54.それぞれの夜
アマビプレバシオンは、貴族寮の自室に備わった浴室にて、侍女から湯の世話を受けていた。
「はあ~~。体中に蓄積していた疲れが、湯に溶けていきます~~」
湯舟の縁に頭を乗せ、ゆったりとくつろぐ。
その頭にある長い金髪を、侍女が無表情で洗っていく。
侍女が無表情なのは、仕事や待遇に不満があるからではなく、天職に身を委ねきっているから。
王女を世話するに役目を担うことができる天職だけあり、その手つきは滑らかであり、アマビプレバシオンの御髪もたちまち綺麗に整っていく。
そんな侍女の行動は、アマビプレバシオンにとっては、幼い頃から見続けてきたもの。
しかし今のアマビプレバシオンは、この侍女のやり方に少し不満を持っていた。
バジゴフィルメンテのラピザ、マーマリナのチッターチ。
彼女たちも貴族子息子女の侍女ではあるが、アマビプレバシオンの侍女のように常に無表情でいるわけじゃない。
むしろ彼女たちは、素の自分を出して主人に対応している。
そのことが、天職に身を委ねなくても良いと知って以降、アマビプレバシオンは羨ましく感じるようになった。
(しかし、そう望んではいけません)
王城に勤める人――とりわけ王族に仕える人の採用基準は、起きてから寝るまで天職に身を委ね続けられること。
その採用基準を達成できるようにと努力してきた相手に対し、天職に身を委ねずに対応しろだなどと命令すれば、それはその人物の半生を否定するのも同じだ。
単なる我が侭で人の矜持を汚す真似は、アマビプレバシオンは許容できない。
そんなことを考えている間に、侍女はアマビプレバシオンの髪を洗う段階から、首や肩を揉む段階へ移行していた。
優しくも力強く、首と肩の筋肉が解されていく。
その心地よい感触に、アマビプレバシオンの口から吐息が漏れる。
「はあぁ~~~~。毎日のように施術してもらっているのに、こうも肩こりが治まらないのは」
アマビプレバシオンは、視線を下に向ける。
すると、湯面に浮かぶ二つの大きな塊が目に入った。
その塊は、アマビプレバシオンの胸元にくっ付いていて――つまりは、大きな乳房だった。
アマビプレバシオンは、自分の乳房を自身の手で掴み、少し持ち上げて重量を確かめる。
片乳が剣一本分になりそうな、大きな乳房。
これこそが、アマビプレバシオンが常に肩こりを抱える原因だ。
「マーマリナは羨ましそうに見てくるけれど、こんな重りの何がいいのやら」
天職の力を引き出せているときは、その天職の力が体を守ってくれるため、体が飛び跳ねた際に乳房が暴れても傷みは感じない。
でもそれ以外のときだと、常に邪魔な感じしか受けない。
「これさえ無ければ、もう少しはバジゴフィルメンテ様を剣で楽しませて差し上げられるでしょうに」
取り外したり出来ないだろうかと馬鹿なことを考えて、アマビプレバシオンは少し乳房を引っ張ってみる。
そのとき、侍女の按摩の手が一瞬だけ止まった。
不思議に思って、アマビプレバシオンは侍女の顔を見る。
しかし顔は無表情のままで、そして手は活動が再開していた。
アマビプレバシオンは按摩を受けつつ、いったい何に侍女は反応したんだろうと、前後の発言と自分の行動を考える。
鍵はバジゴフィルメンテと自分で乳房を掴んだことありそうだ、とまでは考えに至った。
しかしそれ以上はわからず、疑問は疑問のまま残しつつも、長湯を楽しむことに考えを移していった。
マーマリナは、貴族寮の自室で、実家へ向けての手紙を書いていた。
手紙の内容は、多数の貴族子息子女と誼を結べたことの報告だ。
領地から王都までの道中で、バジゴフィルメンテから天職の扱いについて教えてもらわなければ、いまの派閥の指導員的な立場に収まることは出来なかった。
もしバジゴフィルメンテと出会わなければ、マーマリナはその他生徒の一人として、学園で埋もれていたことだろう。
そう考えると、バジゴフィルメンテのお陰で、自分と実家の立場が良くなる未来が近づいているといえた。
「ふふふっ。バジゴフィルメンテ様々ですわね」
思わず嬉しさが口をついて出たところで、侍女のチッターチが白い眼を向けてきた。
「恩義を感じているのなら、お返しになったらどうです?」
「返すって、バジゴフィルメンテ様に? 何をですの?」
「もちろん。模擬戦にてのお相手を」
その言葉に、マーマリナは顔を引きつらせる。
「バジゴフィルメンテ様に挑めというんですの!? わたくしの実力では、すぐに地面に転がされて終わりですわよ!?」
「お礼なのですから、それで良いのでは? それに――」
ここで更に、チッターチが顔を近づけて迫ってきた。
「――このままでは、お嬢様のお立場は悪くなると言っておきます」
「ど、どういう意味ですの?」
「派閥の生徒たちの顔を見れば分ります。彼ら彼女らは、バジゴフィルメンテ様に先に教わったお嬢様に一日の長があると認めています。しかし逆を返せば、一日の長しかないと見做してもいるのです」
つまりは、実力が近づけば舐められることになると、チッターチは語っていた。
「そうなっては拙い事態ですわね」
マーマリナは目を便箋に向ける。
調子の良いことばかり書き連ねてある文章だが、それが未来永劫続くものではないと悟った。
「それで、どうしてバジゴフィルメンテ様に挑むという話が出てきますの?」
「その生徒たちの、アマビプレバシオン様を見る目に、お嬢様は気づいていますか?」
マーマリナは、どうだったかなと思い返してみた。
「男子たちは、アマビプレバシオン様の動くたびに柔らかく揺れる胸元を見て――」
「それはそうですが、それとは別の場面です」
「そうですわね。なにやら、尊敬の目を向けている感じはありますわね」
マーマリナは、その目は王族を見るものであると思っていた。
しかしチッターチは違う見解を持っていた。
「アマビプレバシオン様は、生徒たちから尊敬を集めておいでです。王族だからではありませんよ。バジゴフィルメンテ様という一強に、飽きることなく毎日のように午後の戦闘授業で挑んでいるからです」
「それは、アマビプレバシオン様が唯一バジゴフィルメンテ様に匹敵するからですわよ」
「違います。生徒たちは口々に言っています。アマビプレバシオン様のように、バジゴフィルメンテ様に挑み続けて負け続けるような真似はできないと」
マーマリナ自身、その意見を持っていた。
アマビプレバシオンが、何が楽しくて毎回挑んで毎回負けているのか、理解できなかった。
そして、バジゴフィルメンテに挑み続けるなんて、自分には出来ないと思ってもいた。
そう回想しているところに、チッターチの言葉が槍のような鋭さで入ってきた。
「人は自分が出来ないことをする相手に憧れを抱くものです。ここまで言えば、お分かりになりますね?」
「アマビプレバシオン様の真似をして、バジゴフィルメンテ様に挑み、生徒の尊敬を集めろと言うんですの!?」
「実力がお二人よりも劣るお嬢様が、必至に強者に食らいつく姿を周囲に見せれば、アマビプレバシオン様に集まっている以上の尊敬が集まることでしょう。人は身近に感じる存在の挑戦に、共感を得るものでもありますから」
マーマリナと他の生徒たちの実力に、大した違いはない。
違いがないからこそ、バジゴフィルメンテという最強に挑めば、勇者として一目置かれることに繋がる。
そして勇者となれる席は、誰よりも先にバジゴフィルメンテに挑むことでしか手に入らない。
アマビプレバシオンが既に挑戦者として存在するが、彼女は王族で最初からバジゴフィルメンテに匹敵する強者という別格扱いなので、勇者の席は未だ空席のままだ。
だが、勇者の席に座るには、それなりの実力を見せなければならない。
「良いところなしで負けてしまっては、単なる道化や蛮勇としか周囲に映りませんわね」
「そこは、お嬢さまの頑張りで、どうにか」
大事な部分だけ丸投げされても困ると思いつつも、マーマリナは腹を決めてバジゴフィルメンテに明日挑むことに決めた。