55.また別の夜
ラピザは寮の部屋の中で、自主訓練後で汗まみれのバジゴフィルメンテの体をタオルで拭き終えた。
バジゴフィルメンテが礼を言いながら衣服を着ていくのを見やりつつ、ラピザは溜息交じりに疑問をぶつけることにした。
「バジゴフィルメンテ様が、この学園で学ぶことができるものって、あるんですか?」
薪集めが座学に変わった以外は剣の修行と、バジゴフィルメンテの生活は地元に居たときと大差ない。
それに、 学園にいる生徒だけでなく教師も、バジゴフィルメンテの戦闘力の足元にも至っていない。
実力の劣る人達の中にいたら、技術の成長なんてできないように、ラピザには感じられていた。
だけど、バジゴフィルメンテにとっては違うらしかった。
「戦う相手が毎日いるのは有難いよ。それと、僕以外の人の戦う姿を見るのは参考になってる。だから、学園に来て、良かったと思っているよ」
「本心から、そう思ってます?」
「心からそう思っているよ。成功とは、失敗から始まるもの。僕が通り過ぎてしまった地点で、他の人が失敗している姿を見ることで、新たな発見をすることもあるんだ」
「そういうものですか?」
いまいち納得できない理由に、ラピザは半信半疑になる。
するとバジゴフィルメンテは、論より証拠という感じで、ラピザの前に直立した。
何をするかとラピザが見ている前で、バジゴフィルメンテの片膝が力を失った様子でカクリと曲がった。
直前の行動から、膝の力が失った姿はバジゴフィルメンテがわざとやっているのだと、ラピザは見抜いた。
しかし、急に膝が抜けた人が目の前にいたため、ラピザは反射的に『助ける』と『様子を見る』という選択肢が頭に浮かび、その選択をするために一瞬だけ思考と身動きが止まった。
その一瞬に差し込む形で、バジゴフィルメンテは曲げた膝を伸ばすことで高速移動を行いつつ、ラピザへと片腕を伸ばした。
ラピザが避けようとするが、直前の一瞬の硬直もあって、行動に移すことが遅れた。
結果、バジゴフィルメンテの手指は、ラピザが避け始める前に、ラピザの喉に触れていた。
もし指を強く突き込まれていたら、ラピザは喉を潰されて呼吸できなくなっていたことだろう。
この状況を作り出したのは間違いなく、バジゴフィルメンテの片膝から力が抜け落ちたように見えた、あの行動からだ。
「……その動きを、他者の失敗から学んだわけですか?」
「僕の同級生が打ち合いしているときに、一人が体力の限界で座り込んだんだ。すると、相手側が『大丈夫か』って武器を収めて近づいたんだ。それを見て、応用できそうな現象だなって思ったんだ」
「急に力が抜けた姿を見せれば、敵が近寄ってくると?」
「いいや。相手の思考に戦い以外のことを浮かべさせることができるんじゃないかな、って思ったんだ。そういう余計な考えが頭にあると、どうしても人は行動が遅れるからね。その遅れに付け入ることができるんじゃないかなってね」
その後も、バジゴフィルメンテは次々と他者の失敗から着想した攻撃方法を披露した。
どれもこれも、どうしてその失敗の光景から、そんな攻撃を着想できたのかと、不思議に思うものばかりだった。
そして最後に、失敗の光景じゃないけどと注釈をつけての、攻撃方法を見せた。
バジゴフィルメンテが左手を大袈裟に動かしたので、ラピザは動きを目で追った。直後、何時の間にか、ラピザの首にバジゴフィルメンテの右手が手刀が添えられていた。
「これはまだ勉強中の視線誘導の技法だ。アマビプレバシオンと戦う生徒が、思わずといった感じで、彼女の弾む胸元を見る行動から思いついたんだ」
人の視界の範囲は、かなり限られている。
そのため、攻撃の軌跡が視界の外を通れば、人は攻撃を感知することができない。
その原理を利用し、相手の視線を誘導することで、自身の攻撃の軌跡を視界の外に隠すことが可能になる。
それはすなわち、不可視の攻撃となる。
しかしながら、その攻撃方法を着想した元が、アマビプレバシオンの豊か過ぎる胸元にあるとはと、ラピザは呆れ半分な気持ちになる。
「揺れないように下着で押さえてあるはずなのに、ああも派手に揺れる胸はなかなかありません。バジゴフィルメンテ様が注目するのも、仕方がないことですね」
「なんだか、女子の胸元をジロジロ見ている変態、って言われている気がするんだけど?」
「いえいえ、そんなことはありません。バジゴフィルメンテ様も、健全な男子なのだなと安心しただけです」
「……見てないと言ったら嘘になるけど。それは単に、自分にない存在が不思議なのと、目の前で揺れているから目につくってだけで、不埒な意図はないから」
バジゴフィルメンテの本心は、ラピザにはわからない。
しかし、バジゴフィルメンテが説明を重ねる姿が、言い訳をする年若い男子にしか、ラピザは見えなかった。
通常は人間離れしているバジゴフィルメンテが、ある種の健全な男子のように見えることに、ラピザは嬉しさを感じた。
「女子に興味を持たれることは、良いことだと思いますよ。バジゴフィルメンテが、辺境伯家を継ぐにしても、新たに貴族家を起こすにしても、冒険者として生きるにせよ、女性が放っておかないでしょうから」
「放っておかない?」
「バジゴフィルメンテ様の剣技であれば、魔物を倒した報奨金を貰い放題です。そして金周りの良い人に、養って貰いたいと望む女性は多く現れるものです」
「あー。教えた貰った曾祖父の『大将軍』の逸話にあったっけ。魔境を切り開いた大勝利の宴で乱痴気騒ぎになって、その際の一人を妻を迎えて残りを愛人にしたとかなんとか」
「えっ、そうなんですか?」
「プルマフロタン辺境伯家の寄子貴族の幾つかは『大将軍』の愛人の子が初代当主、って噂があるぐらいには本当のことらしいよ」
意外な裏話に、ラピザは唖然として言葉がでなくなった。
一方でバジゴフィルメンテは、女性相手にそういう関係になることがいまいち理解できない顔で、首を傾げ続けた。