180.追い出し大会終了
バジゴフィルメンテが上着を脱ぎ、上半身裸の状態になった。
ただそれだけのはずなのに、なぜかハッチェマヒオの戦況が一気に悪くなった。
ハッチェマヒオは闘いながら、その原因を理解することができた。
上半身だけとはいえ、濡れて体に張り付く服を脱いだことで、バジゴフィルメンテの動きが一段と良くなっている。
それに加えて――
「――運動着一枚分だけ、回避する距離をギリギリにしたのか!」
「さっきまでは運動着に当たっただけで負け判定を食らいかねなかったからね。服の分の余裕を削ぎ落とせば、回避からの反撃を行うことができる、ってわけさ!」
ハッチェマヒオが振るった斧の先が、バジゴフィルメンテの肌の上の薄紙一枚上ほどの距離にある空間を通過する。
あまりのギリギリの避けっぷりに、観客からは直撃したと誤解した様子で悲鳴を上げ、審判はバジゴフィルメンテの体に傷や打ち身がないことを確認している姿が、ハッチェマヒオの視界の端に入った。
よそ見とも言えない程度の、周囲の確認。
そのぐらい意識を逸らしただけで、ハッチェマヒオの息がかかる位置にまで、バジゴフィルメンテに踏み込まれてしまっていた。
しかしそのバジゴフィルメンテの踏み込みは、行き過ぎのようにハッチェマヒオには感じられた。
(これほど近いのでは、拳も蹴りも威力を乗せるには距離が足り――)
大した打撃は食らわないとハッチェマヒオが判断した直後に、腹から背中へ抜けるような重々しい衝撃に体を貫かれた。
予想外の重たい攻撃に、ハッチェマヒオの息が詰まる。
呼吸を再開させようと奮闘するハッチェマヒオの目に、バジゴフィルメンテの体勢――膝をハッチェマヒオの腹へめり込ませている姿が目に入った。
(――ひ、膝蹴りだと!?)
確かに拳や足先で蹴るよりも、膝での打撃は距離が短くて済む。
そして、膝よりも短い距離で有効な打撃の体勢へとバジゴフィルメンテが移っていることに、ハッチェマヒオの目が捉える。
(そして肘打ちか!)
バジゴフィルメンテが肘を、側頭部狙いで繰り出してきた。
ハッチェマヒオは息が詰まっているため、腕や斧で防御したり、足で移動しての回避は難しい。上体を逸らして避けるしか、選択肢がなかった。
しかし回避に成功した直後、バジゴフィルメンテが次の攻撃の体勢に入っているのを目にして、このままでは不味いとハッチェマヒオは気付いた。
そこでハッチェマヒオは、自爆覚悟で近くで炸裂する火の魔法を使かった。
ハッチェマヒオの手から火の魔法が放たれた瞬間、バジゴフィルメンテは攻撃の手を止めて大きく後ろへ跳んでいた。
結果、ハッチェマヒオが放った火の魔法は、ハッチェマヒオの体を焦がしただけに終わってしまう。
(手痛い被害だが、肘と膝で攻撃され続ける未来からは逃れられた)
バジゴフィルメンテを下がらせたことで、ハッチェマヒオは呼吸を整えながら思考する時間を取ることができた。
この時間で、ハッチェマヒオは起死回生の作戦を考えるしか勝ち目がない。
無策で次の攻防が始まれば、せっかく勝ちそうな状況を逃してしまうと、ハッチェマヒオは直感していた。
(けど、僕様がどうやったらバジゴフィルメンテに勝てる?)
もう事前に考えていた作戦は、全て使い切ってしまっている。
そして使った作戦を流用することはできない。
先ほど自爆覚悟で魔法を使って避けれてしまったように、一度使った手段は対応されてしまっているからだ。
つまり完全に新しい作戦であり、バジゴフィルメンテが予想できないものでなければダメだ。
ハッチェマヒオは考える。
この模擬戦における勝利条件。彼我の技量差。自分が使える手段。それらを加味しての、勝利への道筋。
(……一つしか思い浮かばん。しかも、勝てると確信できるものではない)
そんなあやふやな作戦にかけるしかない。
なぜなら、一度跳び退いたバジゴフィルメンテが走り寄ってき始めていて、もう考える時間がない。
「くそっ。やってやる!」
ハッチェマヒオは、右手で片手斧を大上段に振り上げると、左手で魔法を連発し始めた。
バジゴフィルメンテは魔法を拳で叩き潰しながら、走り寄り続けてくる。
ハッチェマヒオは、接近してくる相手にタイミングを合わせて、片手斧を振るった。
しかしここでバジゴフィルメンテが、力強く踏み込むことで急加速し、斧の攻撃範囲の内側へと潜りこんできた。そして走り寄ってきた勢いを乗せた拳を叩きつけてきた。
観客が一様に痛そうな顔になったことから、あの場所まで打撃音が伝わったようだ。
バジゴフィルメンテの拳を食らい、ハッチェマヒオの手から片手斧が落ちた。
それを見て、審判は決着の言葉を放とうと開いていた口を閉じた。
その審判の姿を横目で確認して、ハッチェマヒオは口元に笑みを浮かべた。
(この審判は確りと見ているな。不適職者ではない僕様は、『斧術師』の天職の能力によって手から斧が落ちない。僕様自身がそう思って、斧を手放す行動しない限りはな!)
ハッチェマヒオは、斧を手放すと、両腕でもってバジゴフィルメンテを抱き締めた。
「ぐっ。いまの一発は、かなり良い感じだったのに、倒れないなんて」
きつく抱きしめられて、バジゴフィルメンテが苦情に近い声色を放ってきた。
ハッチェマヒオは、口元に笑みを浮かべたまま、耐えられた理由を返答することにした。
「どこに攻撃がくるか分かってさえいれば、一度の攻撃ぐらいは耐えようと覚悟すれば耐えられるもの。それに僕様は、体格に優れていて、筋肉が分厚いのだ!」
「耐えられた理由はわかったよ。けど、ここからどうするんだい? ハッチェマヒオの腕で抱き潰されるほど、僕の体は柔じゃないよ?」
ハッチェマヒオが両腕でもってバジゴフィルメンテを捕まえることは出来ているが、それだけとも言える。
「ここからハッチェマヒオが取れる行動は、自分を巻き込む自爆魔法による引き分けか、腕を放した直後での早打ちの打撃勝負ぐらいでしょ? どっちにするのかな?」
バジゴフィルメンテの問いかけは、引き分けを選ばないのなら、ハッチェマヒオの負けだと言いたげだった。
事実、腕を放しての打撃勝負となったら、ハッチェマヒオは天職の力を使えないため、負けるしかない。
そんなことは、ハッチェマヒオは理解していた。
だからこそハッチェマヒオは、バジゴフィルメンテが考えつかなかった、第三の道を選ぶ――自分がバジゴフィルメンテに勝利するための道を。
「ここから僕様が何をするのか、いま貴様に見せてやる!」
ハッチェマヒオは、バジゴフィルメンテを腕に抱えた状態のまま、全身から強烈な風を吹き出し始めた。
「また僕を凍えさせて勝つ気なの――」
とバジゴフィルメンテが問いかけようとしてきた瞬間、二人の体がふわりと空中に浮かんだ。
その直後、バジゴフィルメンテはハッチェマヒオの狙いに気づいた様子に変わった。
「――まさか、上空に飛ぶ気なの!?」
「その通りだ! いざいくぞ、上空高くへと!」
ハッチェマヒオは残り少ない体内の魔力を全て使い、バジゴフィルメンテと共に運動場の上空へと飛び上がった。
学園校舎の屋根の高さを超え、隣接する王城の中で一番高い尖塔の高さを過ぎたところで、二人の上昇は止まった。
「こうして抱き締めたまま地面に墜落して、僕様の肉体と大地の間で貴様を潰してやるうぅぅぅぅぅ!」
バジゴフィルメンテ式の天職の関り方は、完璧な動きでもって天職の力を引き出すもの。
つまり抱き締めた状態で身動きを取れなくさせれば、天職の力の引き出しようがないということでもある。
「僕に勝ちたいからって、こんな馬鹿過ぎる作戦をするなんてえぇぇぇぇ!」
重力に引かれて、二人の体が地面へと加速しながら落ちていく。
バジゴフィルメンテは身を暴れさせて、抱き締めから逃げようとする。
そうはさせじと、ハッチェマヒオは更にきつく抱き締めて放さない。
「貴様が負けを宣言するのなら、手放してやろう!」
「くぬのお! 誰が負けを認めるものか!」
「なら、諸共に落ちろ!」
上空から落ちてきて、「ひゃーーー!」と観客が悲鳴を上げる声が耳に入ってきた。
もう地面に衝突するまで時間はない。
「勝ったぞ!」
ハッチェマヒオは歓声を上げながら、抱き締めたバジゴフィルメンテと共に地面に落下した。
途中、審判が受け止めようとした姿があったが、受け止めるのは無理だと悟った様子で退避していた。
ずどんと、衝突音が運動場に響いた。
ハッチェマヒオは衝撃を体に感じながら、あとは立ち上がって勝ち名乗りを上げるだけだと、最後の力を振り絞る。
バジゴフィルメンテの体から腕を放し、地面に手をついて立ち上がろうとした。
そのときハッチェマヒオは、自身の腕を見て慄いた。
「なん、だと……」
上空から落下してバジゴフィルメンテの体と地面に挟まれれば、ハッチェマヒオの腕は潰れていたり折れていてしかるべきだ。
しかしハッチェマヒオの腕は、潰れても折れてもいない。
それがどういう意味なのかを、ハッチェマヒオは恐る恐るという感じで、自分の腹の下に敷いているバジゴフィルメンテへ目を向けた。
すると、バジゴフィルメンテの微笑み顔があった。
「ふぅ。焦ったけど、足が自由で助かったよ。地面に足さえつけることができたら、『格闘家』の技術が使えるからね」
ニコニコと笑いながらの言葉を受けて、ハッチェマヒオはバジゴフィルメンテの姿を再確認する。
バジゴフィルメンテの足の裏は共に地面につけ、腰を前に突き出して背を弧の状態にし、首裏と肩の部分が地面スレスレに浮いた状態になっていた。
こんな体勢で耐えることが出来ているのは、バジゴフィルメンテが『格闘家』の動きを完璧に再現して、天職の力を発揮しているからに他ならない。
そうやってバジゴフィルメンテの体が地面から離れた状態で堪えているからこそ、その胴体を抱きしめていたハッチェマヒオの腕は無事だったのだ。
「そんな馬鹿な。なら僕様が感じた衝撃は……」
視線を自身とバジゴフィルメンテの間に向けて、ハッチェマヒオは原因を理解した。
ハッチェマヒオの腹にめり込んでいる、バジゴフィルメンテの拳があったのだ。
つまりバジゴフィルメンテは、地面に激突する直前に、弓反りの体勢で足で着地しながら、拳をハッチェマヒオに捻じ込んでいたのだ。
衝撃の正体が攻撃であったこと、そしてその攻撃が急所を抉っていることを悟った瞬間、ハッチェマヒオの意識が急速に遠退き始めた。
「く、くそう。また、僕様の、負けか――」
あと一歩だったのにという気持ちと共に、ハッチェマヒオは意識を失った。