68.行進中
そしてどの目も、子供の成長を見守る親のような、ほの温かいものばかり。
あまり大量に向けられることのない種類の視線が、今日に限っては、バンバンと向けられる。
そのことに、マーマリナは落ち着かない気分だ。
そして、近くにいる人と、この気分を共有できないことも、一向に気持ちが落ち着かない理由になっている。
「バジゴフィルメンテ様もアマビプレバシオン様も、なぜ平然とできてますの?」
そうマーマリナが言葉を向けると、バジゴフィルメンテとアマビプレバシオンはお互いに顔を見合わせる。その視線で話す順番を決めたようで、先にバジゴフィルメンテが口を開いた。
「僕の場合は、気にする理由がないからだね。視線だけで人が傷つくことはないんだから、警戒する必要はないでしょ?」
まったくもって戦闘強者らしい言葉に、マーマリナは内心で『この戦闘と剣の申し子め』と悪態を吐く。
しかし内心を顔には出さないまま、アマビプレバシオンの返答を待った。
「私の場合は、人の目に慣れているだけですよ。物心つくより前から、人の目が常にある生活でしたから」
「この大量の視線に怖気づかないほど、人の目が常にあるんですの?」
「乳母、使用人、護衛は常に横にいる感じです。身近に侍るのが侍女一人だけになったのは、学園の寮に入ってからです。寮の部屋を使えるのは、学生本人と使用人一人だけという規則のお陰で」
そんな複数人に常に見られ慣れたため、街道の脇に集まった野次馬の視線などは、程度の差でしかない。
そんなアマビプレバシオンの説明に、マーマリナは感心してしまう。
「わたくしは、むしろ視線があると落ち着きませんわ。辺境で視線を感じるということは、騒動の元なことが殆どですもの」
「騒動ですか?」
アマビプレバシオンの問い返しに、マーマリナはげんなりとした顔をする。
「こちらを子供と侮って絡みにくる、脳の足りない冒険者。地形の陰に隠れて、こちらの様子を窺っている魔物。辺境で不意に感じる視線とは、そんなロクでもないものばかり。ですから視線を感じたら、即座に行動することが求められるんですの」
マーマリナの言葉に、別地方ながらも辺境出身であるバジゴフィルメンテも同意する。
「過敏な冒険者の中には、視線を向けてきた人を威嚇する人もいるほどだもんね。なに見てんだって、凄んでくるんだ」
「得てして、そういう気が立ちっぱなしな冒険者の、その腕は悪いことが相場ですわね」
「辺境のお話。興味深いです」
アマビプレバシオンの興味津々という目に吊られて、マーマリナは辺境の話題を口にしようとする。
しかし直前で、そんなことを喋っている場合じゃないと思い直した。
「二人とも。わたくしたちは、いま王都の中を行進中ですのよ。人の目もあるのですから、立派な態度を取りませんと」
マーマリナの真面目な様子に、バジゴフィルメンテが苦笑いを浮かべる。
「この隊列を見て言っているのなら、マーマリナは現実を直視した方が良いと忠告するよ」
「それは、どういう意味ですの? 単純にわたくしたちが列の一番最後というだけのことじゃありませんの」
「いや、たしかに列の最後って部分は合っているんだけど」
バジゴフィルメンテが、どう説明したものかと悩む顔になる。
すると、説明が難しいと見取った様子で、アマビプレバシオンが説明を引き継いだ。
「この隊列は、先頭を馬に乗った騎士五人。次に兵士一小隊の二十人。その後に、従来の学園教育を受けている生徒たち、貴族生徒の世話人が乗る箱馬車、騎士と兵士の糧秣を乗せた荷馬車ときて、最後に私たち――バジゴフィルメンテ様の練習法を学んでいる生徒となってます」
「たしかに、その並びになってますわね」
「この列の最後尾にいる生徒というのは、例年ですと、学園に入学して一ヶ月を超えた時点で落ちこぼれてしまった、いわば落第生の立ち位置なのです」
「はぁ!? 落第生!?」
マーマリナが驚きから声を上げると、マーマリナは落ち着かせるように微笑みを向けてきた。
「あくまで、例年はですよ。今回は、学園内での成績は関係なく、私たちが属する派閥の面々だけが配置されています。だから決して、私たちが落第というわけではありません」
「でも、例年は落第生が置かれる場所なのですわよね? なら周りからは、わたくしたちが落第生だと思われるってことじゃありませんの!?」
マーマリナが悲痛な声を上げたところで、バジゴフィルメンテが首を傾げる。
「学園に関係ない人に何と思われようと、どうでもよくない?」
「よくありませんわ! 誤解は正さねばいけませんわよ! わたくしたちの、貴族としての面子に関わりますわ!」
「えーっ。他人の評価に振り回されるなんて、馬鹿らしいだけだよ。大事なのは、誰に何を思われても何を言われても、自分自身の理想に真っ直ぐ進むことだと思うけど?」
自分第一主義なバジゴフィルメンテらしい主張に、マーマリナは絶句する。
一方でアマビプレバシオンは、二人の主張を聞いて笑顔になる。
「二人は、対照的に貴族的な考え方をしてますね」
対照でありながらも、同じ貴族とは、どういう意味か。
マーマリナが疑問顔を向けると、アマビプレバシオンが説明してくれた。
「マーマリナ様は、自家の面子を保つことを第一とする、普通の貴族らしい振舞いと言えます。しかしバジゴフィルメンテ様の、強者としての振舞いを周囲に見せつける態度もまた、多くの者を従える貴族的な仕草と言えます」
「それって、どっちがより貴族的ですの?」
「純粋に比べることはできませんよ。面子を保ち続けるために、騒動一つ一つを潰すか。振舞いと態度でもって、他者からの騒音を叩き潰すかの違いでしかありませんから」
「つまり、どちらの方法であろうと、結局は家の面子を保ことに繋がるというわけですわね」
マーマリナは納得したところで、バジゴフィルメンテに顔を向けた。
「バジゴフィルメンテ様は、わたくしと同じで辺境から出てきたばかりですわよね。それなのに、この列の最後尾に落第生が置かれることを、どうして知っていたんですの?」
立場が同じだから、知っていない方が自然なのに。
マーマリナがそう問いかけると、バジゴフィルメンテは首を横に振った。
「いや僕も、落第生云々の部分は知らなかったよ」
「えっ、でもさっき」
「僕が説明しようとしたのは、アマビプレバシオンとは別のこと。この隊列が、敵に襲われた際に、どこが被害を一番受けるかっていう話をしたかったんだよ」
急に剣呑な話題になり、マーマリナは半目を、アマビプレバシオンは興味深げな目になる。
そんな二人が続きを促し、バジゴフィルメンテは語り始める。
「隊列は一列になっている。だから襲撃者は、だいたい三ヶ所を襲撃目標と定めることができる。先頭、中腹、最後尾だ」
「そうですわね。襲撃者の立場として考えるのなら、街道の先に陣取って真正面からぶつかる。道の脇に隠れてから、列の横腹を伏撃する。追いかけて後ろから襲う。そんな感じになりますわね」
「その三つの攻撃のどれを食らっても、この最後尾が被害が一番大きくなると、僕は見ている」
「後ろから襲われるだけでなく、先頭や横腹を襲われてもですの?」
にわかに信じがたいと、マーマリナは首を傾げる。
先頭や横原を攻撃されたら、被害は攻撃された場所が一番大きいんではないだろうかと。
そんな浅知恵を否定するように、バジゴフィルメンテの説明が続く。
「まず先頭を襲撃者が襲ってきた場合だ。列の先頭は、突破力に優れる、馬に乗った騎士。敵が前に陣取っていると見たら、突撃して敵を混乱させようとするだろうね」
「そうですね。騎士の訓練は、そういう手順になっていたと記憶してます」
アマビプレバシオンの肯定を受けて、バジゴフィルメンテの説明の勢いが増す。
「騎士が突破して敵陣に穴が開いた。その穴を、兵士たちが後続の学生と馬車を守りながら突き進む。でも兵士の人数は限られている。守れる範囲は、恐らく糧秣が乗っている荷馬車まで。もしかしたら、糧秣は後で補充できるからと、襲撃者の囮として列から切り離すかもしれない」
「その荷馬車って、わたくしたちの前にある、アレのことですわよね? それを列から切り離したら」
「荷馬車の後ろに位置している僕たちは、残された荷馬車が邪魔になって、敵陣の穴が閉るまでに走り抜けられなくなりそうだよね。そして僕らは、兵士の守りはないわけだ。どう考えても、被害が一番大きくなりそうでしょ」
「せ、先頭の場合はそうでも、横腹は違うかもしれませんわよ」
「横原の場合だと、襲撃者の狙いは生徒たちか馬車かだ。どのどちらも、兵士が展開して守ることができる。そうして兵士が守っている間に、生徒と馬車は騎士に率いられて戦闘域から離脱する。でも列が前に移動するとなると、最後尾の僕らは自然と、兵士と襲撃者が戦う場所を通らないといけなくなるよね」
「戦闘時間を経るごとに兵士が倒れたと考えたら、わたくしたちが通り抜けようとするときが、一番危険な感じがしますわね」
「その通り。だから、どの場合の襲撃でも、僕らのいる最後尾が一番被害が出そうだなって思ったわけ」
「で、でも、襲撃があったら、最後尾は引き返せば――」
「この行進は、想定上でだと、辺境に魔物が侵攻してきたから、その応援に向かっているんだよ。その場合、派遣を命じるのは王様だ。ここで引き返しちゃったら、王命違反になるよ?」
つまり、襲撃が起こったら一番被害が起こる場所だからこそ、例年は落第生を配置しているのだと、マーマリナは納得するしかなかった。
「でも、そうすると、この配置を決めた者は不敬ですわね。ここには、王族のアマビプレバシオン様がいらっしゃりますのよ?」
攻めての意趣返しにとマーマリナが言うと、アマビプレバシオンは気恥ずかしそうな面持ちになる。
「そのぉ。王族の方を兵士のように歩かせるにはいかないからと、馬車に乗るように学園から要請があったのです。でも私は、皆さんと歩いてみたいからと、その要請を拒否して、ここにいるんです」
「つまり学園は、一応の配慮はしたってことですのね」
マーマリナは、これはもうバジゴフィルメンテ派閥が学園に目の敵にされていることが確定だと、肩を落とした。
そして、隊列一つでこれなら、これからの課外授業にどんな困難があるか分かったものじゃないと、気が気でなくなった。




