158.醜態
ハッチェマヒオは、乗り合い馬車の中から景色を見て、プルマフロタン辺境伯領に入ったことを理解した。
「領の様子を確認するべきだな」
プルマフロタン辺境伯領は、三方を魔境で囲まれた土地だ。
領地の中で一番奥の魔境に接する、プルマフロタン辺境伯家の屋敷がある街。そこへ向かう街道を進むということは、プルマフロタン辺境伯領の開拓された農地の脇を進むことになる。
ハッチェマヒオが学園に旅立った頃は、農地で作物を育てる者と、畑に魔物が入り込まないよう見回りする冒険者の姿を見たものだった。
では今の状況はというと、作物を育てる者は多いが、冒険者の姿はめっきりと減っていた。
その少ない冒険者たちにしても、やる気はあまりないようで、見回りで場所を移動する者は少なく、地面に腰を下ろしている者がいる有り様だ。
(見逃してやった盗賊たちの言い分を信じるのなら、畑の見回りを安い依頼料で請け負ってくれるのは、冒険者の中でも駆け出しや素行不良な者ばかりとのことだったが)
まさに話に聞いていた通りのように、畑の光景は見える。
そうした農地を進んで、街へと入った。
街の中の光景は、あまり以前と変わりはないようだった。
人々は冒険者に信頼を寄せている様子で話しかけているし、冒険者たちも調子よく言葉を返している姿が目に入る。
しかし、どこかしらに両者の関係には歪みはあるようで、何かを頼まれて断る冒険者もチラホラと見えた。
いったい、プルマフロタン辺境伯領に何が起こっているのか。
ハッチェマヒオは、事情が分からないのなら、分かりそうな場所に行くべきだと、乗り合い馬車を下りると即座に領主館へと向かった。
領主館の前までくると、ここも以前とは少し変化していた。
兵士が門番に立っていることはよくあったが、以前は一人だけだったのが、今は四人も立っている。
門から見える屋敷の中も変化していて、多くの兵士が常駐して警戒に当たっている様子だった。
ハッチェマヒオが訝しみながら屋敷に近づくと、門番をしている兵士たちに武器を向けられてしまった。
「何者だ! 領主様に何の用だ!」
兵士の一人の問いかけられて、ハッチェマヒオはムッとしながら言い返す。
「おい! 次の主になる者の顔を見忘れたのか!」
ハッチェマヒオが一喝すると、兵士は疑問顔になってから納得顔に変化した。
「ハ、ハッチェマヒオ様! 学園から、お戻りになられたのですか!?」
「学期間休みというやつでな。帰郷することにしたのだ。それより、何時まで武器を向けているきだ?」
「こ、これは失礼を! おい、みんな!」
兵士たちは大慌てで武器を収めると、最敬礼でハッチェマヒオを迎えた。
ハッチェマヒオは、大仰に頷いてから、屋敷の方を指した。
「入って良いんだな?」
「はい、もちろんです!」
「分かった。ご苦労。職務に励んでくれ」
ハッチェマヒオが労いの言葉をかけてから、開かれた門を通って中へ。
通り過ぎる間、兵士たちの顔が呆気に取られた様子なのが見えたが、ハッチェマヒオは気にせずに屋敷へと歩みを進ませる。
あと少しで屋敷の扉というところで、扉の向こうからパタパタと人が走る音が漏れ聞こえてきた。
ハッチェマヒオは、扉を開ける手を止めて少し待つと、屋敷の中から扉が開かれた。
「ハッチェマヒオ様。お帰りを歓迎いたします」
出迎えてくれたのは、オブセイオンの右腕ともいえる、屋敷の家令だった。
「帰った。それで、我が領の良くない噂を耳にしたのだが?」
「知っておられるのなら、話が早くすみます。事情をお伝えするためにも、まずは執務室へ」
オブセイオンに会えという指示に、ハッチェマヒオは首を傾げたくなる。
ともあれ父親に帰郷の挨拶はするべきなので、家令の意図はどうあれと、ハッチェマヒオは執務室を目指した。
執務室に着き、扉をノックした。
しかし、少し待っても、入室の許しの言葉はやってこない。
それならと、ノックの後に呼びかけをしてみることにした。
「父上。ハッチェマヒオです。帰って参りました」
これなら入室の許しが出るだろうと思った、ハッチェマヒオ。
しかし現実は、何時まで経っても声が戻ってこない。
ハッチェマヒオが困惑していると、家令が扉を開けていいと身振りしてきた。
ハッチェマヒオは困惑を深めつつ、それならと執務室の扉を開けることにした。
「父上、入りますよ?」
声をかけながら扉を開ける。
すると、まず最初に察知したのは、強いアルコール臭。
ハッチェマヒオは顔を顰め、鼻の付近を手で覆いながら、更に扉を開く。
やがて執務室の全貌が目に入り、ハッチェマヒオは唖然とした。
執務室の椅子の上にオブセイオンが座っているのだが、酒瓶を手に爆睡していたのだ。
それだけではなく、執務室の中は荒れ果てていた。
執務机には書類が積まれていて、そこから零れ落ちたと思わしき紙束が床にもある。
酒瓶が何本も床に転がっている。つまみ用だったらしき料理が、皿の上に渇き果ててもいた。
領主貴族の執務室とは思えない散々たる惨状に、ハッチェマヒオは執務室の中に踏み入り、椅子の上で寝こけるオブセイオンの肩を掴んで揺すった。
「父上、起きてください。父上!」
「んんぅぅー。五月蝿い!」
オブセイオンが急に、持っていた酒瓶を振り回してきた。
酒瓶がハッチェマヒオの側頭部に命中し、陶器製の瓶が粉々に砕け散った。どうやら中身は空だったようで、液体が浴びせられることはなかった。
「ハッチェマヒオ様!」
家令が慌てて近寄ろうとするが、ハッチェマヒオは手を上げて制止した。
先ほどの瓶の一撃は、天職の力が乗ってない、単なる暴力だ。
そんな攻撃は、ハッチェマヒオが『斧術師』に体を任せれば、天職の力によって無傷で防ぐことができる。
実際にハッチェマヒオは、酒瓶が破砕するほどの力で殴られたのにもかかわらず、小傷どころか小揺るぎもしなかった。
ハッチェマヒオは、顔や肩に残っている瓶の欠片や粉を手で払ってから、もう一度オブセイオンを揺すり起こそうと試みる。
「父上。ハッチェマヒオです。帰って参りました」
「んんぅぅー。ハッチェマヒオ? おお、ハッチェマヒオではないか~」
ようやく起きた様子のオブセイオンだったが、未だに強く酔っているようで、目の視線は定まらず、口から吐く息には強いアルコール臭があった。
そんな醜態を目にしながら、ハッチェマヒオは努めて冷静な口調で問いかける。
「父上、どうなされたのです。まだ日も高いうちから、泥酔なさるだなどと」
「ふんっ。酒ぐらいしか、楽しみはないのだ! 放っておいてくれ!」
オブセイオンは酔った弱々しい力でハッチェマヒオを押すと、手元に酒瓶がないことを知ったようで、ふらふらと立ち上がると執務室の一画へと向かい、戸棚に入れていた酒瓶を取り出した。瓶の線を抜き、ぐいぐいと中身を飲んでいく。
ハッチェマヒオは、度重なる醜態を目にして、いよいよ眉の間に力を入れてしまう。
「父上。どうして、それほどになるまで酒を飲むのですか」
「どうしてだと?」
オブセイオンは、酒を飲む手を止めると、酔いが回った顔つきのままで怒り始めた。
「バジゴフィルメンテだ! バジゴフィルメンテの所為で、儂は苦しんでいるのだ! あやつが学園で何をしたかは知らんが、有名になっているそうだな! そして儂は、あやつの才覚を見抜けなかった間抜けとして、世に広く伝わっている! 酒を飲まずに、この荒れた心を癒す方法はないのだ!」
吐いた怒気を吸い込む代わりのように、オブセイオンは酒瓶を煽って中身を飲んでいく。
ただでさえ深く酔っているのに酒を入れたからか、それとも怒りで血流が良くなって酒が回ったのか。どちらが原因にせよ、オブセイオンは酒を煽った姿のまま、バタリと床に倒れた。
「旦那様!?」
家令が慌てて近寄り、オブセイオンの口から酒瓶を取り上げた。
酔って倒れたのだが、オブセイオンは無事のようだった。ぐーぐーと寝息を立てて寝ている。
こんなオブセイオンの醜態を見て、ハッチェマヒオは理解するしかなかった。
「父上がこんな調子だから、領地運営が滞っているのだな? だから領地が荒れて、領地から逃げ出す者も出始めているのだな?」
ハッチェマヒオが問いかけると、重そうにオブセイオンを運んでソファーに寝かせた後で、家令が疲れた様子で頷きを返してきた。
「家令の立場から業務を代行しようとしましたが、オブセイオン様は『儂から権力を取り上げる気だな』と聞き入れて貰えず」
「そう言うからにはと書類を持ってきても、父上は読みもせず机に乗せて、酒を楽しんで暮らしていたというわけか」
ハッチェマヒオが重々しくため息を吐いてから、決意を固めた。
「仕方があるまい。いいか、父上はご病気だ。そして僕様は、父上が自ら次の辺境伯だと名指しを受けている。そんな僕様が、領主代行として領地運営を差配する。文句はないな?」
「そうしてもらえるのでしたら、大助かりですとも」
「分かった。ならば――おい、父上はご病気だと言っただろ。お部屋で休ませてやらないか」
「これは気付きませんで。手の者を呼び、部屋までお運びいたします」
「頼む。それが終わったら、僕様の業務の補佐に入ってくれ。最初にやるのは、冒険者組合への補助金の再交付だ。その資料を頼む。準備が整うまで、僕様は執務室の換気と片付けをやっておく」
家令が男性の使用人たちを呼び、えっちらおっちらと、オブセイオンを運び出していった。
ハッチェマヒオは、ひとまず紙束を一ヶ所にまとめてから、転がっている酒瓶を回収することにした。




