182.宿屋にて
卒業生追い出し大会が終わった翌日。
ハッチェマヒオは、バジゴフィルメンテが残した手紙を手に、王都の一画へと足を向けた。
行き先は、王都の外縁部にある、冒険者向けの安宿だ。
どうしてそこへ向かっているかといえば、手紙にあるバジゴフィルメンテの宿泊場所が、そこだからだ。
「会って話がしたいと、バジゴフィルメンテの方から申し出てくるとはな」
バジゴフィルメンテらしくないと、ハッチェマヒオは思う。
しかし同時に、ハッチェマヒオの方からバジゴフィルメンテに伝えることがあったので、丁度いいとも感じていた。
手紙に書かれていた宿に入り、主人に部屋番号を聞き、バジゴフィルメンテの部屋へと進む。
扉をノックすると、バジゴフィルメンテの声で入室の許しが来た。
ハッチェマヒオは扉を開けて中に入ると、ベッド二つだけがあるような狭い部屋の中に、バジゴフィルメンテとラピザがいた。二人とも冒険者らしい格好をしている。
ハッチェマヒオは、手にある手紙をヒラヒラと動かしながら、二人へと声をかける。
「こんな形で呼び出すとはな。僕様に、なにか用があるのか?」
つい何時もの調子の言葉をかけてしまったところ、バジゴフィルメンテが微笑み顔で口を開いた。
「ここまで来てもらって悪いね。僕は学園を卒業した身だから、昨日の内に学園の外に出ないといけなかったからさ」
「ふんっ。学園を出て、他の辺境に行く前に、僕様と何か話したかったというわけか」
「アマビプレバシオンが許しを得るまでに時間がかかりそうだからね。その時間を使って、プルマフロタン辺境伯領のことについて話し合おうと思ってね」
予想外の人名が出てきて、ハッチェマヒオは眉を寄せた。
「アマビプレバシオン王女が、なんだって?」
「僕に同行したいからって、王様や兄王子様から、王城を出ていく許しを貰いに行ったんだよ」
「それはつまり、王家を出奔して、お前と駆け落ちするということか?!」
そう決断するまでアマビプレバシオンはバジゴフィルメンテのことを愛しているのかと、ハッチェマヒオは驚きから声が大きくなってしまった。
それと同時に、愛してもらえる可能性はないと分かっていながら、いまでもアマビプレバシオンの事が好きなままなのだと理解もできた。
ハッチェマヒオが衝撃を受けている前で、バジゴフィルメンテは不思議そうな顔をしてから、ラピザに何かを耳打ちされて納得顔に変わった。
「あー。ハッチェマヒオは、アマビプレバシオンのことが好きだったんだ。初めて知ったよ」
「こら、バジゴフィルメンテ様。恋敗れたものに追い打ちなどしてはいけません」
ラピザの口調は窘めるものだったが、その表情は「ざまあみろ」とハッチェマヒオに言いたげなものだった。
ハッチェマヒオは、瞬間的に怒りそうになるが、それではダメだと心を落ち着けた。
「ふんっ。プルマフロタン辺境伯領についてか。ちょうど僕様も貴様としようと思っていた話題だ。先に、僕様の方からプルマフロタン辺境伯領についての話をしてやろう」
ハッチェマヒオは、前の学期休みにプルマフロタン辺境伯領に帰り、そこで行った色々なことをバジゴフィルメンテに語って聞かせた。
するとバジゴフィルメンテは、驚きと感心を表情に浮かべてきた。
「父上を軟禁するだなんて、思い切ったことをやったね」
「ふんっ。父上がこれ以上失策を重ねないための、やむにやまれぬ措置だ。この僕様の行動のお陰で、領地は立ち直りつつある。やって良かった行動だ」
「それは間違いないね。僕が驚いたのは、ハッチェマヒオがやったからだよ。だって君は、父上のお気に入りだったじゃないか」
「父上に気に入られているからといって、父上の全てを肯定する必要は、僕様にはない。そも僕様は父上に次期プルマフロタン辺境伯になるよう期待されている存在だぞ。ならば、父上に従うのではなく、次の辺境伯として相応しい行動を取るべきだ」
そう持論を展開したところで、バジゴフィルメンテはハッチェマヒオに拍手を送ってきた。
「その決断ができるのなら、安心したよ。ハッチェマヒオは、プルマフロタン辺境伯を継ぐ資格があるってね」
「ふんっ。貴様に資格うんうんを言われたくないな。剣のために、辺境伯の身分など要らないと考える奴のクセに」
「あはははっ。いや、その点については、申し訳なく思っているよ。でも僕は、剣以外の事柄には興味を強く持てなくてね」
「興味が持てないとは、アマビプレバシオン王女もか?」
「アマビプレバシオンは付き合いも長くなってきたからね、愛用している剣ぐらいには愛着があるよ」
「色恋を感じているというわけではなさそうだが?」
「アマビプレバシオンが僕を愛していることは分かっているから、受けた分を返す気構えは持っているよ」
アマビプレバシオンに関する本気の度合が伝わってこないものの、ハッチェマヒオはこれ以上の追及は止めた。
あまりアレコレと口に出すと、まるで振られた相手にみっともなく縋っているように見えるだろうと気付いたからだ。
「こほんっ。プルマフロタン辺境伯については、僕様が継ぐことで異論はないわけだな」
「もちろん。それで、弟妹たちについてはどう考えているんだい?」
そう言われてハッチェマヒオは、弟妹たちの処遇について考えていなかったことを思い出した。
「今いる弟妹達に加えて、母上のお腹には新たな子が宿っているのだったような」
「ハッチェマヒオが辺境伯を継ぐのなら、弟妹達の将来も決めないとダメだよ」
「将来と言ってもだ。戦闘向きの天職でなければ寄子貴族家か商家に婿や嫁に出すか、領地運営を担う場所で文官にするかしかない。戦闘向きの戦闘職なら、学園に入れてから、将来を自分で判断させるしかあるまい」
「婿や嫁に出したり、外に働きに行かせるにしても、伝手は必要だよ?」
そう指摘されて、ハッチェマヒオは口ごもる。
バジゴフィルメンテに勝負で勝つことだけを考えて学戦生活を送ってきたため、弟妹たちを預けられそうな伝手の構築が一切できていない。
「……これから、その伝手を構築するとも。なにせ僕様は、バジゴフィルメンテをあと一歩まで追い詰めた、唯一の生徒だ。これから先、繋がりを持とうとする人に事欠かないはずだ」
「にっちもさっちも行かなくなったら、コリノアレグル辺境伯家――マーマリナの実家を頼ってもいいよ。あの家は、プルマフロタン辺境伯家とその寄子貴族家では悪く言われているけど、『大将軍』に受けた恩義は返したいとは思っているようだからね」
「話は分かるが、頼りたくはないな。頼った瞬間に、寄子貴族どもから文句を言われそうだからな」
プルマフロタン辺境伯領についての話題が一段落ついたところで、ハッチェマヒオはバジゴフィルメンテの今後についての話題に移ることにした。