142.転機
『大剣豪』負ける。
この事実は、かなり大きな話になっている。
このことをハッチェマヒオは、次学期が始まるまでの学期休みの中で知ることになった。
まずは、貴族寮に住む学生たち。
もともと学生で将来は辺境で身を立てようと考える者たちの多くは、バジゴフィルメンテ流の天職の力を自力で引き出す方法を学んでいた。
そして『大剣豪』がバジゴフィルメンテに負けたことで、神が祝福した土地に領地を持つ貴族の子息子女も、バジゴフィルメンテ流に乗り換えようという動きが出始めていた。
特に半年前に学園に入った新入生は、二学期目にほとんどが乗り換える気らしい。
「『剣聖』と『大剣豪』。過去の歴史の記述の中じゃ、大して差がないらしいんだ。でも、バジゴフィルメンテ先輩勝っちゃったでしょ。しかも力を見せつけるような感じで。だからうちの親が、バジゴフィルメンテ先輩の方法を学べんでこいって。まだ学園入って半年。それぐらいの遅れは取り返せるだろうからって」
「あー、うちんとこも変えろって言ってきた。学んで、領地に広めろって」
女子学生たちが、親の言いつけだからと困るという感じを出しながら、バジゴフィルメンテ派の学生に流儀の乗り換えを願い出ていた。
他の生徒たちも、色々な伝手を辿って、従来法からバジゴフィルメンテ流へと移ることにしたようだった。
そうして従来法で残ったのは、ハッチェマヒオとトレヴォーソ、そして王城勤めを希望する生徒ぐらいだった。
ハッチェマヒオは、バジゴフィルメンテへの対抗心から。トレヴォーソは、『大剣豪』に身を任せて暮らしているため。王城勤め希望は、雇われる最低条件が就業中は常に天職に身を任せらる技量が要るためだ。
次の新入生も、今のハッチェマヒオ達と同じような特段の拘りや王城務め狙い出ない限り、バジゴフィルメンテ流に一極集中することになりそうな見通しだ。
これは『大剣豪』が負けた理由もそうだが、バジゴフィルメンテが学園三年目に入るのも理由。
学園の三年目。その前期は、今までと同じ学園生活が続く。しかし三年の後期になると、成績優秀な者は学園を出て実地研修に行く自由が与えられるため、生徒によっては学園にいないことも有り得る。
バジゴフィルメンテは、座学も実技も優秀な生徒。そして剣の技を鍛えることに感心が強いことを考えると、三年目の後期は学園の外に修行に出る可能性が高い。
だから次の半年間が、バジゴフィルメンテの指導を学園で受けられる最後の学期になる可能性が強い。
そういう目算があることから、次の新入生は開祖の直々の教えを受けられる最後の学生になり得る。そのため各貴族家は挙って、バジゴフィルメンテ流を子供に学ばせる。そんな予想が立っていわけだった。
では、既に学園に数学期通っている学生はどう考えたのか。
こちらも大体が似た流れではあるものの、幾分かは従来法に残る生徒が多い。
今から乗り換えた場合、次の新入生と同じ土俵で学ぶことになる。そして既に数学期分の日数を消費しているため、新入生よりも学べる月日は確実に少なくなる。
この少ない日数でバジゴフィルメンテ流を修める努力をするぐらいなら、従来法を学び続けて完璧にした方が良い。そう判断した生徒ないしはその親が多くいたらしい。
それでも、バジゴフィルメンテ流が良いと判断して乗り換える生徒は、少なからず出たようでもあった。
時代の潮流の中心に、バジゴフィルメンテがいる。
その事実に、ハッチェマヒオは忸怩たる思いを抱く。
「幸いなのは、父上がバジゴフィルメンテを目の敵にし続けているから、バジゴフィルメンテ流の方法を学べとは絶対に言ってこない点だな」
そもそも王城とプルマフロタン辺境伯領は遠い。
バジゴフィルメンテの活躍を、領地の屋敷で暮らすオブセイオンは知らない可能性が高い。
そのお陰で、ハッチェマヒオは従来法でバジゴフィルメンテを打倒するという目標を崩さずにいられる。
ハッチェマヒオは、自分の身を考える必要はないと安心し、バジゴフィルメンテ流への考察に移ることにした。
「誰もかれもが、バジゴフィルメンテ流に夢を見過ぎだ。そもそもあの方法は、個人の才能が必須な、残酷なものだぞ」
ハッチェマヒオが見抜いたバジゴフィルメンテ流の欠点は、まさしくそれ。
バジゴフィルメンテが『大剣豪』に勝てた理由は、バジゴフィルメンテが自力で『剣聖』の能力を引き出せたのではなく、バジゴフィルメンテ自身が『大剣豪』よりも強かっただけ。
つまりはバジゴフィルメンテほどの剣の才能がなければ、バジゴフィルメンテ式を学んだところで、大して強くはなれない。
バジゴフィルメンテ流の方法はあくまで、自分の意思で体を動かしつつ天職の力をも自由に引き出すものでしかない。
「才能乏しい者の場合は、バジゴフィルメンテ流ではなく、従来法の方が強くいられると思うのだが」
ハッチェマヒオに確信が持てないのは、生徒本人にどの程度の才能が眠っているかは人の目では測れないため。
もしも神が人の才能に見合った天職を与えているのなら、与えられた天職と同程度の事は自分の努力で達成できるはず。その場合は、バジゴフィルメンテ流であろうと従来法であろうと、出来上がる強さは同じということになってしまう。
「同じ結果で終わるのなら、身を任せるだけで済む従来法の方が楽なのは明白だ」
ハッチェマヒオは、バジゴフィルメンテへの対抗心以外の、従来法を学ぶ道理を組み立て終えた。
これで迷いなく、従来法を信じて訓練することができる。
そうハッチェマヒオが確信を深め、早速練習だと運動場へと繰り出した。
すると間が悪いことに、バジゴフィルメンテ派の一大集会が運動場で行われていた。
恐らくは学ぶ方法を乗り換えた生徒たちのために、臨時でバジゴフィルメンテ流を教えているのだろうと、ハッチェマヒオは考えた。
運動場は仕えなくても、その片隅にある的が並んだ場所には人影が少ない。
それなら今日は、的を相手にして天職に身を任せる方法を習熟しようと、ハッチェマヒオは決めた。
その的の場所へ向けて歩いていく中で、段々と人影の全貌がハッキリしてきた。
人影は、どうやらバジゴフィルメンテとアマビプレバシオンのようだった。
その二人を認めて、ハッチェマヒオは思わず足を止めそうになる。
あの二人だけがあそこにいる理由を邪推――逢瀬を行っているのではないかと思ったからだ。
「……ふんっ。僕様がバジゴフィルメンテに遠慮する必要がどこにあるというのだ」
ハッチェマヒオは自分に暗示をかけるように言葉を口にすると、止まりかけていた足を動かしていき、的のある場所へと到着した。
ハッチェマヒオの登場に、バジゴフィルメンテとアマビプレバシオンは何とも思っていなさそうな顔を向けてきた。
その二人の様子から、逢引きをしていたわけではないのだなと、ハッチェマヒオは理解した。
それならいい機会だからと、ハッチェマヒオはバジゴフィルメンテに宣言することにした。
「『大剣豪』は負けてしまったが、まだ僕様がいる! バジゴフィルメンテ。お前が学園を卒業するまでに、僕様が勝ってやるからな!」
ハッチェマヒオの勝利宣言に、しかしバジゴフィルメンテは微笑んだまま表情を変えない。
表情を変えるまでの話ではないと思われていると感じ、ハッチェマヒオは憤慨する。
「僕様には出来ないとでも思っているのだろうな! だが泣きを見るのは、バジゴフィルメンテの方だからな!」
再度同じ意味の言葉を重ねると、今度こそバジゴフィルメンテの表情が変わった。
しかしそれは ハッチェマヒオの言葉を真剣に捉えているとは思えない、ちょっとした困り事に出会ったような顔に変わっただけだった。
「えーっとね、ハッチェマヒオ。悪いのだけど、その望みを叶える機会は、かなり少なくなるよ?」
心苦しいような声色での言葉に、ハッチェマヒオは困惑で表情を変えた。
「機会が少ないとはどういうことだ」
「僕が学園に居られるのは、あと2つの学期だけだ。それで卒業間近の方の学期は、学園の外に出て活動する気でいるんだ」
「むっ。それは予想していたが?」
「分っていたのなら話は早いね。だからハッチェマヒオが僕と戦える機会は、次の学期中か、もしくは卒業式での追い出し大会だけになるんだ。追い出し大会は、成績の優秀度で対戦相手が決まるから、ハッチェマヒオと必ず当たるわけじゃないという点も注意だね」
そう教えられて、ハッチェマヒオはようやく気付くことができた。
「次の学期で僕様がバジゴフィルメンテに勝てなければ、次に戦う機会はないということか?」
「ハッチェマヒオが追い出し大会で僕と当たることになるほどの成績優秀者になったら、それが学園では最後の機会だね」
唐突に出てきた、制限時間。
ハッチェマヒオは、次の学期でバジゴフィルメンテを超える実力を手に入れられるのかと後ろ向きに考えそうになり、慌てて僕様なら出来ると考え直した。
「いいさ! 追い出し大会なんて関係ない! 次の学期で、僕様はバジゴフィルメンテを超えてみせる!」
「楽しみにしているよ。ああ、ここで訓練する気だったんだね。邪魔したら悪いから、僕たちは場所から出ていくとするよ」
「ハッチェマヒオ様。お会いできて良かったです」
バジゴフィルメンテに連れられて、アマビプレバシオンも的が置かれた場所から去っていった。
ここでようやくハッチェマヒオは、好きな相手であるアマビプレバシオンと会話をする絶好の機会だったことに思い至り、この時ばかりはバジゴフィルメンテのことを他所に置いて盛大に悔しがったのだった。