44.手続き
学園の校舎に併設される形で、事務所建物は存在した。
その窓口に、ラピザはバジゴフィルメンテと共にやってきた。
バジゴフィルメンテが、窓口に置いてあった呼び鈴を取って鳴らすと、建物の奥から事務員らしき男性が現れた。
「入学者ですね」
事務員は、バジゴフィルメンテとラピザに視線を送り、さらに周囲を見て二人しか居ないことを確信したようだ。
すると事務員の態度が、少し砕けたものに変わった。
「君は、希少職かい? それとも貴族の子?」
バジゴフィルメンテが冒険者の格好なので、半ば平民だと思っていそうな口ぶりだった。
果たして、バジゴフィルメンテはどう答えるのか。
ラピザが気を揉んで見守っていると、バジゴフィルメンテは自己のことを普段の口調で真っ正直に話した。
「僕の天職は『剣聖』だよ。それと、貴族の子供でもあるね」
貴族の子供と聞いて、事務員の態度が改まりかけ、しかし再び砕けたものに戻った。
その変化に、ラピザは疑問に感じた。
あたかも、貴族の子と知っても、バジゴフィルメンテに対して礼を尽くす必要はないと体言しているかのようだったからだ。
そう感じた理由について、当の事務員の口から答えが語られる。
「噂の、希少職でありながら不適職者の子が、君か」
「噂になっていいるんだ?」
「そりゃあね。貴族であっても不適職者なら、平民用の授業と寮になるから気を付けるようにと、事務員全体に通達されるから」
不適職者は貴族ではないというような発言。
しかしバジゴフィルメンテが気になったのは、それとは別のことのようだ。
「おや? 僕以外にも貴族の子で不適職者が居そうな口ぶりだね」
「君の一年先輩に、アングカピタ侯爵家の長男がいてね。彼も、不適職者だって有名なんだよ。成績の低さもね」
事務員の発言を受けて、バジゴフィルメンテの表情は興味を抱いた笑みに変わっていた。
「その先輩の名前と天職は、教えてもらうことってできますか?」
「構わないよ。悪い意味で有名人だから調べればすぐにわかるし、平民と不適職者は一クラスに詰め込まれるから直ぐに会えるだろうからね」
そうは言いつつも、学園の事務員という立場上、生徒の情報を大声では喋れないのだろう。
小声でバジゴフィルメンテに伝えてきた。
「名前は、ジマーグニャ・ロルナマ・アングカピタ。天職は『大賢者』だ」
「『賢者』は、剣や魔法や執務にも能力を発揮する、万能な天職だったはず。そこに『大』がついているってことは」
「賢者よりも上の力を持っているはずだけど、不適職者だ。まあ彼の生家は、不適職者でなくても、戦闘職は要らないって言って憚らない家だって聞くけどね」
「アングカピタ『侯爵家』なのに?」
バジゴフィルメンテが立場有る家柄なのにと聞き返すと、事務員は当然の答えを言う口調で返す。
「アングカピタ侯爵家という、『天職を授かるようになる前からある貴族家』だからだよ」
「根っからの神地貴族だから、戦闘職は無用って考えなわけか」
「彼領地にはマセール湾の一部があるから、航行する船に風を送ることのできる魔法職なら重宝されただろうね」
「でもそれは、船を動かすための道具としての期待で、家を守り繁栄させる次代の担い手としての期待にはならないと」
「『大賢者』なら執務にも力を発揮できたかもしれないけど、不適職者だとね」
ここまで喋ったところで、事務員は話している相手も、その不適職者だと思い出したようだった。
そしてバジゴフィルメンテの腰には、二本の剣があることも。
「おっと。君のことを悪く言ったわけじゃないからな」
「分ってる。いまのは世間話というか、学園での認識を教えてくれたんでしょ。怒ったりしないって」
バジゴフィルメンテが笑って流すと、事務員はあからさまにホッとした顔をした。
しかしラピザは気づいていた。
バジゴフィルメンテが気になっているのは、事務員の認識などではなく、自分と似た境遇を持つというジマーグニャという名の生徒なんだろうなと。
「さて、長話しちゃって悪かったね。入学と入寮の手続きをしないと」
「ああ、そうだったね。では、こちらの書類にサインを。ちなみに後ろの女性は、君の使用人かな?」
「そうだけど、それが何か?」
「君が暮らすことになる平民用の寮は、部屋を同性の生徒二人で使うように設計されている。ただし貴族の子で不適職者は、その部屋を使用人一人と寝泊りすることが許可されている。それが嫌なら、王都で宿か貸家を借りるしかないんだけど?」
通常の貴族は、使用人と寝食を共にするなどとんでもない、という認識だ。
しかしバジゴフィルメンテは、彼自身の性格と薪割り小屋で暮らした境遇から、そんな普通の貴族のような価値観は持っていない。そのことを、ラピザは十二分に知っていた。
そして、男性のバジゴフィルメンテと女性のラピザが同じ部屋で暮らすことの方を気にするような、そういった紳士さを持ち合わせていることも。
「ラピザは、それでいい?」
「構いません。バジゴフィルメンテ様とて、わたしの体に欲情などしませんでしょ?」
「ラピザは魅力的な女性で、僕も男だ。ぐらっと来ることはあると思うよ?」
「そう思うときが来たとしても、手はお出しにならないでしょう?」
「僕らは、そういう間柄じゃないからね」
「なら、問題ないでしょう」
ラピザの了承が得られたからと、バジゴフィルメンテは寮で暮らすための必要書類にサインをした。
「でも、同じ教室の人に恨まれそうだね」
唐突なバジゴフィルメンテの言葉に、ラピザだけでなく事務員も首をかしげる。
すると、言葉が足りなかったと分かったようで、バジゴフィルメンテが説明を追加した。
「平民寮では、男子同士女子同士の生徒二人で一部屋を使うんでしょ。でも僕の場合は、女性の使用人と同じ部屋だ。見ようによっては、羨ましいと感じるんじゃないかなってね」
「バジゴフィルメンテ様ぐらいの歳の子であれば、性的なことに興味を抱くもの。だから肉体関係があると邪推しかねない、というわけですね」
もしそうなったとしても気にする必要がないと、バジゴフィルメンテの表情が語っている。
きっとバジゴフィルメンテは、自身に一切の後ろ暗いところがないのだから堂々としていればいい、なんてことを考えているんだろう。
少なくともラピザは、そう見て取った。