76.夜のひと時
魔境の森を初体験した、バジゴフィルメンテ一派の生徒たち。
魔物と連戦した疲れ、無事帰還した喜びからの興奮、魔物を冒険者組合に売り払った金で飲み食いして満腹。
それらの状況が組み合わさり、夕食後には生徒のほとんどが宿屋のベッドの上で熟睡していた。
その中でマーマリナは、地元で魔物討伐の経験はしてあったため、多少の心身の疲れは感じていたものの、眠りに落ちることはなかった。
同室の他の女生徒たちを起こさないよう、マーマリナは部屋を出る。そして防犯目的で部屋の鍵を閉めた。
「もう少し体を動かせば、眠れるかもしれませんわね」
そう考えて、マーマリナは宿屋の裏手へ。冒険者組合が勧めた宿だけあり、冒険者が自己鍛錬できる空間が、宿屋の裏手に作られてあるのだ。
その宿屋の運動場所に行ってみると、既に先客がいた。
バジゴフィルメンテが双剣を操り、空中へと連続の素振りを行っていた。
バジゴフィルメンテは双剣での連続斬りを決め、剣の動きをピタリと止める。その後で、普段通りのニコやかな顔を、マーマリナに向けてきた。
「マーマリナも運動したいのなら、場所を開けるよ?」
「いえ。バジゴフィルメンテ様に譲りますわ。わたくしは、訓練風景を見ることにします」
「見取り稽古ってわけかな?」
「そうですわね。バジゴフィルメンテ様の動きは、参考になりますので」
それならと、バジゴフィルメンテは剣振りを再開させる。
マーマリナが見るに、バジゴフィルメンテの動きは、完璧だ。
軽く剣を振るっているように見えるのに、あの剣の軌道の上に体があったら両断されると確信できる鋭さがある。
体の動き――挙動の接続も滑らかで、どこからどこまでが一挙動かが分らないほどだ。
しかしマーマリナにはそう見えても、バジゴフィルメンテ本人は違うらしい。
ときどき、挙動を巻き戻して、再び同じ行動を行うことがある。
その前と後の動きは、マーマリナの目でも違いがあると分る。しかし、どちらが正解なのかまでかはわからない。
だからつい、マーマリナは疑問を口にしてしまった。
「バジゴフィルメンテ様は『剣聖』を掌握なさったと公言しておいでですけど、やり直したりなさるんですわね」
マーマリナは、未だに自由自在に、天職の力を自力で発揮することができない。
そんな自身が遅れているという気持ちから、少し皮肉めいた口調になってしまった。
しかしバジゴフィルメンテは、気にした様子もなく、平然とした口調で疑問の答えを口にする。
「剣の道に終わりはないよ。むしろ、『剣聖』を掌握し終え、それを超えようとしているからこそ、気づく修正点っていうものがあるんだよ」
「超えるための修正、ですの?」
マーマリナは、意味が分らないと眉を寄せる。
バジゴフィルメンテは、剣振りを止め、マーマリナに向き合う。
「僕が『剣聖』が示す動きに従わなかったことは、知っているよね?」
「その決断の所為で、不適職者と親から見做されたんですわよね」
「僕の考える動きと、『剣聖』が伝える動きは違った。だから僕は、自分の動きこそが正しいと証明するため、天職に身を預ける方法ではなく、完璧な動きを実現することで天職の力を引き出す方法を編み出した」
「知ってますわ。その話と、先ほどの話に、なんの繋がりがあるんですの?」
「この話を聞いて、僕が『剣聖』を受け入れていなかった、っていう誤解を抱いてほしくないんだよ」
話を聞くに、バジゴフィルメンテは『剣聖』に歯向かっていたのは本当のことではないか。
マーマリナは、そう疑問に思った。
しかしバジゴフィルメンテに言わせると、それは違うらしい。
「『剣聖』が教える動きは、剣士の動きの正解の一つ。ただし僕自身も、剣士の動きの正解の一つを、自分で生み出していた。だから、どちらも正解ではあるんだよ。僕が『剣聖』の動きを嫌ったのは、あくまで好みの問題なんだよ。例えば、パンを食べるとき、千切ってから口に入れるか、そのままかぶりつくか。そのぐらいの差でしかないんだ」
「うーん。よくわかりませんわ」
「それなら――『大賢者』の先輩が選択する行動に困るほど、正解な行動は無数にあるってだけ納得して」
それだけならと、マーマリナは頷いた。
理解してくれたのならと、バジゴフィルメンテは話を先に進める。
「『剣聖』が教える正解の動き。その動きは、僕の好みじゃなかった。けど、正解な動きには変わらないから、僕好みの動きに変換する参考にはなる。これはわかる?」
「シェフは塩を抑えた料理を至高の一品だと出してきても、わたくしは運動で汗をかくので塩気の強い味の方が美味しい。そんな感じで合ってますかしら?」
「もしくは、具材の切り方や、煮込みや焼き時間の長短、みたいな感じだね」
その程度の差であれば、確かに参考にできるだろうと、マーマリナは納得した。
「『剣聖』の動きの一部を参考にしたから、バジゴフィルメンテ様はご自身が理想とする動きを手早く修めることが出来たわけですの?」
「僕の感覚としては、『剣聖』は僕の先を少し行くライバルみたいな存在だったよ。張り合う相手で、追いつけ追い越せってね。で、僕は学園に来る前に、『剣聖』の技量を追い越してしまった」
嫌味なく、事実だけを口にしている様子の、バジゴフィルメンテ。
あまりの天才っぷりに、マーマリナは閉口する気にすらならなかった。
「ある意味で『剣聖』を目標にし、それを追い越してしまったわけですわね」
「ある種、道しるべを失ったようなものだよ。だから僕は、新たな道を探し、さらに先へと行くため、現在は色々と足掻いている最中なんだ。他の天職の動きを参考にしたり、魔法を学んでみたりね」
「腕が使えなくなった鍛冶師に会いにいったのも?」
「別の方向から剣について考える助けになるかなって思ってね。もちろん収穫はあったよ」
学園に入ってからのあれやこれやな騒動も、バジゴフィルメンテとしては剣の道を究めるための行動だったんだろうなと、マーマリナは納得した。
「そういえば、魔法は使えるようになりましたの?」
「僕が行く道は、剣の道だからね。手から火の玉や突風を出したりするんじゃなく、剣から魔法を出す方向で考えているんだ」
例として、バジゴフィルメンテはその場で片方の剣を空中で何度か振るった。
その後で、宿屋の裏地の棚に入っていた薪を取り出すと、空間へと投げた。
薪は空中を飛んで進み、先ほどバジゴフィルメンテが剣を振るった場所に差し掛かり――八つに切り分けられて地面に落ちた。
まるで手品のような光景に、マーマリナは呆気にとられた。
しかし話の流れから、今の現象はバジゴフィルメンテの魔法なのだと理解した。
「いまのは、どういう魔法ですの?」
「僕の剣の軌跡をその場に残す、風の魔法だよ。切れ味が残る時間が数秒と短いから、使いどころが難しい――まあ、大道芸みたいなものだね」
「いやいや。罠として使える魔法ですわよ!?」
突っ込んでくる魔物の前に、この魔法を置いておけば、魔物は切り裂かれて死ぬ。その『空間に残った切れ味』が見えない点も、罠として有用だ。
しかしバジゴフィルメンテは、首を横に振る。
「攻撃するのも、これで罠をはるのも、剣を振ることは変わらないよ。それなら、近づいて剣で仕留めた方が、楽じゃない?」
「あのですわね!――」
マーマリナは反論しようとして、あることに気づいて肩を落とす。
マーマリナが、この魔法を使えれば、見えない罠としてだけではなく、近づく敵の足止めにも使うことだろう。
しかしバジゴフィルメンテの剣の腕であれば、目にも止まらぬ斬撃を放つことも、近づいてきた敵を逆襲して倒すことも簡単だろう。
「――バジゴフィルメンテ様には、使い道が乏しい魔法なのですわね。そしてバジゴフィルメンテ様以外に、剣と魔法を両立する者は居ないですわね」
「『剣術師』なら、剣と魔法を操れると思うけど?」
「訂正しますわ。バジゴフィルメンテ様と『同じ技量で剣と魔法を扱える』、そんな方は現れないはずですわね」
マーマリナは溜息を一つ吐くと、バジゴフィルメンテの前に進み出て、構えを取った。
「わたくしも、少し体を動かしたくなりましたわ。お相手してくださるかしら?」
「じゃあ、素手同士で」
バジゴフィルメンテは剣を宿の壁に立てかけると、マーマリナと同じ構えを取った。
すっかりとバジゴフィルメンテに『蹴拳士』を覚えられてしまったと感じつつも、マーマリナはバジゴフィルメンテを競り合う相手だと意識しながら手合わせを行うことにした。