87.二年生で三回生
学園に入学して二年目、通算で三学期目--三回生となった。
初々しい新入生の投稿風景を見てから、マーマリナは隣にいるバジゴフィルメンテの顔を『見上げた』。
「男性の成長期は遅いと聞きますけれど、一年で一気に大きくなりましたわね」
マーマリナの声を聞いて、バジゴフィルメンテは下向きに顔を向ける。
その顔つきは、一年前の美少女顔ではなくなっていたが、中性的で均整の取れた美顔に変化していた。
むしろ大人の色香が加わり始めたことで、妖しい魅力があるようにすら感じられる。
この顔面を悪用したら、どんな女性でもイチコロだろうと、マーマリナなんかは思ってしまう。
しかし当のバジゴフィルメンテは、そんな気が一切ないという心の内が分る、無邪気な笑顔を浮かべてくる。
「まだ成長痛が関節にあるから、もう少し体が大きくなりそうなんだ。それまでは、あまり体力づくりもできないんだよね」
「それは『治癒師』の判断ですの?」
「王都の下町に住む『医者』の判断だよ。体の成長に関する話は、『医者』や『薬師』の方が的確っていう噂でね」
「『医者』の判断なら合っているはずですわね。なにせ辺境の助け手ですもの」
魔法で何でも治してしまう『治癒師』に比べ、『医者』は器具や薬草を必要とする。
そのため『医者』は、同じ人を治す天職にも関わらず、一段低い立場に置かれている。
だから『治癒師』が行き渡っている場所――神に祝福されて安全な土地では、『医者』の活躍する場所は平民の中でも低所得者の区域になりがちだ。
しかし辺境では、立場が変わる。
『治癒師』は魔法で治すため、一日に回復できる人の数が限られている。
逆に『医者』は、天職が齎す技術と知識で治すため、体力と時間が許す限り人を助けることが可能だ。
それゆえに、大量の怪我人が出ることがままある辺境では、『治癒師』は最後に頼るべき先で、『医者』こそが最初に頼るべき助け手であるという認識が強くなっている。
そんな『医者』の存在を思い出して、マーマリナはついつい自分の胸元に目を向けてしまう。
身長は多少伸びたのに、一年前から全くといっていいほど成長していない、ぺたんこな胸元に。
その視線に気づいたらしき、マーマリナの侍女のチッターチが口を開く。
「体の悩みは『医者』に聞けと言いますが、お嬢様のナイムネを大きくする方法があるとは思えません」
「んな、なな!」
「だって、そんな方法があるのでしたら、世の中の女性は皆さん胸が大きいはずですので」
「なな、なんてことを、学園の道の上で言ってますの!」
マーマリナが気恥ずかしさから顔を真っ赤にして怒鳴ると、二人の後ろから笑い声が。
マーマリナが後ろを振り返ると、そこにはアマビプレバシオンが無表情の侍女を連れて立っていた。
アマビプレバシオンは、新入生のときから絶世の美女で巨乳だった。
学園に入学して一年経った今、その美貌は更に磨かれていて、さらには大人になりかけの少女特有の艶やかさが加わった。そしてなによりマーマリナが気になっているのは、さらに彼女の胸元が成長していること。
「なに笑っているんですの! 持てる者の余裕というわけですの!?」
マーマリナが僻みから声をかけると、アマビプレバシオンはきょとんとした顔になる。
「マーマリナ様とチッターチさんの掛け合いが微笑ましかったのですが、余裕とはなんのことです?」
嫌味なく、心から不思議そうにしている、アマビプレバシオンの様子。
それが演技でない事は、マーマリナは一年の友誼から判断可能だった。
マーマリナは、途端に自分の感情がむなしくなり、溜息を吐き出した。
「はー。なんでもありませんわ。それより、新学園長にお呼ばれしていることを考えねばなりませんわね」
マーマリナの話題転換に、バジゴフィルメンテとアマビプレバシオンも真剣な表情になる。
「新学園長の人事は、アマビプレバシオンのお兄さん――アビズサビドゥリア王子がしたんだよね?」
「はい。前学園長の思考では、これから先の学園を担わせることはできないからと」
「そうなんだ。前学園長も、無能って感じはなかったけど?」
バジゴフィルメンテの評価する言葉に、マーマリナは本気かと疑う目を向ける。
アマビプレバシオンも、様子見半分、疑問半分という目を、バジゴフィルメンテへ向けている。
しかし当のバジゴフィルメンテは、二人からそんな目を向けられる意図が分かっていない顔をしていた。
なのでマーマリナは、恐る恐る前学園長に関する話題を、バジゴフィルメンテに振ることにした。
「前学園長は、バジゴフィルメンテ様の新しい教育方法を目の敵にしてましたこと、お分かりですわよね?」
「唐突に新しいことを始める人がいたら、警戒するのは当然だよ?」
「わたくしたちが教育法を広めようとすることを、あの方は妨害していましたわよね」
「成果が出るまで様子見する期間を設けることぐらい、教育者としては当然じゃないかな」
「……アビズサビドゥリア王子は、バジゴフィルメンテの教育法が有用と考えて、前学園長を排除したと、わたくしは考えますわ」
「あー、そういう流れだったのか。それじゃあ、前学園長には悪いことをしちゃったかな。従来の方法も、間違ってはいないんだよ。さらに強くなろうとするのなら、脱却が必要なだけで」
バジゴフィルメンテの全く気にしていなかったという様子に、マーマリナは気疲れを感じた。
この一年でマーマリナは把握したのだが、バジゴフィルメンテは色々と無頓着な面がある。
特に、バジゴフィルメンテの存在や行動が周囲に与える影響についてに限ると、ほぼほぼ彼自身は気にしない。
今回の前学園長の更迭についていうと、バジゴフィルメンテは事情や背景を承知していても、それが自分の行いの所為だと結びつけて考えない。
別の礼を出すのなら、バジゴフィルメンテの助言で、ある生徒の技量が飛躍的に伸びても、それはその生徒の頑張りだからと自身の功績とは考えない。
以前に関係を持った利き腕が仕えなくなった鍛冶師が、マーマリナの実家の領地に移り住んで元気に働き始め、そのお礼の手紙をバジゴフィルメンテに送ってきた。それについても、バジゴフィルメンテは鍛冶師の努力とマーマリナが勧誘したからだと、自分にお礼の手紙が来ることを不思議がっていた。
(バジゴフィルメンテ様は、教えたり導くことを目的にしても、その後についてくる人からの感謝や尊敬は求めていないということなのでしょうけど)
人は、誰かに何かをしたら、つい見返りを求めてしまうもの。
そういう考えが、バジゴフィルメンテはスッポリと抜けている様子なのだ。
(でも、他人に期待していないという様子でもなく、ご自身の行動による影響で起こったことに対して無視を決め込むという様子でもなし。むしろ、バジゴフィルメンテ様は、自分の力で確実に変えられることは、ご自身の事のみと考えている。そんな気配がありますわ)
自分の力で他人を変えることは出来ないという考えがあるから、他人や周囲の環境が変わった際に、自分の影響だという考えに結びつかない。
マーマリナは、考えがそこまで至って、ようやくバジゴフィルメンテに対して一つ納得できた気がした。
「ともあれ、わたくしたちは新学園長に呼び出しを受けてますわ。はやく行かねばなりませんわよ」
マーマリナは、長い間つかえていたものが取れた気分で、バジゴフィルメンテとアマビプレバシオンを先導するように、学園長室への道を先頭で進んでいった。




