリアは目を泳がせ、言いにくそうに口をつぐむ。
仕方ない。俺が代わりに言ってやる。
「街金にも銀行にも、すでに借りてるんだろう? だから最後に、冒険者から借りるしかなかった。借金で借金を返す……負のスパイラルだ」
「うっ……はぃ……」
とうとう利息すら返せなくなり、最後には同業者にまで手を出した。
その末路が、これだ。
「カナリア。お前はもう、詰んでる」
「そんな……」
ぼたぼたと涙を流し始めるカナリアをよそに、俺は立ち上がる。
「ほら、行くぞ。奴らが来る前に」
「えっ……誰が?」
そのとき――
「グリン」
クロウェアが、ふと部屋の一点を見つめて口を開く。
「もう来てるわよ」
その直後――
轟音。
衝撃が家を揺らした。
窓ガラスが割れ、棚のグラスが落ちて砕ける音が、家中に響き渡る。
「……っ!」
俺は慌てて廊下を駆け抜けて、音の聞こえてきた玄関へ向かう。
たどり着いた先で目にしたのは、瓦礫と化した玄関だった。
正面の扉は跡形もなく吹き飛び、門までまとめて更地になっている。
俺の家の――玄関が、消えた。
その瓦礫の向こうから、徒党を組んだ連中が現れる。
カナリアを絡んでいた、あの冒険者二人組が先頭だ。後ろにはその仲間らしき男たち。
「おいおい、ずいぶんと風通しが良くなったじゃねぇか?」
「さっさとあの女を出せよ。俺たち、遠慮なく家ごと吹き飛ばすつもりだからよ」
背後でクロウェアが感心したように口を開く。
「……随分と派手にやったね」
「ああ。魔素抜きで時間がかかるって言ってたが……一日で十分だったな」
壊されたのは家だけじゃない。
昔の記憶と、少しだけ落ち着きかけていた暮らし。
全部、まとめて踏みにじられた気がした。
怒りが爆発する。血が沸騰し、思考が冴え渡る。
理性がぎりぎりで鎖を握っている――が、もう限界だ。
「人の家、壊しといて――」
俺は飛び出した。
先頭の男に一気に間合いを詰め、拳を振り抜く。
顎が砕け、歯が宙に飛び散る。そのまま奴の身体は地面に叩きつけられた。
「っぶ……へぇっ!?」
倒れ伏す相棒を見て、もう一人が青ざめた顔で叫ぶ。
「あ、相棒!? て、てめぇ何しやが――」
「うるせぇッ!」
続く一撃は鳩尾に突き刺さる。息が漏れ、地面を転げ回る。
「俺は一方的にふるまう連中が、一番嫌いなんだよ……!」
取り巻きの連中は動けずに立ち尽くしている。何が起こったのか、まだ理解できていない。
いいぜ――このまま全部ぶっ飛ばしてやる。
――結果、連中は全員、地面に沈んだ。
何人かは手足が明後日の方向に曲がっていたが、仕方ない。
人の家を壊しておいて、無傷で帰れると思うなよ。
「派手にやったね」
クロウェアが背後からひょっこり顔を出す。
「あぁ、悪い。気が立ってんだ」
怒りの余韻を吐き出すように、大きく息をつく。
「なかなか速かったよ、グリン。でも――」
「うるせぇよ。お前と比べんな、バケモン」
クロウェアは楽しげに肩をすくめると、すぐに真面目な顔になる。
「で、どうするの? この先」
「奴らの口から、裏に闇金がいたって聞いた。こいつらはただの用心棒だ」
「……闇金」
「ああ。書類も契約もない。代わりにあるのは“口約束”と暴力。利息は日ごとに膨れあがり、返済が遅れればまずは脅し、それでもダメなら……“家族や居場所”に手を出す。カナリアは、そんな連中と取引してたんだ。」」
だが、これで状況が変わった。
裏稼業の連中には、話し合いなんて通じない。なら――こちらも、手段を選ぶ必要はない。
「やるしかねぇだろ。俺ん家の修理代も回収せにゃ割に合わん」
「ふふっ。いいじゃない。楽しそう」
人の家を吹き飛ばしたんだ。
報いを受ける覚悟ぐらい、当然あるよな?
「わ、わぁぁ……!」
騒ぎが収まり始めた頃、カナリアが様子を見にやってきて、玄関の跡地を見て絶句した。
「二人とも、街へ行くぞ」
そう告げて振り返ると、カナリアが控えめに手を上げる。
「あのー……履いていく靴が、ないんやけど……」
――そうだった。
うちの玄関、吹き飛ばされてたんだったな……。
§
闇金業者には敵が多い。
銀行や街金と違い、正式な金融機関ではない彼らは、表立って集金の催促すらできない。
――では、どうするのか?
力だ。暴力でねじ伏せる。
俺が殴り込んだそのとき、アジトの奥から怒号が飛ぶ。
「やっちまえッ!」
クロウェアとカナリアには、事務所の前で人払いを頼んである。
通行人だけでなく、あのふたりを巻き込まないためでもあった。だが――
次々と扉から飛び出してくるのは、いかにも荒事慣れした用心棒たち。
「どいつもこいつも中級冒険者クラスかよ……。金持ってやがんな」
闇金業者とは、人の皮を被った悪魔だ。
払える者からは絞り、払えない者からは命ごと吸い取る。
そうして築いた金の力で、奴らは軍隊を養っている。
……俺たちの家を襲ったのは、そのほんの一部だったというわけだ。
感情に任せて突っ込んだが、戦力差は明らか。
家具の陰に身を隠しつつ、なんとか防戦に回る。幸いにも、混成部隊らしく“本物”はいない。
だが、どれほど耐えられるか――そう思った矢先、
「なんかよーわからへんけど、うちが突破口開けるわ!」
背後から、聞き慣れた関西弁が飛び出してきた。
「カナリア!? バカ、下がれッ!」
その警告も虚しく、カナリアは物陰から姿を現す。
敵の動きが一瞬止まる。
その隙を逃さず、彼女は深く息を吸い――
「<偽・竜の咆哮>!!」
彼女らしからぬ咆哮が響いた瞬間、世界が震えた。
肌にまとわりつくような粘ついた感触――いや、違う。
魔素だ。空気中の魔素が急激に震え、共鳴しながら一斉に爆ぜた。
それは、音というよりも圧だった。
咆哮が響いた瞬間、アジト全体が揺れた。
建物の骨組みがきしみを上げ、窓という窓が割れ、壁がねじれて砕けていく。
圧縮された空気が広がる衝撃に変わり、全方位を薙ぎ払っていく――そんな魔法だった。
「ぶへぇッ!?」
衝撃波の中心にいた用心棒たちは、立つことすらできず吹き飛び、数秒後にはアジト全体が瓦礫の山と化していた。
その中心にいたはずのカナリアの足元を境に、コンクリートの壁がめくれ、用心棒たちが一網打尽に転がっている。
「お、お前……」
俺は声を失った。
さっきまで立っていた建物の半分が、今や瓦礫の山。
……いや、これ事務所だけで済んでるか? 隣の建物まで巻き込んでないか?
何より――
「強すぎるだろ、お前!!」
中級冒険者級がゴロゴロいた連中を、たった一発で。
なんでこんな奴が、借金漬けなんかになってるんだ……?
「あかん。うち、ちょっとやりすぎてもたか?」
「いや……ちょうどいいくらいだ」
俺は周囲を見渡しつつ答える。「頭取も冒険者あがりのようだったから、たぶん死んでない。と信じたい」
死んでたら少し面倒だが――別に困らん。
すると、事務所の入り口からクロウェアがひょこっと顔を覗かせた。
「終わった? ずいぶんと派手だったね」
「ああ。てか、もう俺の出番なかったな」
俺は瓦礫の山へと足を踏み入れる。
カナリアも一緒にがれきをどけてくれる。クロウェア? 唯一残ったソファにふんぞり返ってこっち見てる。
数分後、ようやく頭取らしき男を発見した。
ボロボロではあるが、生きてる。ラッキーだな。
「いたいた。悪運は強いみたいだな……」
倒れた男の襟をつかみ、無理やり引き起こす。息はある。目も開いた。
「……聞こえるか? お前が頭取か」
「っ……ああ……誰だてめぇ……」
「この家を壊した件、忘れるなよ」
俺は冷たく言い放つ。「お前が雇った用心棒、今じゃ全員、瓦礫の下だ」
頭取が顔をしかめる。痛みと恐怖とで、抵抗する余裕はない。
「カナリア」
振り返って、彼女に言う。
「お前の借金、こいつから直接話をつけられそうだ」
「えっ!? ほんま!? ほんまに言うてん!?」
カナリアの顔が一気に明るくなる。
「――もちろん無料ってわけにはいかないがな」
ニッと笑い返すと、後ろから声が飛んできた。
「グリンのえっち」
クロウェアがジト目でにやけながら茶化してくる。
それを聞いたカナリアは、
「うぅ……ぐすん。こんなところで、うちは純潔を……」
よよよと目じりを抑えて泣き崩れる。
「大丈夫、カナリア。私が守ってあげるから……!」
クロウェアが芝居がかった口調で手を差し伸べる。
「クロ……!」
「カナリア……!」
抱き合う二人。
――何この茶番。
「おい、ムッツリすけべ。勝手に話を進めるな。クロウェアもふざけんな」
俺の言葉に、カナリアが自分を指さし、「……うち?」と驚く。
「ああ。お前以外に誰がいるんだよ」
衝撃を受けたような顔をするカナリアに、少し笑ってしまいそうになる。
感情表現が豊かで、人間らしい。
友達にいたらきっと楽しいだろう。恋人には……少し慎重になるが。
そして俺は、彼女に向かって手を差し出す。
「――俺の仲間になれ」
怪物には、怪物をぶつける。
カナリアは、俺たちがこれから挑む“あの迷宮”に必要な存在だ。
「仲間って……性的な関係含むん?」
「お前ほんとに娼婦じゃないよな?」
――顔を赤くするな! こっちが恥ずかしい!
クロウェアはくすくすと笑い、俺を見てからカナリアに向き直る。
「カナリア、これはあなたにとっても悪くない話よ。借金は消えるし、住むところがなければうちに住めばいい。ご飯にも困らないし、ミルク入りの珈琲も毎朝飲めるわ――ね、グリン?」
――わかっててやってるな、こいつ。
それを口に出そうとした瞬間――
「なる! うち、仲間になる!」
――話、早っ。
「……もう少し悩むと思ってたぞ」
「うち、もう悩む余裕ないねん」
それにしても、目的も聞かずに仲間になって大丈夫か?――一瞬だけ、そう思った。
だが、そんな俺の疑問を見透かしたかのように、カナリアがぽつりと呟いた。
「……目的とか、聞いても多分、うちには関係ないねん。ここで生きられるなら、それでええから」
その投げやりにも聞こえる声に、どこか切実さが滲んでいた。
――それはそれとして、これから毎日ミルクが必要になるのか。
まあ、実力者を仲間にするには安い買い物だ。
とりあえず――冷蔵庫を直すところから始めるか……。
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