004話 交差する三つの視線
朝食を済ませると、俺はクロウェアを連れて魔法協会へと足を運んでいた。
周囲の建物よりひと際大きな魔法協会の建物を前にして、
「ここが魔法協会の支部だ。魔法協会は大陸で魔法に関する事柄を取り仕切っている一大組織だ」
「それじゃあ冒険迷宮の管理も協会の管轄ってわけね」
理解が速くてなによりだ。思っていたよりも呑み込みが早いのは助かる。
それにしても、彼女の知識や直感には驚かされることが多い。常識を知らない一方で、核心だけを射抜くような発言をすることがある。
俺たちはさっそく、建屋へと足を踏み入れる。
「おっと」
扉をくぐり、カウンターへと向かう俺たちの脇からいきなり現れた二つの影。
クロウェアの一歩前を歩いていた俺は、影の一つと肩が軽く交差した。
俺が言葉を紡ぐより先に、
「ッてーな! ぼっとしてんじゃねーよ」
「やっちまうか?」
二人ともに年若く、逆立った髪、だぼっとした服の着こなし、無駄にいからせた肩。
絵にかいたようなチンピラが目の前に立っていた。
「……いつの時代もいるもんだな」
少なくとも七年前にも似たような連中はいたことを思い出し、懐かしさすら覚える。
「あぁん? なんだお前。喧嘩売ってんのか、あん?」
「おい、そこの嬢ちゃん。俺たちといいことしねーか?」
実に当たり屋のような連中であった。
「嬢ちゃん……。聞いたグリン? 『嬢ちゃん』だって」
「なんだ? 気に障った――わけではなさそうだな」
隣に視線を送ると、そこにはニコニコと見るからに機嫌のよさそうなクロウェアがいた。
若く見られて嬉しいということだろうか。というかコイツ何歳だ?
「あー。もうキレた、俺やっちゃうかんな!」
「泣いて詫びたら許してやらんこともねぇけどよぉ!」
俺が目の前のチンピラを無視してクロウェアと話していることが気に入らなかったのか、唾を飛ばして詰め寄ってくる。
いくら衰えたとはいえ、こんな三下には負けないとは思う。
だが、これからパーティーを募集するという時に、魔法協会内で問題を起こすわけにはいかない。
この場に未来の仲間がいる可能性だってある。
悪い噂は驚くほど早く広がる。冒険者たちは娯楽に飢えている。
噂好きの連中の口に乗れば、真実はどうあれ「やべぇ奴」認定は免れない。
俺が対応に苦慮していると、
「こらーッ! また貴方たちですかッ! いい加減に出禁にしますよッ!」
魔法協会の職員の鋭い制止の声が飛んだ。
受付にいた銀髪碧眼の女性職員が、半ば身を乗り出してこちらを睨めつけている。
二人の男は渋々と言った様子で、
「ちっ、しゃーねーな」
「覚えとけよッ!」
俺たちと入れ違うように出入口へと向かい、何度も振り返っては俺を睨めつけながら魔法協会を出て行った。
「なんだったんだ?」
「おもしろい人たちね。仲間にする?」
くふくふと笑うクロウェアだが、冗談じゃない。
「馬鹿いえ。無能な味方ほど厄介な存在はない」
俺はそう言うと、制止の声をかけてくれた女職員のもとへ向かう。
魔法協会の受付は顔でもある。
魔法協会の顔を務めるだけあって、受付の職員は男女問わず眉目令秀な者が多い。目の前の銀髪碧眼の女職員も例に漏れない。
だが、ふとした瞬間――不自然にまっすぐな背筋と、鋭く場を見渡す目つきに、現場慣れした者特有の緊張感が滲んでいた。
そんなことを思いつつ、パーティー募集の申請書類を受付に差し出す。
「この条件で仲間の募集をかけたいんだが……」
「えっと、グリンさん。あなたが、ですか?」
職員は書類と俺の顔を交互に見比べている。
その碧眼がわずかに揺れているのを見て、俺も少し不安になった。
「……なにか問題があるのか?」
受付嬢は一瞬だけ口を開きかけて――やめた。
「……いえ。別にありません。それでは書類を承ります」
無事に提出を終えた俺たちは、受付を離れて一階の共有スペースへと向かう。
魔法協会の一階には、冒険者たちが集い交流するための広々とした空間が用意されている。
そこでは依頼に向けた情報交換や作戦会議が行われ、仲間を探すにはうってつけの場所だ。
自分でも仲間候補を探すべく、共有空間へと歩を進める。
途中、巨大な掲示板の前を通る。
冒険者たちが群がるその板には、依頼書が隙間なくピン留めされていた。
クロウェアは人の群れにも臆せず、興味深そうにその掲示板を覗き込んでいる。
「これ全部が魔法協会に出された依頼なの?」
「あぁ。中には魔法協会自体が出した依頼もある」
いつ見ても埋まっている掲示板。
依頼書の上から依頼書を重ね貼りされるのは日常茶飯事。
俺の募集も、すぐに埋もれてしまうことだろう。
足を進め、共有空間へと入ると、大半の席はすでに埋まっていた。
「これ全部冒険者?」
クロウェアの問いに頷く。
「そうだ。冒険迷宮に潜る前には、嫌でも顔を合わせることになる連中だ」
「そうなんだ……ねえ、私の役割って何だったっけ?」
「荷物持ちだ」
「聞いてないけど?」
幸い、席を立つパーティーがあったので、俺たちはそこに向かう。
歩きながら話す。
「まあ当面の役割だ。ところで今の俺たちに仲間以外で必要なものがわかるか?」
「……お砂糖?」
真顔で答えるクロウェアに肩の力が抜けた。
「それはあとでな」
可愛らしく満足げに笑う彼女を見て、俺は小さく息を吐く。
ああいう笑顔を向けられると、こちらの警戒心も少しずつ削られていく気がする。
言葉の棘も柔らかな表情に包まれて、つい毒気を抜かれてしまう。
まったく、本当に、美少女というのは得だ。
吟遊詩人の歌声が、共有空間に穏やかに響いていた。
鮮やかな黄色の髪をした女性が、リュートを片手に物語を語る。
その姿に、男たちが色めき立ち、彼女を囲むように集まっていた。
「歌って、すごいわね」
クロウェアがぽつりと呟く。彼女の瞳は、まるで子どものようにきらきらと輝いていた。
「そうだな。冒険者の世界じゃ、娯楽ってのは貴重だからな」
そして、俺たちはようやく空いた席に腰を下ろした。
椅子の硬さが、妙に現実を感じさせる。
「さて、今後の計画を立てるか」
マグカップに注がれた冷めた湯を見下ろしながら言うと、クロウェアがすぐに問い返す。
「仲間探しのこと?」
「ああ。探索病のこともある。俺が長く潜れるわけじゃない」
「でも私、あなたの病、治せたでしょ?」
そう言われると、返す言葉がない。
あの夜のキスの感触は、まだ記憶に新しい。あの瞬間、確かに痛みは消えた。
「……お前の力が本物なら、話は変わる。だが確証はまだない」
「またキスすれば?」
「そういう問題じゃない!」
周囲の視線が一斉にこちらを向いた。
クロウェアは悪びれもせず、「冗談よ」と笑う。
その時だった。
「おい、そこ空いてるか?」
背後から声がかかり、振り返ると、屈強そうな冒険者三人組が立っていた。
一人は目つきの鋭い男、もう一人は無口そうな斧使い、最後の一人は長身の弓使いの女。
「空いてるよ」
クロウェアが即答した。おい。
三人は少し警戒しつつも、俺たちの正面に腰を下ろす。
「お前、グリンか?」
鋭い目つきの男が俺を見て言った。
「そうだが……何か用か?」
「求人の書類を見た。『コラ』攻略の仲間を募ってるってな」
すでに俺の募集が目に留まっていたらしい。
意外と早い。
「俺たちは三人組でな。ある程度潜れる経験もある。中層までなら、何度も生還してる」
「それは心強いが……」
俺はクロウェアを見た。彼女もこちらを見て、小さく頷いた。
「こちらはまだ少数だ。仲間が増えるのは歓迎する」
「なら、話を進めよう」
男たちは自分たちの簡単な経歴を語り、互いに相性を探る会話がしばらく続いた。
クロウェアは口を挟まなかったが、その分観察に徹していた。時折鋭い視線を向ける彼女を、相手も警戒しているようだった。
――このままなら、契約まで進めそうだ。
そんな手応えを感じ始めたそのときだった。
「なぁ、そこの女。何ができる?」
斧使いが唐突に口を開いた。
「何って?」
「探索者としてのスキルだ。お前、戦えんのか?」
クロウェアはしばし沈黙し、そして言った。
「今は、見守るのが役目よ」
「は?」
男たちが怪訝な表情を浮かべる。
「……つまり、荷物持ちってことか」
鋭い目の男が肩をすくめた。
「まあいい。足を引っ張らなければな」
その言葉に、俺の眉がぴくりと動いた。
「そのあたりは、俺が責任を持つ。問題ない」
俺の返答に三人はうなずき、そして席を立った。
「明日、また連絡する」
「よろしくな、グリン」
彼らが去ったあと、クロウェアがポツリと呟いた。
「……私、ああいう人たち、ちょっと苦手かも」
「だろうな」
俺も、どこか釈然としない気分が残っていた。
だが、それでも一歩は踏み出したのだ。
こうして、俺たちのパーティー結成は、ゆっくりと――しかし確実に、動き始めていた。
そう思ったのも束の間だった。
ふと気づけば、さっきまで別の席で酒をあおっていた禿頭の大男が、こちらへふらふらと歩み寄ってきた。
「おいおい……グリンじゃねぇか。お前、まだ生きてたんだな?」
……誰だこいつ。
俺は即座に顔をしかめた。
「悪いが、今は忙しい」
「なぁに、ちょっとした挨拶さ。せっかくだから、お前の連れにも挨拶をな」
その目がクロウェアへと向いたとき、俺は確信した。
――こいつ、絶対にろくでもないことを言う。
「お嬢ちゃん、こんな病人と一緒にいて退屈してないか?」
「……病人?」
クロウェアが眉をひそめた。
「そうだよ、こいつ探索病だろ。今日か明日かって命だぜ? お前ももうちょっと相手を選んだ方がいいんじゃないのか?」
場の空気が凍る。
だが、クロウェアは、笑った。
「へぇ。つまりあなたは、病気の人をからかうのが趣味なの?」
「別に? ただの事実だろ」
俺を見ながらせせら笑う禿頭の男。
「じゃああなたは、髪がない事実も受け入れてるってことね」
時が止まったかと思った。
クロウェアの口撃は止まらない。
「なによハゲ。他人にいきなり喧嘩を売るなんて……ハゲって礼儀を知らないの? 髪と一緒に分別も失ったの?」
ピキリとわかりやすく禿頭の男の額に青筋が立つのがみえた。
「女、言葉に気をつけろよ。俺が誰だかわかってんのか?」
「知らない。なに? ハゲ界の有名人なの、あなた?」
周囲の冒険者たちが、ざわ……と声を漏らす。
禿頭の男の顔が、一瞬で赤くなった。
怒りに震える拳をぎゅっと握りしめ、首筋の血管が浮き上がる。
目には理性の光が消え、鼻息は荒く、まるで今にも飛びかかってきそうな獣そのものだった。
「てめぇ……女だからって容赦しねぇぞ」
「ハゲは髪もなければ、忍耐力もないの?」
「もうそのぐらいにしとけって……!」
煽る、煽る。
ついにこらえきれなくなった男が拳を振り上げた瞬間、俺は立ち上がってそれを受け止めた。
そこからは、もみくちゃの乱闘だった。
拳と拳がぶつかり合う中、クロウェアの「いけいけ、やっちゃえ!」という声援が聞こえてくる。
そして、しばらくしてようやく駆けつけた魔法協会の職員によって、俺たちは引き離された。
駆け付けたのは、俺たちの受付を担当していた銀髪碧眼の女性職員であった。
彼女はぴしりと声で、
「グリンさん。わかってますよね?」
その声色には、ただの事務職員とは思えぬ、妙な重みがあった。
まるで、かつて戦場に身を置いていた者が発する“圧”のような……そんな錯覚を覚えた。
――わかってますとも。
職員の圧に白旗を上げると、俺は心の中でそう呟いた。
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