第四話 愛の種類
「戦の予定ていつごろなのかしら」
「シャルル様は何もお話してくださいませんね、あれから。この国もずっと平和でうそみたい」
「そもそも訓練してる兵士もいないのに、出兵できるのかしら」
朝の身支度をしながらリリーナから髪を丁寧に梳かされて、セットを決めて貰う。
自分でやるよりやっぱりリリーナはセットが綺麗で、あたくしの髪はリリーナの手腕によって保たれているといっても過言ではないほどのもの。
朝露にかかった蜘蛛の糸のように麗しい髪が一纏めに、一部がリボンで巻かれる。
今日のリボンは原色に近いピンクの白いレース付き。繊細なレースだから、扱いが難しそう。
髪のセットを終われば、ちょうど朝ご飯の準備が出来たお知らせに、ディランがやってきた。
「おはよう御座います、今日も可憐な花々ですね」
「ねぇディラン。あたくしから聞くのもなんだけど、この国は衛兵も憲兵もどうなっておりますの?」
「ああ、そこらへんはしっかりとしてますよ。人手は足りないですが、魔力を僕らは持て余してますからね。魔道兵を起用してます」
「魔道兵?」
「ガロンがね、鎧に魔力を注入して、鎧だけの兵士を作っているんですよ。全部ガロンの言うことを聞きます」
「ではガロンに何かがあったら大変ではなくて?」
「ガロンがいなければ、第二指示は僕が引き受けています。このコアがあれば言うことをききますよ」
ディランは話すと手のひらに手品のように真っ赤な水晶に細工が仕組まれたものを取り出し、あたくしはじっとそれをみつめてつついた。
ディランは一人試しに見張りを呼ぶと、魔道兵は部屋に入りディランが兜を取り上げれば、仲は空洞だったので目を丸くする。
かの国が可哀想になってきたわ。人でないものを何千も相手するだなんて。
「視界はどうなるの」
「ガロンは数千あろうと、数億あろうと操ってどの視界からも見えます。僕はちょっとしかもたないんですけれどね」
「……ガロンは何者なの?」
「この国の守護神ですよ」
ディランは冗談を言ったわけでもなさそうにえへんと胸を張れば、あたくしたちを朝食へと駆り立てさせる。
席に向かえば、陛下がきちんとナプキンを膝元においていたので、感心した。
「陛下、おはようございます」
「ロゼット、今日も素敵な香りがする」
「お気に入りの香水よ。陛下のも選んで差し上げるわ」
「いやそれはいらない。予は血のにおいに、香水が混じるのが大嫌いなんだ」
にこりと笑うこの人に、あたくしはどこまで命がもつのだろうと感じる。
*
食事を終え陛下にまたマナーをたたき込んだ後、お部屋にもどろうとした。
リリーナを後ろに廊下を進めば、ガロンが窓辺で眠っている。
すやすやと眠る姿はあどけなくて、つい悪戯をしたくなる。
「プリン、カステラ、マカロン、ケーキ」
ガロンの耳元にそっと口を寄せて囁けば、ガロンはびくっとして身を跳ねさせた。
「……姫さんか」
「おはようガロン、気持ちよさそうね」
「姫さんの悪戯のお陰で良い夢だった…………西の方が騒がしいな」
「魔道兵から何かみえますの?」
「ああ…………ちょっと待ってくれ。なんだと…………姫さんの国から使いがきている」
「まあ、なんですって。ご用はなんなの」
「あんたあてに手紙を預かったが開けて良いか?」
「どうぞ、読み上げて」
ガロンは手を開く動作を両手ですれば、目を眇めて険しい顔をして、読み上げる。
「ロゼット、元気にしてるだろうか。この国とシャルル様の国の争いは避けられないみたいだ。すべてお前のせいだが、お前が謝ってくれば考えてやらないこともない。ジョセフィーヌに頭をさげて、自分が悪かった許してくれとだけ言えば良い。ジョセフィーヌだって悪気はないんだ。寛大な私は許してやろう。私とてお前の言葉に傷ついたのだから。……これ以上読み上げる必要は、なさそうだな」
「ガロン……同情ありがとう。……どうして、あたくしが頭をさげる前提なのでしょうね」
「これは…………憶測だが、姫さんのことを…………自分の持ち物だと、未だに考えているのだろう…………気分転換しないか、姫さん」
「あら、なにかしら」
「秘密をおしえてあげる。俺の秘密…………」
ガロンは妖しく笑ってから閃光を放てば一瞬で、天狼の姿になる。
大きな体はあたくしたちの三倍はありそう。
ぐるると鳴きながら、ガロンはあたくしに顔を寄せる。
「背中に乗って飛んでみないか…………」
「よろしいの?」
「姫様! 危険ですよ!」
「あらこれくらいこの国にいるなら体験しておいたほうがいいことよ。大丈夫、女は度胸というでしょう、リリー」
ガロンはあたくしの言葉に笑って、乗りやすいように身をかがめた。
あたくしは横座りで、天狼のふさふさで柔らかい毛に捕まると、ガロンは空に飛び立った。
「姫様!」
「夕飯の頃には戻るわ!」
あたくしとガロンは空に飛んでいき、ガロンの翼が綺麗に軽やかにばさりばさりと羽ばたき。
そのたびに尻尾が揺れて、柔らかい。あたくしは毛並みに顔を埋めて、癒やされる。
遠くの方を見れば、天狼の像がある。数だけで言えば、シャルル様の像より多い。
気づいたガロンが笑った。
「俺はこの国の守護神なんだ。文字通り。フェンリルという神獣なのだが、俺は…………昔、シャルルに助けられたんだ」
「まあシャルル様が?」
「あいつは飢え死にしそうな俺に…………自分の腕を切って、俺に与えた…………。力が回復してから、俺はあいつの腕を再生させたが…………肉は俺の種族には大事な命でな」
「でも……どうして鳥でも魔物でもなく自分の腕だったのかしら」
「…………その場には、他に生き物がいない地域だったからだ……時間もなかった。魔王を倒す旅の途中だったから、ついていったんだ…………」
「魔王を倒した後は、沢山喜ばれたのでしょう?」
「…………それがそうでもない。シャルルは他の道もあったんじゃないかと。魔王を倒したことを、ずっと嘆いていた…………会話が通じるタイプだったのが、最悪だったな、あいつには」
「まあ……魔王だから倒しても宜しいのに、悪は倒されて当然よ」
「…………そうなのかな。だとしたら…………いまのシャルルも、いつかは倒されてしまうな」
「大丈夫よ。あたくしがいる。あたくしがあの人を普通にする」
「…………確かに俺たちはあんたに期待している、けれど、無理しなくて良い…………」
「無理なんかじゃないわ。あの人は恩人だもの」
「そうじゃないな、言い方が悪いか…………願われて恋をするのではなく。あんた自らの、恋心であればいいな、ということ……」
「…………ずいぶん優しいのね、天狼様は」
「神は人間を愛するものだからな…………」
ガロンは穏やかな声で告げれば、少し山の方に向かって、山頂に腰を下ろした。
あっという間に山頂だなんて、ずいぶんな贅沢だこと。
すっかりあんな嫌な手紙のことを忘れる。
……嘘。忘れられない。やっぱり、ちょっと、傷ついたの。
いつかは分かってくれると思ったのに。自分が傷ついた、の主張を先にするなんて。
「ガロンは恋をしたことがある?」
「姫さんはしていたんじゃないのか……あの、変な手紙の王子に」
「……そうね。していたはずなのに、懐かしい感情過ぎて思い出せない」
「姫さんは…………愛の種類を知っているか」
「愛の種類?」
「人の愛には種類がある。遊戯のようなものや、色気に反応するものや、家族に思うようなものや、友人にむけるもの…………自分を愛する愛もある……」
「ふふ、そうね。陛下にはそれなら、友人に向けるようなもののほうが可能性ありそうね」
「…………あんたがいるだけで、シャルルは幸せなのだから。あとは、あんたがあいつの地雷を踏まなければそれで、俺らは十分幸せなんだ。夢を見ていられる……あいつだって普通なんだ
という夢を」
「…………ガロンはどんなシャルルでも見放さないの?」
「人は変わっていく者だから……どんなあいつでも、あいつが俺を助けたのは確かだし、世界を救ったのも変わらない。なら、ついていくだけだ……世界中があいつを嫌っても」
「それって何だか素敵な信頼ね。貴方たちの陛下への思いには、頭が下がるわ」
本当に。すごく素敵な夢物語を聞いてる気持ちなの。
いっそのことアルティスに詩を書いて欲しいくらいに。
でも形にした方がチープなものになりそうで、あたくしは目に見えない形だからこの人たちの思いをとても愛してるのだと思った。
「ガロン、あたくしはね、本当に我が儘な女よ」
「それでもシャルルが選んだのなら悪名高くてもあんたが王妃に相応しい…………」
「国民の生活より、ドレスやお菓子を選んでも? それはきっと本来の陛下のお望みではないはずよ」
「…………女の我が儘は、男の甲斐性だ。あいつらより、あんたを優先するのなら。あいつに人間らしさが宿った意味になる。大歓迎だ」
「そんなこと言ってられるのは、あたくしをどんな女か知らないからよ」
「そうだな…………でも、本当に必要がなければ、シャルルが斬り殺すだろう。それがないのなら、あんたは必要なんだ。この国が滅んでも、あいつには必要な人だ」
「不思議な人ね。まるで国が滅んで欲しそうにみえるわ、守護神なのでしょう?」
「…………大事な人を嫌う人なんて、見たくないだろう? それでも大事な人は守れと言うから、守るだけだ……。俺が守りたいのは、城にいる人たちだけだ」
「……まるで失恋ね」
「…………雄と雄は結ばれないから違うぞ、ロゼット。不名誉だ」
あたくしが笑うと、ガロンも釣られて笑った。
夕飯を過ぎた頃合いに帰れば、拗ねて癇癪を起こしたシャルルの機嫌取りに、少しだけ苦労したのはおまけ話。