176.転換点
バジゴフィルメンテからの、重たい威力が乗った鋭い攻撃と、泥土のように衝撃を吸収する防御。
その両方に、ハッチェマヒオは翻弄されっぱなしになっている。
(天職は最適最善の行動を取る。だというのに、どうしてバジゴフィルメンテの攻撃も防御も対応できないんだ!)
そう憤ったところで、『斧術師』にバジゴフィルメンテに有効な行動が起こせはしない。
いまハッチェマヒオの体を動かしている『斧術師』の行動は、『斧術師』が発揮できる最上のものなのは確かな事実。
だからこそ、それが通用しない理由として考えられるのは、バジゴフィルメンテの素の技量が『斧術師』を超えているからしかない。それこそハッチェマヒオが同調法を使って底上げしても、バジゴフィルメンテの技量は『斧術師』の上に行っているに違いなかった。
(『斧術師』が発揮できる技術的限界で、僕様はバジゴフィルメンテに勝てないということか?)
残酷的な現実に、ハッチェマヒオのバジゴフィルメンテに対する意力が落ちようとする。
しかしそうなる直前で、ハッチェマヒオの心は奮起した。
(そんな理由で、負けていられるか!)
幸いにして、ハッチェマヒオに新たな変化を待っているかのように、バジゴフィルメンテは勝負を決めるような攻撃をしてきていない。
いまのバジゴフィルメンテが勝負を決めようと心変わりを起こすまで、ハッチェマヒオには試行錯誤する猶予がある。
バジゴフィルメンテと攻防を続けながら、ハッチェマヒオはどうやったら勝ち目があるかを考えていく。
(『斧術師』に任せるのも、同調法の底上げも通用しない。それならば、それらを合わせた以上のことをやらねばならない)
ハッチェマヒオが考えつく方法は二つ。
一つは、バジゴフィルメンテが提唱する、自身の実力でもって天職を従える――バジゴフィルメンテ式の方法。
もう一つは、アマビプレバシオンが行っていた、自分が行動を主導しつつ天職に行動の追従を行わせるという、同調法の亜種。
ハッチェマヒオは、バジゴフィルメンテ式の方法はとれない。
ハッチェマヒオが行うとしたら付け焼刃にしかならないうえ、バジゴフィルメンテの方は本家本元だ。どちらの方が優位に立てるかは、考えるまでもなく分かる。
そのため実行できるのは、ハッチェマヒオが行動を主導する方向で同調法を使うこと。
(やろうと思えばできるだろう。しかし、やりきれるか?)
先ほどバジゴフィルメンテが高速移動で攻撃してきた際、この戦い方はアマビプレバシオンに通用した、といった感じのことを口にしていた。
その言葉が本当だとすると、単純に新たなやり方を行っただけでは勝てないだろう。
何かしら、さらに要素を付け加える必要がある。
しかし、その新たな要素を、ハッチェマヒオは思いつかない。
(それでも、やらなければジリ貧な状況には変わりない。勝ち目は、戦いを長引かせ、そうして時間を稼いだ中で探せば良い)
ハッチェマヒオは決意し、同調法の使い方を、『斧術師』主体からハッチェマヒオ自身主体に切り替えた。
実際にやってみると、ハッチェマヒオは楽に、この新たな同調法を使うことができた。
(なんだ。簡単ではないか)
ハッチェマヒオの感覚として、この新たな同調法のやり方は、『斧術師』が動き始める少し前に、その動きを自身の意思で先取りするという感じだ。
ハッチェマヒオは、いままで同調法を通して『斧術師』の動きを十分に理解できている。動きを先読みするぐらい、わけないのだ。
そして実際に実行してみて、この同調法の有用性について、ハッチェマヒオには気付きがあった。
今までの同調法は、『斧術師』が最適最善の行動を選んでいた。
しかし、この新たな同調法の場合は、ハッチェマヒオが行動を選ぶことが可能だ。たとえ、それが最適最善の行動から外れていようともだ。
(社交ダンスの要領だ。リード手が行動を決定し、パートナーはそれに追従する。人と天職がパートを入れ替えようと、この関係は変わらない。もちろん人がリードする場合は、行動の中で姿勢や身動きを完璧に保たねば、天職の方からダンス解消されてしまうだろうが)
持ち主が完璧な身動きをするという保証の上で、天職が主導権を渡しているといった感覚。
行動の主体がハッチェマヒオにあるため、天職に身を預けているときとは違い、ハッチェマヒオの顔には表情が現れる。
新たな同調法を用いたことで、バジゴフィルメンテが防御しようとしていた場所とは違う部分へと、ハッチェマヒオが攻撃を成功できた嬉しさが篭った表情を。その攻撃は避けられてしまったが、それでもバジゴフィルメンテの防御を突破できたことには変わりない。
「おっと。雰囲気が変わったね。天職に使われるままの状態から脱却したってところかな?」
バジゴフィルメンテは微笑み具合を深めた表情で、そんなことを言ってくる。
ハッチェマヒオも、行動の主体が自分にあるため、口から声を放つ。
「体感してみて、貴様の主張が初めて分かった。天職に従うのではなく、天職に従わせた方が更に有用そうだという意見が!」
「自由度が段違いでしょ?」
「そうだな! 自由過ぎて、次の手に迷うほどだ!」
天職の動きは最適最善であることに疑いはない。
しかし、天職の動きは何を目的としての最適最善なのか、それは天職の持ち主の意図と合致しているか、その保証は一切ない。
いまのハッチェマヒオの状況を例にするとだ。
ハッチェマヒオはバジゴフィルメンテに勝利したい。しかし『斧術師』の対戦中の動きは、バジゴフィルメンテに何が何でも勝つというよりかは、持てる技術の中で最上を選び続けるといったものだった。
追い出し大会の目的が対戦者たちが周囲に実力を披露する場という点と、模擬戦の目的が対戦者たちの戦技交流という点を考えれば、『斧術師』の勝利を目指すよりも技術を披露するという行動選択は最適だ。
しかしハッチェマヒオの、この模擬戦における至上命題は、バジゴフィルメンテに勝つことだ。
勝つことができるのなら、観客に実力を認められなくても、対戦者との技術交流が行われなかろうと、ハッチェマヒオは構わない。
そういう目的の差について、ハッチェマヒオは新たな同調法を行ったことで、明確に理解することができた。
「ここからが本番だ! いくぞ、バジゴフィルメンテ!」
「来てよ、ハッチェマヒオ。僕に絶対に勝とうとしている、その心意気を見せてよ」
二人の武器が衝突し、お互いの体が大きく後ろに弾かれる。そして同時に体勢を立て直し、これまで一番激しい攻防が始まった。