53.学園長室
バジゴフィルメンテが、『邪剣士』、学園長、生徒たち、そして『太夫』の力を発揮したアマビプレバシオン王女を打倒してみせた。
その事実は、学園内に新たな疑念を生む結果に続いた。
疑念は、大きく三つに分けることができた。
一つ目は、バジゴフィルメンテが提唱する、天職を自意識の下で扱うことが可能か否か。
二つ目は、バジゴフィルメンテの提唱が本当だとするなら、今までの天職に身を任せる方法は間違いだったのではないか。
三つ目は、実は不適職者などという存在は実在しないのではないか。
天職を自分の意思で扱うことは、バジゴフィルメンテが実証している。
バジゴフィルメンテだけでなく、彼に教えを受けた者についても、実証者となっている。
王女であるアマビプレバシオンも、自分がバジゴフィルメンテと善戦できたのは、以前にバジゴフィルメンテに天職の扱いを教えてもらったおかげだと証言して、二人目の明確な実証者になっている。
だから一つ目の疑念については、新しい天職の利用法として、受け入れられる土壌が出来つつあった。
しかし、その新しい利用法が出来たことで、以前までの天職に身を預ける方法は間違いだったのではないかと考えるひとが出てきた。
それも仕方がないことだろう。
なにせ、天職に身を任せた者の代表たる『邪剣士』と学園長が、あっさりとバジゴフィルメンテに負けてしまったのだ。
その出来事を傍から見ていた人たちからすれば、天職に身を預ける方法よりも、バジゴフィルメンテのように天職を従える方法の方が優れているように感じてしまう。
だが、いままでの常識から乗り換えることは簡単ではない。
だからこそ、学園の生徒たちの間では議論が巻き起こっていた。
「やっぱり、有り得ないだろ。天職に身を任せることが最良だって、神から天職を与えられたときから、ずっとそう言われてきたんだぜ」
「でもよ、神が『汝、天職に身を任せよ』って言ったわけじゃない」
「そうだ。神は天職を与えてくれたが、使い方は昔の人が編みだしたものだ」
「だから、その昔からのやり方で良いんじゃないかって言ってんだ」
「そうだそうだ。王家に仕えたり、王城に勤める場合は、天職に身を預け続けられることが最低条件だ。バジゴフィルメンテの言葉に乗って、天職に身を預けることを止める必要はない」
喧々諤々な議論の後、生徒たちは二つの派閥に分かれることになった。
一つは、今まで通りに天職に身を預け続けられるように努力する派閥。
この派閥の主な構成員は、将来に親の領地で仕事が確約されていたり、王城勤めを目指す、神地貴族の中でも高位貴族の子息子女だ。
もう一つは、バジゴフィルメンテが提唱する、天職の力を自分の意思で扱えるように訓練する派閥。
こちらの主な構成員は、将来親元から離れて辺境に行くことが決定している人たち――辺境貴族や低位貴族と希少戦闘職の平民だ。
そのため、バジゴフィルメンテ、アマビプレバシオン、マーマリナの三名は、天職を自力で扱う派閥に自動的に組み込まれることになった。
そして派閥が生まれてから、バジゴフィルメンテ、アマビプレバシオン、マーマリナは、それぞれ別々な行動を起こし始める。
バジゴフィルメンテは、請われれば与えるというスタンスで、派閥の生徒たちに天職の扱い方を教えはする。しかし基本的には、自分自身の訓練や学びを重視して、自分から積極的に関わろうとはしない。
アマビプレバシオンは、自分は未熟だからと教えることはせずに、バジゴフィルメンテと並んで自己鍛錬に日々を費やす。
マーマリナは、親から貴族子息子女の知り合いを作れと命じられていることもあり、唯一積極的に派閥の人員に天職を扱う方法を自分から発信する役目を負うようになった。
そのため自然と、派閥の生徒たちは最初にマーマリナを頼り、それで解決できない問題だけをバジゴフィルメンテに教えてもらうという構図が出来上がっていった。
生徒の派閥が二つに分れたことに――いや、天職を人の支配下に置こうという思想の集団の出現に、学園長のポグレッシフ・アポンダ・ディレディコラは頭を悩ませていた。
「これは拙い事態だ。是正せねばならない」
天職に身を預け、天職のままに動くことこそが、最も人が社会で役立つ方法だと、ポグレッシフは自身の宮廷魔術師としての人生から確信している。
だからこそ、バジゴフィルメンテが提唱する方法は、生徒たちを間違った道に進ませるだけとしか思えない。
そして生徒たちを正しい道に戻すことこそが、学園長の自分の役割だと信じている。
「だがしかし……」
ポグレッシフは、自身がやってしまった失敗について、頭を抱える。
『邪剣士』チージュモが負けてしまった事実を覆すために、ポグレッシフ自身がバジゴフィルメンテと戦い、そして負けてしまった。
あのとき、ポグレッシフが負けなければ――いや、ポグレッシフが戦っていなければ、いま撃てる手はいくらでもあった。
しかしバジゴフィルメンテがポグレッシフに勝ったことで、ポグレッシフの言葉はバジゴフィルメンテの発言の下に置いていいという風潮が、学園に広まってしまっている。
そのため、いまポグレッシフが正道を唱えたところで、負け犬の遠吠えとしか生徒たちには通じない。
それこそ、今まで通りに天職に身を任せることを良しとする派閥の生徒たちですら、ポグレッシフの言葉を信じていいのか疑っているほどの事態になってしまっている。
そうした生徒の不理解が広がっている状況なため、ポグレッシフがバジゴフィルメンテの思想を打破する手段はとても少なくなっていた。
だが、少ないだけで、手段がないわけではない。
その中の一つを、すでにポグレッシフは講じていた。
ポグレッシフがいる、学園長室の扉がノックされた。
ポグレッシフが入室を許可すると、入ってきたのは、平民寮で暮らす貴族子息の一人――不適職者のジマーグニャ・ロルナマ・アングカピタだった。
「お呼びと聞きましたが?」
ジマーグニャは、堂々とした態度ながらも、目の下に隈がある顔をしていた。
ポグレッシフは、ジマーグニャがこんな人物だったかと、疑問を抱いた。
しかし、不適職者だとして注目すらしていなかった相手なので、以前のジマーグニャのことをちゃんと覚えてはいなかったので、確信が持てなかった。
まあいいと、ジマーグニャは疑問を投げ捨てることにした。
「ジマーグニャ君に、やって貰いたいことがある」
ポグレッシフがそう切り出すと、すぐにジマーグニャから言葉が返ってきた。
「バジゴフィルメンテの派閥に入れ。そこで不適職者として無能を晒せ。さすれば、バジゴフィルメンテの派閥は人をまともに教えられない集まりだと、非難する口実が出来る。そういうことですね?」
まんま思っていたことを言われて、ポグレッシフは驚いた。
「なぜ――」
「幸運なことに、もう不適職者じゃないんで、それは難しいです。あと、同じ寮ということもあって、既にバジゴフィルメンテとは既知の仲で、既に彼の派閥に組み込まれてもいます」
「それなら――」
「派閥の生徒に間違った方法を広げようとしても無駄ですよ。ああ、この無駄というのは、工作しても派閥が無事という意味ではなく、工作して派閥が瓦解したところで、バジゴフィルメンテは毛ほども気しないという意味です」
「そんな――」
「バジゴフィルメンテは、基本的に自己の研鑽にしか興味を持ってません。人に物事を教えているのだって、強者ゆえの余裕からで、いわば施しですからね」
発言を次々に先回りされて、とうとうポグレッシフは怒気を顔に浮かべる。
「貴様、失礼――」
「失礼しました。なにせ『大賢者』は話したがりでして。少し耳を傾けるだけで、洪水のようにどばっと情報を与えてきて困るんです。今も、学園長がどんな意図を持っているのか、その意図が実現する可能性はどのぐらいか、成功した場合と失敗した場合の未来はどうなるのか。そんなことを言ってきて止まらないんですよ。お陰で、寝に入る瞬間まで、気が休まることがありません」
へらりと笑うジマーグニャの顔は、疲れ以上に何かの手応えを得ている男の顔をしていた。
その顔がどうしても面白くなくて、ポグレッシフは脅しで魔法を使おうかと心に思い浮かべた。
次の瞬間、ポグレッシフは急に呼吸が出来なくなった。
「か――ふ――」
吐くことも、吸い込むことも、喉の奥で物が詰まったかのように出来ない。
胸と腹に力を極限まで込めて呼吸しようとするが、やはり口からも鼻からも空気を取り入れることができない。
その状態が三秒ほど続いて、急に呼吸ができるようになった。
「――ぜっふ。な、なにが」
「申し訳ありません、学園長。『大賢者』が暴走しました。『大賢者』は過保護で、俺の身に危険が置きそうになると、その危険の元を自動的に排除しようとするんです。この排除行動が怖いからこそ、俺は『大賢者』を使わないよう押し込めていたんで、不適職者という認定を受けることになったんです」
「なんだと?」
「だって、怖いじゃないですか。少しの敵意、少しの反感、少しの意地悪。そんな感情を抱いた相手を、すぐに殺そうとするんですよ、『大賢者』は。それが最も的確な処理だからって。今だって、バジゴフィルメンテに教えてもらった方法で『大賢者』と対話していなかったら、学園長は死体になっていたかもしれません」
事実を事実のまま語る口調に、ポグレッシフは顔色が青くなっていくことを自覚した。
「ということは、本当に不適職者ではなくなったのか? バジゴフィルメンテの教えで?」
「いえ。『大賢者』に身を任せているわけじゃないので、不適職者の区分のままです。それは、将来も変わらないでしょう。むしろ、このままの方が良い。『大賢者』に好きにさせたら、本当にどんなことが巻き起こるか分かったものじゃないですから」
世のためには『大賢者』は自由にしてはならない。
そのことは、ポグレッシフ自身が先ほど呼吸を止められてしまったことで、大いに実感した。
そして、その実感から悟る。
神が与える天職は、必ず人間社会のためになるというものではないと。
(天職とは、人が魔物に対抗できるようになる、神から与えられた力。それ以上でも、それ以下でもないのではないか?)
ポグレッシフは、天職についての新たな疑問が思い浮かんだ。
しかし、そんなはずはないと疑問を打ち消した。
そして、ジマーグニャを用いた策謀は使えないと判断して、ポグレッシフはジマーグニャを学園長室から退室させた。
そうして部屋で一人に戻ると、バジゴフィルメンテの影響を薄める次の手段について、考えを巡らすことにした。




