152.切り札
バジゴフィルメンテの袈裟斬り。
それに対して、『斧術師』は斧の刃の横を盾にする防御を選んだ。
武器同士が打ち合う音の後、剣が斧の表面を擦過する感触が、ハッチェマヒオの手に伝わってきた。
その瞬間、ハッチェマヒオは自分自身の意思で体を動かし、バジゴフィルメンテへ攻撃する体勢へ移行する。そして移行完了したら直ぐに『斧術師』に体を預け直した。
『斧術師』は、既に攻撃の体勢に入っていることを受け、最善の動きとしてバジゴフィルメンテへ攻撃を開始する。
このタイミングで攻撃してくるとは思ってなかったのか、バジゴフィルメンテの行動は数瞬だけ遅れる。
その行動遅れと、ハッチェマヒオが見出していた攻撃直後の僅かな隙。
両方が合わさって、ハッチェマヒオの攻撃を届かせるには十分な時間が作れた――かに思えた。
しかし実際は、『斧術師』がハッチェマヒオの体を動かして踏み込ませ、そして斧を振り始めた段階で、バジゴフィルメンテは防御できるだけの体勢に移行されてしまっていた。
『斧術師』が斧を振るう。
バジゴフィルメンテは間一髪のところで、剣の振り返しが間に合い、斧の攻撃を防御することに成功してみせた。
傍目からでも、バジゴフィルメンテがギリギリ防御できたと分かったのだろう、観客からどよめきが起こった。
「お、おい。今の危なかったんじゃないか?」
「でも防御できてる。バジゴフィルメンテ先輩の考えの内ってことだろ」
ざわざわと観客の声が聞こえる中で、バジゴフィルメンテがハッチェマヒオに笑いかけてきた。
「なにか企んでいる目をしていたから警戒していたけど、どうやら僕の隙を見定めていたようだね」
バジゴフィルメンテが喋ってくるが、ハッチェマヒオは応答せずに体を『斧術師』に任せたままにしている。
そんなハッチェマヒオは、先ほど攻撃に失敗したというのに、心は落ち着いていた。
そも、先ほどの攻撃には、ハッチェマヒオは切り札を使ってない。だから焦る必要は一つもないのだ。
(攻撃する前に分っていた。僕様の動きだしが遅かったから、バジゴフィルメンテの隙に距離を詰め切れないってことはな)
先ほど攻撃を成立させるには、バジゴフィルメンテの剣が斧に当たったと感じた瞬間に動かなければいけなかった。擦過する感触を得てから動いたのでは遅すぎた。
そうハッチェマヒオは気付いたからこそ、切り札を切ることを止めた。
この判断が功を奏しているのを、今まさにハッチェマヒオは感じていた。
(どうやらバジゴフィルメンテは、自然に生まれてしまう隙を僕様が突こうとしていると知って、もう少し様子見を続けてくれる気になったらしい)
本気の動きを始めるまでの猶予時間が増えたことに、ハッチェマヒオは心の中でほくそ笑む。
先ほどの失敗で、ハッチェマヒオが切り札を使う場面は、バジゴフィルメンテが突きを放ってきた直後だと決定した。
つまり、突きが来ることを待ちながら、それ以外の種類の攻撃に反撃しようとする動きを見せれば、猶予時間はより増えることになる。
そういう目論見の下で、ハッチェマヒオは模擬戦を続けていく。
バジゴフィルメンテは、ハッチェマヒオの狙いの一端を知ったからか、わざと隙を見せることは止めて、攻撃に専念し始めた。
ハッチェマヒオは、バジゴフィルメンテの攻撃前後の微小な隙を突くフリを実行する。
攻撃が当たると思ってないので、当然のように防御されてしまう。
しかしバジゴフィルメンテにとって、ハッチェマヒオが微細な隙を見逃さずに攻撃し続けることは喜ばしいみたいだった。
「なるほど。僕に、こんなに隙があったなんて。教えてくれて、ハッチェマヒオには感謝しないとね」
そんな感想を言いながら、バジゴフィルメンテの行動は段々と洗練されていく。一度ハッチェマヒオが突いた隙を、次の際には完璧に修正して見せてくるのだ。
時間が経るに従って、どんどんとバジゴフィルメンテは上達していく。
その剣の才能の化け物っぷりに、ハッチェマヒオは歯噛みしたい気持ちになる。
(調子に乗っていられるのも今のうちだ。僕様が切り札を使って勝利する、その瞬間までだ)
ハッチェマヒオは虎視眈々と、切り札を切る瞬間を待った。
そしてとうとう、その時間がやってきた。
バジゴフィルメンテが左から右へと剣を振り、そして剣を肩横まで引き寄せ、一歩踏み出す――顔を狙った突き、その行動の出始めだった。
ここでハッチェマヒオは、突きが放たれる直前に、『斧術師』から体の操作権を奪って自分で行動し始める。『斧術師』が突きを避けてからでは間に合わないと、そう直感しての選択だった。
バジゴフィルメンテの強烈な突きが顔面中央へと迫る。
その速さと予想される威力に、ハッチェマヒオの心が縮み上がりそうになる。
しかしハッチェマヒオは、今こそが千載一遇の勝機だと気持ちを奮い立たせ、左へ一歩踏み出し、顔を思いっきり左に傾かせ、手にある斧の位置を微調整してから『斧術師』に体を預け直した。
右耳の側を、バジゴフィルメンテの剣の先が通過する。
その感覚がする直前から、『斧術師』はバジゴフィルメンテへ攻撃し始めていた。
ハッチェマヒオが狙ったように、『斧術師』はバジゴフィルメンテが突き伸ばした腕へと斧を振るっている。
(ここだ!)
ハッチェマヒオは、『斧術師』の動きに意識と体を同調させる切り札を実行した。
『斧術師』の普段の動きの数割増しの速さで体が動き、当たれば悶絶必至の威力が斧に乗る。
バジゴフィルメンテは、今まさに突きを放ち終えたばかりの状態。ここから剣を引き戻しても、斧が到達することを止めるだけの時間的猶予はない。
(僕様の切り札と作戦の勝ちだ!)
ハッチェマヒオは、斧を振り抜いた。その手には、何かを斧が斬り上げた感触が走った。
しかし、その感触を得た直後に、ハッチェマヒオは違和感を覚えた。
(手応えが軽すぎる)
斧で肉を叩いた感触とはほど遠い、たわむ布を叩いたかのような感触。
ハッチェマヒオは、ここで改めて、何が斧に当たったのかに目を向けた。
ハッチェマヒオの眼前には、模擬戦用の斧の攻撃によって空中に打ち上がっている、長い黒髪があった。その髪の何本かは、模擬戦用とはいえど斧で叩かれたことで千切れ、空中を漂っている。
(これは、バジゴフィルメンテの後ろ髪!?)
ここに髪があるということは、バジゴフィルメンテは剣を引き戻して防御するのではなく、さらに踏み込んでハッチェマヒオの通り過ぎることで攻撃を回避したということ。
ハッチェマヒオは、目を自分の背後へと向ける。
すると、無理に前へ踏み込んだためか、地面に四つん這いになるような体勢でいるバジゴフィルメンテの姿――いや、極めて低い体勢になってはいるものの、次の攻撃を放とうとしている。
(しまっ――)
『斧術師』がハッチェマヒオの体を動かして、前へと退避させようとする。
しかしその行動が実現するより先に、バジゴフィルメンテが低い体勢から伸びあがるようにして体勢を戻して横薙ぎの攻撃してくる方が早い。
そして、ハッチェマヒオの背中に、バジゴフィルメンテの薙ぎ払いが命中した。
バジゴフィルメンテ動きは、様子見ではない、本気のもの。それも命のやり取りをするかのような、極めて真剣なものに映った。
「――ぐぎぃッ!」
天職の防御を抜く一撃を食らい、ハッチェマヒオは悲鳴に近い声を放ってからうつ伏せに地面に倒れ込んだ。
その倒れたハッチェマヒオの後ろ頭に、バジゴフィルメンテの剣の先が突きつけられた。
それはあたかも、狩りの獲物に対して確実に止めを刺すための行動かのようだった。
「ふぅ、焦った。まさか、天職の行動を早くする切り札を持っていたなんてね。いや、威力も底上げされている感じだったね」
一度体験しただけで、あっさりと切り札の全容を掴んだ様子の、バジゴフィルメンテ。
ハッチェマヒオは、切り札が不発に終わってしまったうえに敗北してしまったことに対し、背中の痛みを忘れて歯ぎしりしながら悔しがる。
「ぐぎぎぎっ。どうして避けられた! さっきのは、完璧に当たる状況だっただろ!」
ハッチェマヒオが大声で吠えると、バジゴフィルメンテは口元を笑みを浮かべる。
「僕の行動には隙があることを、ハッチェマヒオが教えてくれたんじゃないか。だから、まだ隙を狙われていない――まだ隙があるはず突きを放てば、ハッチェマヒオが乗ってくることは分っていたんだ。だから用心をしていたんだよ。だから回避が間に合った」
「僕様の判断が裏目に出ていたといいたいのか!」
「いいや違うよ。ハッチェマヒオの狙いは良かったんだ。勝負を焦ったのが敗因だよ。僕がハッチェマヒオの立場なら、相手に偽の情報を渡すね。突きが狙いどころだとしたら、一度狙いとは違う反撃をしておく。そうすれば、相手は突きの隙がどこにあるかを誤解するでしょ。その誤解で警戒を緩めてから、本命の攻撃を叩き込む。そうすれば、命中する確率はぐっと上がるはずだ」
そう説明されて、ハッチェマヒオは一理あると納得してしまう。
バジゴフィルメンテの方法ではないにしても、もっと丁寧な布石の打ち方はあったはずだと、自省する。
「ぐうぅぅ。負けを認める! だが次は、今日のようには行かないからな!」
「初めから、天職の動きを良くする仕組みを使う気でいるんでしょ。今から再戦するかい?」
バジゴフィルメンテがそう提案してくるが、ハッチェマヒオは首を横に振る。
「無為に優位を消費する馬鹿はやらん! 今日ではなく、次の機会だ!」
「そうか、残念だけど、その機会を待っているよ」
バジゴフィルメンテが敢闘をたたえるように差し出してきた手を、ハッチェマヒオは打ち払ってから自力で立ち上がる。
観客の生徒が無作法を咎める声を上げるが、ハッチェマヒオは無視して運動場を後にした。
立ち去るハッチェマヒオの目には、次の機会にこそ勝つという意思が篭っていた。




