60.夫婦
変な来客があった日の夜に、アフティは工房の上階にある自宅へと戻った。
「ただいま」
「お帰りなさい。お夕食できてますよ」
そう笑顔で迎えてくれたのは、アフティの妻――ビャミだ。
子供が独立して、夫婦二人。そして、鉄肢症を患って、遅かれ早かれ親方を止めなければいけない身になった。
だからアフティ夫婦は、親方が住める広い部屋ではなく、見習いや単身者用の狭い部屋へと先に引っ越していた。
さっさと居住場所を後継に預けたことも、未だにアフティ夫婦が工房から追い出されない理由の一つ。
仮にアフティ夫婦を追い出したところで、部屋に住むのは見習いだ。
見習いは、将来の可能性がなければ、足手まとい。
同じ足手まといなら、親方を勤めて他の親方と繋がりを持つ、アフティの方がいくらかマシ。
アフティがいる利点がなくなるまでは、工房の新親方も職人も、この部屋に住むことを許してくれている。
そんな事情を思い返しながら、アフティは食卓に着いた。
するとすかさず、ビャミが手料理を並べてくれた。
アフティは製品作りができない。そのため、手取りも見習いに毛が生えた程度しか貰えない。
しかし夫婦二人の生活なので、節約すれば、満足に生きることは可能だ。
特にビャミは『調理家』の天職持ち。
食材から手作りすれば、食費は大幅に抑えられる。料理の際に竈に入れる燃料も、鍛冶場に所属する職人なら、誰でもタダで手に入る。
そのため、食卓の上に並んだ料理は、見習い程度の手取りに似つかわしくない豪華なものだ。
「あいかわらず、凄い腕だな。俺っちには真似できねえ」
「いやだよお。急に褒めるだなんて」
ビャミは照れ笑いしながら、身振りでアフティに食事をするように急かして。
アフティは笑い返しながら、左手に持っていたものを食卓に置き、そして木匙を持った。
並べられた料理は、アフティが左手だけで食べられるものになっている。
そのビャミの心遣いに、アフティは感謝しながら、まずはスープを飲んだ。
「出汁が利いているな。肉屋で骨をもらってきたのか?」
「骨は茹でれば出汁と油気が取れますし、骨についた肉を削ぎ集めて叩いて丸めれば肉団子にできますからね」
「出汁を取り切った後の骨は、炉で焼けば鍛冶の素材にもなるしな」
そして基本的に、肉屋で出る骨は廃棄物だ。タダで貰えるか、小銭で買えるもの。
節約料理をするには、なかなかに有用な食品だ。
骨を煮出すには長時間煮るため多くの燃料が必要になるが、鍛冶師の家族だから燃料問題もない。
さらに料理を見れば、勝ってきた野菜も全ての部位を使い尽くしていることが分る。
皮は丁寧に洗った後で剥き、細切りにすることで、炒め物になっている。硬い部分があっても、摺り下ろして具材に混ぜたり、スープで煮て柔らかくして、楽に食べられるようにされている。
そうした工夫が凝らされた料理を、アフティは有難く感じながら食べ進めていく。
そんな食事の最中、ビャミがアフティに疑問をぶつけてきた。
「あなた。その机に置いた金属板は、なにかしら? 新しいお弟子さんの作品?」
言われて、金属板の方を見やる。
包丁のような形になっているが、表面にハンマーの打面の痕がチグハグに刻まれている、ビャミが言うように習い始めの弟子が作ったものに見えなくもない。
アフティは、まあそうだよなと思いながら、真実を告げる。
「これは、俺っちが打ったんだ」
「あなたが?」
ビャミの驚きの表情は、アフティの右腕の心配と、作り出した製品の拙さの疑問も含まれていた。
アフティはそれを見取り、苦笑いする。
「右手でじゃなく、左手で槌を振るって作った。それも天職に身を任せずにだ」
「左手、天職――なるほどねえ」
ビャミは納得という頷きを見せた。
利き手じゃない方の手で、天職の力を借りずに作れば、拙い製品を作っても仕方がないという考えが見えた。
アフティも、当事者でなければ、同じような感想を抱いたことだろう。
しかし、この拙い出来の金属板には、アフティの希望が詰まっていた。
「とても酷い出来だ。でもな、たった一回だけ。俺っちが槌を振るった際に、天職の力を発揮出来た実感があった。それで確信した。俺っちは、右腕が鉄肢症に侵されても、左手で鍛冶師ができるってな」
将来の展望を語ったが、ビャミは半信半疑のようだ。
「勘違いではないの?」
「そうかもしれねえ。だから、明日から数日、本当かどうか試してみる。上手い事、鍛冶ができるようなら、貧民窟で暮らす以外の未来を進めるんだ。なんなら、子供たちが住む町のどこかに移住して、鍛冶師として再出発することだってできる」
ビャミは疑問は残りつつも、アフティの言葉を信じてみることにしたようだ。
「そうね。そうなったら嬉しいわね。でも、どうして左手で作ろうだなんて考えたの?」
「ウピート坊ちゃんが、不思議な子を連れてきてな」
今日工房であったことを伝えると、ビャミは呆れ顔を返した。
「それって、その貴族の子に恩を受けたってことじゃないの。その子に恩返しせずに済ませるの?」
「いや、だって。零れ話で、地元に鍛冶師は沢山いるって言ってたし、鉄肢病についても詳しかったしよお」
自分の力じゃ助けにならないと語ると、ビャミのあきれ顔が強くなった。
「別に、その子の地元に行って働くだけが、恩の返し方ではないでしょう。その子も貴族なのだから、鍛冶師が不足している土地の貴族と繋がりがあるはずよ」
「おおー! あの子の紹介で、俺っちが鍛冶師の少ない土地の貴族の下で働くようになりゃ、貴族があの子に貸しを作るってことになるな!」
流石は我が妻と褒めると、ビャミの呆れ顔に照れの感情が混ざった。
「それで、その貴族の子は、どこのどなたなの?」
「あー、自己紹介を受けたが、なんて名だったか。バジ、サンテ、プル、タン。バジゴ、サンテ、フロルタン……」
アフティは、いま思い出せる部分を口に出して繰り返す度に、少しずつ記憶が蘇ってきた。
やがて、全ての名前を思い出すことができた。
「プルマフロタン――思い出せた。バジゴフィルメンテ・サンテ。プルマフロタンだ」
すっきりとした顔でアフティが告げると、ビャミは明かされた名前について考え込む様子になる。そして「あっ」と声を出した。
「プルマフロタンって、どこかで聞いた家名だと思えば。それ『大将軍』様の家のお名前よ」
「はぁ!? 『大将軍』様って、俺っちらが子供の頃まで大流行りしてた、あの魔境を切り開いた辺境伯様か!?」
「そうよ。間違いないわ」
なんとも凄い人物の子孫と繋がったものだと、アフティは呆気に取られてしまう。
それと同時に、地元に鍛冶師が多くいて鉄肢病に造詣が深い理由も、アフティは理解した。
「『大将軍』様の家のお膝元は、冒険者が多くいるってきく。冒険者相手の鍛冶師が居ても不思議じゃねえ。それに、辺境の大魔物を倒して大金を得た冒険者なら、鉄肢症になった腕を切り落として癒しの祈祷で腕を生やし治すなんて真似もできるわな」
そう納得した後で、大変な人物に借りを作ったと自覚した。
「とりあえず、自力かつ左手で、どこまで製品を作れるかだな。あと左腕まで鉄肢病にかからないよう、自愛する必要もある」
「鉄肢病って、予防できるの?」
「『大将軍』の子孫様が言うにはだ。腕を酷使したのなら、腕が張ったように感じる部分の筋肉を揉み解せば、罹らなくなるらしい」
「じゃあ試しに、食事が終わった後でやってみましょうね」
二人は食事を終えると、アフティは椅子に座った状態で左腕をまくって差し出し、ビャミは両手でその腕を持った。
「張っている場所よね。ここかしら?」
「もう少し左。もう少し上。そうそのあた――」
ビャミが的確な場所を親指で押した瞬間、アフティの腕に傷みが走った。
その感触は、バジゴフィルメンテが診察で右腕に触れた際に走った傷みと、とても良く似ていた。
ただ、バジゴフィルメンテのときより、ビャミに押されている方が傷みが弱い。
どうやら、左腕も鉄肢病になりかけていたようだ。
これは我慢しててでも治さねばと、アフティが傷みに耐えて黙り込む。
すると、ビャミが嬉しそうな声を上げた。
「ああ、触れてみたらわかったわ。酷く凝っている部分があるから、ここを揉み解せばいいのね」
ビャミの親指がぐっぐっと動き、アフティは左腕の筋肉がぐりぐりと動かされる感触がした。
そして筋肉が動かされる度に、皮膚についた乾いた膠を無理やり引きはがしたときのような傷みが走る。
「うっ、ぐっ――」
愛しい妻に格好悪い姿は見せたくないと、アフティは目を閉じて傷みに耐える。
ビャミは、アフティの耐久を知らない様子で、左腕にある凝りを探しては揉み解すことに集中していた。
「ふふっ。指で違う感触を探して見つけるのって、なんだか面白い」
その後、アフティが飽きることなくマッサージを続けていき、アフティが傷みに耐えきれなくなって止めてと懇願したところで終わりになった。