139.バジゴフィルメンテとトレヴォーソ:序盤戦
ハッチェマヒオとマーマリナは隣り合った状態で、バジゴフィルメンテとトレヴォーソの模擬戦を見ていた。
二人は静かに見ているが、周囲にいる人の多くの様子は違っていた。
その人達の顔には困惑が浮かんでいる。
それはどうしてか。
バジゴフィルメンテとトレヴォーソが、審判が試合の開始を宣言した後、お互いに歩み寄り、ある一定の距離で止まり、そのまま動かなくなったからだ。
バジゴフィルメンテは微笑んで、トレヴォーソは『大剣豪』に体を預けた状態の無表情で、剣を構えて見つめ合ったまま停止している。
試合が始まってさほど時間は経ってないはずだが、なにも変化がない状態だからか、かなり長い時間二人が止まっているように感じられる。
ハッチェマヒオは、二人が様子見をしているのだと気付いていたが、それでも段々とじれったくなってきた。
「全く変化がないのは詰まらんな」
焦れから愚痴を零したところ、隣のマーマリナに笑われた。
「おほほっ。やっぱり天職に身を任せる人の観察眼は大した事ありませんわね」
「なんだ、その貶し言葉は。僕様が何か見落としているようではないか」
「事実、見落としてますでしょ。お二方の足元を、よく観察してごらんなさいな」
マーマリナに言われて、ハッチェマヒオは目を凝らして、バジゴフィルメンテたちの足元を見る。
何もないように見えたが、ほんの僅かな違和感を抱く。
その違和感が何かを探って、ようやくマーマリナの言いたいことが分かった。
「あの二人のどちらとも、足元の地面に擦れた痕があるな。あれは、足跡だな?」
「その通りですわ。二人とも動いていないように見えて、ほんの僅かに前に出たり後ろに退いたりしているんですのよ」
「単なる様子見ではなく、間合いの測り合いをしていると?」
「達人の域に達すると、間合いの取り合いで決着がつくものだそうですわ」
誰かからの聞きかじりだと分かる、マーマリナの賢しらな説明。
ハッチェマヒオは、腹の立つ女だと思いったが顔に出すことはなく、解説の続きを促すことにした。
「間合いの測り合いが終わった後は、どうなると思う」
「バジゴフィルメンテ様の気分次第ですわね。『大剣豪』と遊ぶ気でいると、わたくしは思っていますわ」
「遊ぶ、だと?」
試合に相応しくない言葉に、ハッチェマヒオは眉を寄せる。
しかしマーマリナは、彼女が常識だと思っている口調で、バジゴフィルメンテの今の気持ちを推測していく。
「バジゴフィルメンテ様は、ご自身の剣技の向上に並々ならない熱意を持ってますわ。その技術向上のため『大剣豪』を糧にする気でいますわよ」
「『大剣豪』の戦い方を引き出すため、あえて手を抜くということか?」
「手を抜くという表現は正しくありませんわね。『大剣豪』が十全に技術を発揮できるよう、全力でお膳立てをするはずですわ」
「なぜ、そんな真似をする。バジゴフィルメンテとて、余裕が過ぎれば負けることもあるだろうに」
「言いましたでしょう。バジゴフィルメンテ様は剣技の向上に熱意を持っていると。逆を返せば、剣技の向上につながるのなら、試合での勝ち負けなんてどうでもいいんですわ」
ハッチェマヒオは、マーマリナが語るバジゴフィルメンテの価値観を理解できない。
「そうは言うが、バジゴフィルメンテのヤツは連戦連勝なのだろう。つまり勝ちたいという気持ちがあるんじゃないのか?」
「違いますわ。バジゴフィルメンテ様が勝つことで、戦った相手は奮起してより上の技術を身に着けて、また挑んでくるのですわ。従来法であれば、発揮できていなかった天職の動きができるようになって。バジゴフィルメンテ流の教えを学ぶ生徒なら、新たな技術や隠し玉を身に着けて、ですわ」
「強敵になるよう、バジゴフィルメンテは相手を育てているとでもいうのか?」
「育てる。そうですわね。その表現がピッタリですわ」
ますますもって、ハッチェマヒオはバジゴフィルメンテの精神性が理解できない。
勝負は勝つことが至高で、負けた経験は勝つための布石に過ぎない。そして戦った相手に対しては、また挑んで来ようと思わないほどに叩き潰すべき。それがハッチェマヒオの信条だ。
その信条からすると、勝ち負け関係ないうえに、対戦相手が強くなることを望む行為は、気持ち悪いほどの異質だと感じられてしまう。
(ふんっ。バジゴフィルメンテとソリが合わないのが確定しただけのことだな)
ハッチェマヒオは、バジゴフィルメンテの思惑などどうでもいいと、思考を切り替えることにした。
「しかし、状況が動かんな」
「そうですわね――いえ、バジゴフィルメンテ様が、少し欲を出し始めましたわ」
ほんの微細に前に出たり後ろに下がったりして、距離を一定に保っていた、バジゴフィルメンテとトレヴォーソ。
しかしバジゴフィルメンテが、ほんの短い距離ではあるが、トレヴォーソの距離を縮めた。
『大剣豪』はトレヴォーソの体を動かし、踏み込んまれた分だけ下がる。だがバジゴフィルメンテは踏み込み直して、短くした距離を保ち続ける。
すると『大剣豪』も、距離を保つことを止めたかのように、爪の距離分だけ間を詰めてみせた。
そこから、両者の距離が縮まるのは早かった。
バジゴフィルメンテはするすると地面を滑るように、『大剣豪』は大きく踏み込んで、互いの間にある距離が剣を交えるに十分なものへ。
瞬間、バジゴフィルメンテと『大剣豪』の剣が交差し、悲鳴のような金属同士の衝突音が運動場に響いた。
どうやらここからが、二人の対戦の本番のようだと、ハッチェマヒオは真剣な目で状況を見定めることに注力することにした。