007話 誰かに似た笑顔
二人の男に絡まれていた女性を、そのまま俺たちの乗合馬車に乗せ、自宅へと連れて帰ることになった。
郵便物が溢れかえるポストを横目に、三人で玄関をくぐる。
「ごめんな、お邪魔するわ」
「気にしないで。自分の家だと思ってくつろいで。私はクロウェア」
――お前が言うな。お前も居候だろ。
だがまあ、こういう状況で男一人じゃなかったのは不幸中の幸いか。
他人に見られたとき、誤解されずに済む。クロウェアの存在がいい緩衝材になってくれた。
……もっとも、そのクロウェアが俺を巻き込んだ張本人であることを思えば、どっこいどっこいだが。
「俺はグリン。乗りかかった船ってやつだ。言える範囲で、何があったか話してくれるか?」
「えっと――」
女性はカナリアと名乗った。
吟遊詩人のような活動で生計を立てていたらしいが、ある日を境にあの二人組に付きまとわれるようになったという。
ドア越しの薄明かりの中でも、鮮やかな黄色い髪と透き通った瞳はやけに印象に残った。
細身の体だが、出るところはしっかり出ていて、服装もそれを強調するような露出の多いものだった。
丈の短いホルターネックは下着に近く、腰に巻いたパレオの下からは素足が透けて見える。さらに、浅めのローライズパンツまで履いていて、どう見ても下着にしか見えない。
男たちの肩を持つ気はない。ないが……あの格好で通りを歩けば、誤解されても仕方がないとも思ってしまう。
失礼を承知で言えば、娼婦と間違われても不思議ではない。
「うちは、そういう仕事してへんし……。経験もないし……」
「大丈夫よ、カナリア。悪いのは男の方だから」
クロウェアが成長途上の美少女だとすれば、カナリアは完成された美女といったところか。
「ねえ、グリンもそう思うでしょ?」
「え、あ、あぁ……そうだな」
――ぜんっぜん聞いてなかった。
とりあえず背筋を伸ばして頷くが、なぜかクロウェアの目が冷たい。視線が痛い。
気づかないふりをして話題を変える。
「カナリアは、この町に来たばかりか?」
「あ、やっぱわかる?」
「その喋り方じゃな。かなり強い訛りだ」
この地方の人間ではないのは一目瞭然だ。
むしろ、かなり遠くの出身なのではないか。
「そうなん? うち、クロウェアみたいに上品に喋れたらええのになぁ」
思わず吹き出しそうになる。
「上品? こいつが?」
「ぶっ飛ばされたいの?」
「うん最高。クロウェア、まじ素敵」
やばい、目がマジだ。
俺は即座に手のひらを返した。
前回からかいすぎてドロップキックされた前科がある。次は何が飛んでくるか分かったもんじゃない。
「いいじゃない、個性があって。私は好きよ、カナリアの喋り方」
「ほんまに?」
「本当よ。ほら、こっちおいで」
立ち上がったクロウェアは、カナリアが座るソファの背後に回り、優しく彼女を抱きしめた。
こうして見ると、クロウェアは見た目以上に落ち着いていて、大人びているように見える。
「なあ、クロウェアの――あ、クロって呼んでええ?」
「もちろん」
「クロって、大人っぽいなあ」
どうやら、カナリアも俺と同じことを思っていたらしい。
クロウェアは人差し指を唇に当て、しなやかに言う。
「大人っぽいんじゃなくて、私は大人なの」
流し目を俺とカナリアに向けてくる。
「そ、そそそれって……!」
カナリアは顔を真っ赤に染めて、たじたじになっていた。
「あら、グリンももう大人になったの?」
「想像にお任せするよ」
肩をすくめてお茶を濁す。
この手の話題には深入りしないのが得策だ。
……のに、カナリアはというと、
「そ、想像に任せるやなんて……」
顔を両手で覆って一人で赤面している。
――こいつ、経験がないだけで、けっこうムッツリなんじゃないか……?
そんなことを思っていた矢先、カナリアがふと思い出したように言った。
「そういやな、うち、見たことあるかもしれん。グリンとクロ、前に魔法協会で」
「……魔法協会?」
俺とクロウェアは視線を交わす。
「うん。たしかちょっと前。うち、仕事探しに協会行ったときや。共有部でえらい騒ぎが起きててな……」
言いながら、じっと俺の顔を覗き込む。
――思い出したかのように、ぱっと目を見開く。
「あれって、グリンやったんちゃう? 誰かと怒鳴り合いしてて、最後殴り合いになってた……」
「あー……ああ、あれか」
あの日のことが思い返される。
俺の病気――探索病を揶揄してきたクソ禿げた冒険者にカチンときた……いや、正確には、クロウェアが言い返したのが火種だった。
『ハゲは髪もなければ、忍耐力もないの?』
完全に喧嘩を売ってた。
その後、顔を真っ赤に染めた禿頭の冒険者がクロウェアに手をあげ、それを遮る形で殴り合いになったわけだ。
「そうそう、なんか、横にいた女の子がハゲって言って、それで大騒ぎに……」
「なにかしら? 私は事実を述べただけよ?」
こいつ、ぜんっぜん反省してねぇ。
カナリアはというと、苦笑まじりに俺とクロウェアを交互に見ている。
「そんとき、うちは窓口で手続き待っててんけどな。あんまりにも目立つ喧嘩やったから、よう覚えとるんよ。クロの見た目も派手やし、グリンの喧嘩相手も怒鳴っとったし」
「いや、俺は巻き込まれただけだ」
「……でも、グリンもいっぱい殴り返してたやんな?」
「……ああ、まあ、そうだったな」
結局、止めに入るギルド職員たちに説教されて、その場はおさまったが……今思い返しても、ろくな記憶じゃない。
「でもな、今日声かけてもろて、ちょっと安心したんよ。あのときの人やし、逆に変な人ではないんかなって思って」
「変な人じゃない……か?」
「いや、だいぶ変よ」
すかさずクロウェアがぶった切る。
「いやいや、それお前のせいだろ!? あのハゲいじりがなけりゃ、そもそも――」
「だって、ハゲてたもの」
俺が無言でクロウェアの口を押さえにかかると、カナリアがくすくす笑い出す。
「……あかん、クロってええキャラしてるわ。うち、好きかも」
「光栄だわ。あなたの喋り方も、私はけっこう好きよ?」
――なんだか、どっちも自由すぎる。
「とりあえず、今日はゆっくりしてくれ。明日以降のことは、また考えよう」
「うん、ありがとう、グリン。クロも……ほんま、助かったわ」
そう言って深く頭を下げたカナリアは、見た目よりもずっと素直で、人懐っこい性格をしているようだった。
面倒な出会いではあったが――悪い出会いじゃなかった、のかもしれない。
ソファに沈み込むカナリアの横で、クロウェアが小さく笑った。
少しだけ、部屋があたたかくなった気がした。
§
カナリアを保護した翌朝。
早起きした俺は、ひとり珈琲を片手に、久々に穏やかな朝を迎えていた。
クロウェアのキスによって発作の心配がなくなり、自然と酒を控えるようになってから、目覚めが良くなった気がする。
だが、階上が騒がしい。
『クロ、あかんって!』
二階の寝室はクロウェアとカナリアに与えてある。かつてのパーティー時代の名残で、客室がそのまま使えて便利だった。
『あーもう、待ってーや!』
階段を駆け降りてきた足音が近づいたかと思うと――
次の瞬間、俺は口に含んでいた珈琲を盛大に噴き出した。
扉の先に現れたのは、真っ裸のクロウェア。
その後を、彼女の部屋着らしき服を抱えて、寝間着姿のカナリアが慌てて追いかけていた。
カナリアの寝間着も乱れていて、下着がチラチラと覗いている。
谷間からは、豊かな双丘の先端が見えてしまいそうで――いや、見えてる。アウトだ。
「お前ッ、また裸か! 服を着ろ、今すぐに!」
そういえば、前も裸だった気がする。
地上に出て宿に泊まっていた頃は、もう少し慎みがあったはずなのに、この家に住み始めてからというもの、まるで裸族だ。
「うちもさっきから言うてんねんけど、聞かへんねん」
カナリアが息を切らしつつ、そう言ってクロウェアの肩に服をかける。
が、当の本人は全く気にする様子もなく、当然のように立ち尽くしていた。
その美しさには、毎度のことながら目を奪われる。
……クロウェアの方は、な。
カナリアのほうも服装的には大差ないはずだが、なぜかこっちはそこまで心拍数が上がらない。
まあ、朝の混乱のせいだろう。たぶん。
「カナリア。お前もその……」
「あっ……!」
彼女自身も、はっとして身をかがめる。が、谷間もヘソも丸見えのままだ。
朝から心臓に悪い……いや、疲れるだけかもしれん。
「自分の家にいるのに、面倒くさいわね」
「お前の家じゃないだろ。せめて慎みを持て」
「せやで、体は大事にせんと」
なんとかカナリアがクロウェアに服を着せた後、彼女自身も自室へと着替えに戻っていった。
……と思いきや、数分後、胸元のボタンだけ留めた状態で出てきた。
上乳も下乳も顔を出し、ヘソは完全に露出。
お前、それもうシャツじゃなくて布だぞ。
「服貸してもろたんはええんやけどな、ちょっと胸元が窮屈やな。下もちょっと暑いし、丈短いのないん?」
などと、パンツの両脇を引っ張りながら文句を垂れている。
「知らん。衣装棚になければない。あるとすれば……クロウェアの借りてる部屋の衣装棚か」
「そーいや、そっちもあったな。ありがとう、ちょっと見てくるわ!」
どんどん露出が増えていく気がしてならない。
もともとその部屋の持ち主は上流階級の出で、今のカナリアが求めているような涼しげな格好はなさそうだが……。
「グリンの鼻の下が伸びてる」
「……どっちの件で言ってんだ?」
苦笑しながら返す。
よくわからんが、朝から疲れる光景だ。
砂糖をこれでもかと入れて、クロウェアは珈琲をすすっている。
しばらくしてカナリアが戻ってきた――水着姿で。
もう何も言いたくない。
「いやー、棚の奥にええのあったわ」
「……本気か」
「いいじゃない。私は好きよ」
「ほんまに? おおきに!」
満面の笑顔でクロウェアに礼を言うカナリア。
その屈託のなさが腹立たしいやら、眩しいやら。
「今から朝食作る。珈琲でも飲んで待ってろ」
「わぁ、珈琲なんて久しぶりやわ。嗜好品なんてなかなか口にできんし」
「砂糖もあるわよ」
「ミルクは? ……ミルクはあらへんの?」
カナリアの期待に弾んだその声に俺は、
「……ない。保存が面倒でな」
昔使っていた魔道冷蔵庫はとっくに壊れて、今はただの棚だ。
「そっか、そうやんな。いや、ええんよ」
しょんぼりと肩を落とすカナリアを見て、妙な罪悪感に襲われる。
クロウェアが責めるような目を寄越してくるので、俺は溜息をついて答えた。
「……分かった。街へ出るときに買ってくるよ」
「ほんまに? なんか悪いな! ありがと!」
パァッと花が咲いたような笑顔。
……ずるい。あれはずるい。
朝食も「おいしいおいしい」と言いながら夢中で食べてくれた。
洗い物も率先して手伝ってくれるし、誰かさんとは大違いだ。
「何か言ったー?」
「いや、何もー」
洗濯も終わり、中庭に洗濯物を干していると、ふと思い出す。
「なあ、カナリア。お前、家には帰らなくていいのか?」
いつの間にか当然のように居座っているが、そもそも俺は泊めると正式に言った覚えはない。
リビングに戻ると、俺の問いにカナリアは視線を逸らし、口を濁した。
「実は……泊まってた宿、追い出されてしもて」
「どうして?」
「その、銭の問題で……」
指でわっかを作る仕草が、なんとも分かりやすい。
要するに、金欠だ。
「なんとなく、話が見えてきたな……」
吟遊詩人といっても、街で適当に歌ってるだけじゃ金にはならない。
となると――
「上京してきたはいいが、職にもつけず。吟遊詩人を名乗ってみたが、詩も吟じられず、その日暮らしで食いつないで、金が尽き――」
「ち、ちゃうねん! ちゃんと頑張ってたんやってば!」
必死で否定する姿が、逆に怪しさを増している。
カナリアの視線が泳いでいる。
無理に笑ってみせようとしてるが、声がわずかに震えていた。
そのくせ、嘘をついているような後ろめたさは薄い。
どちらかといえば――言い出すきっかけを失っている、そんなふうに見えた。
「カナリア」
「は、はい」
俺は真っ直ぐに彼女を見据えて言った。
「お前、あの冒険者たちに金、借りてたろ」
「…………はぃ」
あぁ、もう……最悪だ。
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