14.先触れ
バジゴフィルメンテは、いつも通り薪割り小屋で暮らしている。
その報告を使用人から受けて、オブセイオンは悪所での依頼が果たされていないことを知った。
「まさか、前金を貰って、そのまま逃げたわけじゃあるまいな」
オブセイオンは憤り、夜を待って、再び悪所へと足を向けた。
しかし悪所に入った直後に、三人の荒くれ者たちに呼び止められた。
「お前、あれだろ。エフォルタの野郎に金貨を渡した、あの依頼者だろ」
「な、なんだ、お前たちは」
オブセイオンは狼狽えながら、腰から剣を抜き放つ。
実戦から遠ざかって久しいからか、それとも少し前にラピザにやり込められてしまったからか、オブセイオンの構え方は腰が引けたものだった。
その情けない姿を見て、荒くれ者たちは笑った。
「ぐははははっ。なんだ、そのへっぴり腰は」
「いひひひひっ。立派な剣を持っているから、さぞや良い戦闘職かと思ったのになあ」
「くふふふふっ。こっちも無理に命ははりたくない。金さえ払えば、逃げていいぜ?」
荒くれ者たちに口々に侮られ、オブセイオンは怒り心頭になる。
しかし、以前にラピザに斬りかかった際、オブセイオンの体は自身の天職『剣士』の動きについていけずに肉離れを起こした。
もしいまそんな状態に陥ったら、きっと荒くれ者たちは、オブセイオンの身包みを全て剥ぐことだろう。
その際にオブセイオンがこの土地の領主――領民から蔑まれている貴族だと知られれば、身の安全は保障されなくなることだろう。
オブセイオンは、金で解決できるのならと、構えている剣から片手を離し、その手で懐をあさって財布を取ると、荒くれ者たちへと投げた。
今回は苦情を言いに来ただけなので、大した金は入っていない。銀貨を含めて、金貨一、二枚分ぐらいしか入っていない。
しかし荒くれ者たちは、財布の中身を確認すると、大いに喜んだ。
「へへっ。やったぜ。三人で割っても、借金を返しても、酒が飲める」
「美味い飯が食えそうだぜ」
「女衒で女を買えるな」
荒くれ者たちは、金さえ手に入れば用はないと、オブセイオンに背を向ける。
オブセイオンは安堵しつつ剣を腰の鞘に納め――ここで荒くれ者の一人に声をかけられた。
「金をくれた例に、良いことを教えてやるよ。お前がなにかを依頼した、エフォルタ。あの野郎なら、森の中で死体で発見されたぜ」
「死んだだと!?」
「弱い魔物が群れていたのを冒険者が見つけて、そいつらを追い払ったら、あの野郎の死体があったんだと。魔物に齧られた痕以外にも、刃物で斬られた痕があったからな。お前の依頼をしくじったんだろうな」
その荒くれ者の態度は、エフォルタが死んで嬉しいという様子を隠そうともしていない。
「あのエフォルタが死ぬような依頼だ。お前の依頼を受けるやつは、もういないだろうなあ。まあ、金次第で受けるやつがいるかもしれねえ。だが、あの酒場まで、お前が行けるかな? 俺たちのような奴らが、お前の懐を狙っているからなあ」
悪所では、すっかりとオブセイオンが金持ちだという情報は回ってしまっているようだ。
だからオブセイオンがやってくれば、懐にある依頼料を奪い取るために、荒くれ者が襲撃しに現れる。
つまるところ、オブセイオンが新たに殺しの依頼を行うことは不可能ということになる。
もちろん、悪所に集まるような荒くれ者の大半は、戦闘職持ちだとしても半端者。兵士の一人や二人を連れてくれば、平気で追い返すことが可能だ。
しかし自分の子供を殺そうとしている行動を、オブセイオンは兵士に見せようとは思わない。
自分の子供を殺そうとするなんてと否定するならまだしも、子殺しの情報を盾に脅そうとしてくることも考えられるからだ。
兵士の手が借りられないのだから、オブセイオンが一人で悪所の道を進むのは不可能だ。
オブセイオンは口惜しい気持ちを抱いたまま、屋敷まで逃げ帰るしかなかった。
オブセイオンは屋敷に戻ると、漫然とした気分で酒を煽った。
「くそっ。エフォルタとやらが死んだだと。しかも斬り殺されただと」
森の中で殺されたとなると、オブセイオンの依頼を果たそうと、バジゴフィルメンテを襲いに行ったことは間違いない。
「バジゴフィルメンテめが、刺客を撃退したというのか。いやいや、奴は不適職者だ。有り得ない」
オブセイオンは酒を口に入れながら、じっくりと考えた。
「そうか、ラピザだ。あの暗殺者なら、悪所に入り浸っているような輩程度、殺してみせるに違いない」
オブセイオンは、以前にバジゴフィルメンテが兵士二人を撃退してみせたという事実を都合よく忘れ、ラピザがバジゴフィルメンテを守っているのだと判断した。
そう判断したところで、オブセイオンに対処する手はない。
ラピザを殺せるような強力な手駒は手元にないし、逆にラピザの手腕ならオブセイオンを殺すことは容易い。
下手に手出ししようものなら、オブセイオン自身の命が危ない。
だからオブセイオンは、ラピザに対する行動を起こせない。
「忌々しい。あの暗殺者が、バジゴフィルメンテに絆されなければ……」
それがラピザがバジゴフィルメンテを守ろうとしている理由なのだと、バジゴフィルメンテは誤解を重ねる。
オブセイオンは一人掛けのソファーに座りながら、どうすればバジゴフィルメンテを殺せるのかと悩みながら、酒の杯を重ねていく。
オブセイオンはまどろんだ意識のまま夜を過ごしていき、気づいたときには日が上り始めていた。
灯りに使っていたランタンは、中の油を使い切ったうえで、芯が燃え尽きていた。
「ああ。芯を換えるよう言わないとだな」
のろのろとソファーから立ち上がり、ベッドの中へ。
オブセイオンの意識としては一瞬後、現実時間としては日が完全に上り切った頃に、使用人が慌てた様子で起こしに来た。
「旦那様、大変でございます」
「な、なんだ。大した用件でないのなら、寝かせて欲しいのだが」
オブセイオンの呼気に強いアルコール臭がしたことに、起こしにきた使用人が少しだけ眉を寄せる。
しかし、酒臭い吐息のことなどかまけていられないとばかりに、使用人は語気を強めた。
「旦那様、寝ている場合ではございません。王家の前触れの方が当家にやってきたのです」
「……王家だと!?」
人間の国は、大陸に一つきり。つまり王家も一つしかなく、その権力は絶大だ。それこそ、神の存在に匹敵する扱いをされている。
そんな王家の使い走りが来たと聞かされては、オブセイオンが辺境伯という立場でも惰眠はむさぼれない。
オブセイオンは慌てて起き上がると、使用人が差し出す手紙を受け取った。
封蝋の押印は、間違いなく王家のもの。
オブセイオンが恐る恐る手紙の中身を改めると、驚愕顔になった。
「王家の方が、当家に視察に来ると。希少職『剣聖』の少年の様子を見に来ると」
「剣聖――サンテ坊ちゃんに会いに、辺境まで来られるのですか!?」
使用人は、どうしてこんなことにと嘆き始めた。
この使用人は、バジゴフィルメンテが天職の儀の後から薪割り小屋で暮らしていることを知っている。そしてその状態を、当主の命令だからと、放置していた。
もしも王家の人間が、バジゴフィルメンテが置かれた環境を見たら、どんな叱責をしてくるか。
それを想像するだけでも、使用人は恐ろしさから失神しそうになる。
一方でオブセイオンは、これは逆にチャンスが来たのではないかと考えていた。
王家の人がバジゴフィルメンテを不適職者だと認めれば、大手を振ってバジゴフィルメンテを処分できるからだ。
「王家の方が到着なさるのは、何日後だ?」
「三日ほど後だと、先触れの方は仰られておいでです」
「その先触れを歓待しつつ、王家の方が来られても恥ずかしくないぐらいに屋敷を整えよ」
「もちろんそう致しますが、それだけでよろしいのですか?」
「それ以外に、なにかやることがあるか?」
「サンテ坊ちゃん――バジゴフィルメンテ様のことはどうなさるので?」
「あいつのことは放っておけ。ああ、いや待て。王家の方が来られる日には、森に出ないように言っておけ。それだけでいい」
オブセイオンの命令に、使用人は目が点になる。
「それだけで、ございますか? 王家の方はバジゴフィルメンテ様にお会いに来られるのですよ。服の仕立ては間に合わなくとも、礼服の一つでも着させないことには」
「不適職者に金をかけるのは勿体ない。礼服を作るのなら、ハッチェマヒオに方にせよ。プルマフロタン辺境伯家の跡取りだからな。王家の方に面通ししておきたいからな」
オブセイオンは命令を出すだけ出した後、眠たいからと使用人を下がらせた。
使用人は命令を受け、一礼してオブセイオンの居室から出た。そして本当にそれで良いのかと悩みながらも、当主の命令だからと自身を納得させて、まずは先触れの方を歓待せねばと仕事に向かった。