71.ノードンジ
王都北に位置する辺境、ノードンジ。
王都から徒歩で五、六日という近くにある魔境であるため、王都が現在の位置に遷都してから、常に最重要開拓地域に指定されてきた場所である。
遷都から長い歴史を持つ土地なのだが、それは逆を返せば、この土地の魔境の開拓は一切進んでいない――少し開拓しては直ぐに魔物に土地を奪い返されることを繰り返して、今日まで来ているわけである。
一進一退と言えば聞こえは良いが、実情は成果と変化の乏しい土地ということ。
そんな土地柄のため、ノードンジを共同で治めている複数の男爵家とその家来は不変に慣れきってしまって、自ら魔境に変化を起こそうという気概を持っていない。
冒険者も、一旗揚げることを夢見る者は、順調に魔境を開拓している場所――昨今で言えばコリノアレグル辺境伯領へ行く傾向が強い。
そのためノードンジのような変化の少ない場所に集まる冒険者は、引退間近な年齢になった熟練者と、日々の糧を得られればそれで満足といった志低い者ばかりになっていた。
そんな血気盛んな者がいないことで冒険者間での争いが起こらないため、ある意味でここの冒険者組合は、他の場所と比べて平和である。
レシアは、ノードンジの冒険者組合の受付嬢の一人。
生まれも育ちも、王都北の魔境に接する、この辺境の町。授かった天職が『事務員』で、母親が元受付嬢だった縁もあり、冒険者組合に就職した。性格もこの街に合わせたように、大きな変化は望まず、いつも通りの日常が続けばいいなと考える、そんな女性である。
今日も一日、住民から持ち込まれる依頼を書類にしたり、魔境から冒険者たちが持ってくる物の換金作業をしたりして過ごしていた。
夕方になり、あと少しで終業時間になるというところで、組合の出入口が大きく開かれた音がして、目を向けた。
レシアの視界に映し出されたのは、出入口を潜ったばかりの、十代の男女が十数人。
先頭を歩くのは、冒険者風の格好をしている、黒髪で美少女に見える顔立ちの美男子。
直後に続くのは、手足を武器にする冒険者の格好をした赤い短髪の少女と、仕立ての良くて動きやすそうな上半身鎧とズボン姿の金髪美少女。
そんな目を引く三人の後ろに、装備している武器や鎧の幾つかに共通意匠が窺える、同年代の少年少女たちがぞろぞろと。
昨日までは居なかった少年少女たちの登場に、建物内で出くわした冒険者の多くが顔を顰める。
青を顰めた者たちは、この少年少女たちに日常の変化を感じ取り、それを嫌がったのだ。
少なくとも、レシアはそう見えたし、自身も眉を寄せてしまっていた。
しかしレシアは、時期を思い出し、寄せていた眉を元に戻す。
(学園の新入生が課外授業でやってくる頃だもの。先頭の三人――いえ、あの豪華な鎧の少女が筆頭で、その他の二人が護衛。後ろの一杯いる人たちは、配下ってかんじかな)
そう予想しながら、建物内に入ってきた少年少女の接近を待った。
レシアのいる受け付けにやってきた、彼ら彼女ら。
すると、先頭にいた黒髪の美少年が口を開く。
「これから数日、この町に厄介になるんだけどさ。この人数が泊まれそうな宿屋ってない?」
綺麗な見た目とは違い、冒険者らしい、ざっくばらんな口調。
レシアは返事をする前に、こっそりと視線を動かして、目の前の少年の格好を見た。
使い古された革鎧を着て、使い込まれて古びた青銅剣と多少のくたびれが見える鉄剣を腰に吊るしている。
その格好と口調と見た目の年齢から、新米を脱却したばかりぐらいの冒険者だろうと予想を立てた。
「宿って、全員で同じ宿にする気?」
明らかに一人だけ毛色が違う美少女の存在がある。
その美少女に視線を向けながらレシアが問いかけると、美少年は大きく頷き返してきた。
「同じ宿『が』良いんだってさ。同じ派閥だから、泊まる宿も同じにしたいんだって」
本当かなと、レシアは美少女を改めて見る。
すると少年の言葉を肯定するようにニッコリと微笑まれてしまい、危うく同性なのに一目惚れしそうになった。
レシアは身の危険を感じて視線を少年の方に戻す。
「そちら全員となると、数が限られるかな。男女別の方がいいだろうし」
レシアが考えるように、彼らが王都の学園の生徒だとすると、貴族の子供か希少天職を授かった平民の子かだ。
装備から見て美少女以外は、貧乏貴族の子供か平民の子だろう。
でも一応は学園の生徒なのだから、余りに安い宿屋は案内しにくい。
かといってお値打ちな宿屋の部屋は、既に冒険者で埋まっていることが多く、十数人も泊められる空き部屋の数はない。
それなりの値段で、値段相応かつ、人数が多い男子たちが泊まれる大部屋と、数少ない女子が泊まれる小部屋に空きがありそうな宿を考える。
「おススメできる宿屋は二件あるよ。どちらも教えるから、自分で空き部屋があるか確認して」
この冒険者組合建物を中心に、どこに宿屋があるかを、レシアは伝えた。
少年は一度で覚えられたようで、レシアが伝えた道順を、完璧に暗唱し返してきた。
「――この二件だね。行ってみるよ。ありがとう」
お礼を言って去ろうとする少年に、レシアはある直感を抱いて呼び止めた。
「ちょっと待って。余計なお世話だと承知してるけど、貴方たち――学園の生徒たちには、あまり魔境で暴れて欲しくなんだよね」
少年は、レシアの言葉が意外だという表情になる。
「森で暴れること――辺境を開拓することこそが、冒険者の役割だよね?」
「理念の問題じゃなくて、現実の問題よ。変に魔物の縄張り刺激したら、余計な怪我人が増える」
「冒険者が魔物に襲われてケガするのは、普通のことだと思うけど?」
「怪我無く済ませるのが一番でしょ。貴方だって、ロクに怪我しているようには見えないけど?」
レシアが、少年の体に古傷らしい痕が一切ないのを見て、皮肉を込めた言葉を放った。
すると、少年ではなく、その後ろにいる二人の少女が耐えきれなかった様子で笑い声を漏らした。
「ぷふっ。確かに、バジゴフィルメンテ様の体には、傷一つありませんでしたわね」
「ふふっ。訓練でも傷を負いませんものね」
内容が変な小声を交換する二人に、レシアは疑いの目を向けた。
しかし直ぐに、少年の言葉に目を向け戻すことになる。
「残念だけど、そのお願いは聞けないね。後ろにいる人たちに、魔物と戦わせる経験を積ませる予定だし」
「いや、だから」
「模擬戦なんかの訓練ばっかりじゃ、魔物の危険具合と、個々人の実力がどの程度かわかりにくいからね。大丈夫、冒険者流の戦い方をやらせるからさ」
「そういう心配をしているわけじゃ」
二人がやり取りをしていると、横に人影が立つのが視界に入った。
レシアが顔を向けると、それは長年ノードンジを拠点に活動している、古株の冒険者の一人だった。
「おい坊主。人の忠告は聞くものだぞ」
老齢に差し掛かった冒険者特有の、ひび割れてしわがれた声。
少年はそれを聞いて、首を傾げ返した。
「それは、なにに対する忠告だい? 僕の身を案じての言葉なら、余計なお世話だ。君らの身や立場を慮れという言葉なら、弱い君らの立場など、僕の知ったことじゃないね」
少年が啖呵を切り終わった瞬間、古株の冒険者が拳で少年を殴りつけた。
この町の冒険者は、立身出世を望まない志低い者ばかりとはいえ、冒険者は冒険者だ。
年若い者に舐められたとあっては面子が立たないと、拳を振るうことを躊躇わない。
(調子に乗って。馬鹿な子だ)
殴られた少年を見て、レシアはそう思った。
しかし同時に、違和感を感じていた。
殴った冒険者は、古株だからこそ、大の大人だ。
一方で殴られた少年は、学園の学生らしく、まだ体は成人に出来上がっていない。
だから本来なら、冒険者に殴られた少年は、その体格と体重の差から吹っ飛ぶはず。
しかし少年は、古株の拳を横顔で受け止めているものの、その場に立ったままだ。
道理が合わない光景に、レシアは混乱しそうになる。
殴った古株冒険者の方も、困惑したような声を出す。
「こいつは!?」
思い当たったことがあるが、確証を持てないといった声色を発した、古株の冒険者。
そんな彼の拳を、少年は顔から払った。そして大きな笑顔を向けた。
「天職の力を発揮している者に、天職の力を発揮できていない者の攻撃は一切通用しないことは知っているでしょ。だから無傷ですんだけど、一発もらったからには、一発返さないとね。冒険者らしく」
レシアの視界の中で、少年が思いっきり踏み込んで、渾身の右の突きを放った。
その突きは古株の腹部に命中した。
「ごぼば!?」
悲鳴を上げながら、古株の冒険者は後ろへと大きく吹っ飛び、他の冒険者数人を巻き込んだ。
その光景に、建物内がシンと静まり返った。
しかしそこに、少年の底抜けに明るい声が響いた。
「安心して。天職の力を込めて殴ってないから、死んでないからさ」
少年の言葉通り、古株の冒険者は白目を剥いて失神しているものの、呼吸はちゃんとしていた。
その事実に、周囲の人たちは安心すればいいのか、それとも少年を警戒した方がいいのか、悩む顔になる。
そんな表情を知ってか知らずか、少年は笑顔の向きをレシアへと変えた。
「宿屋の情報ありがとう。明日からの数日、騒がしくしちゃうと思うから、あらかじめ謝っておくよ。地元とは違う魔境ってどんな場所か、楽しみなんだよねー」
少年はニコニコと笑いながら、入ってきたのと同じように、少年少女を引き連れて建物から出ていった。
「……もう、なんなのー」
予想外に強い少年の実力と、その少年がこれから暴れると宣言したことを受けて、レシアは平穏な日常が遠ざかっていく音が聞こえた気がした。




