125.『大剣豪』
ハッチェマヒオの求めに、マーマリナは快く引き受けてくれた。
「噂に聞く『大剣豪』ですわね。わたくしが、どれほどのものか確かめてさしあげますわ!」
自身満々といった様子の、マーマリナ。
それなら早速と、ハッチェマヒオはトレヴォーソを連れてきた。
マーマリナは、いつもと変わらず無表情なトレヴォーソに目を向けて、怪しんでいるような目を向けてくる。
「その方が『大剣豪』ですわよね。もう天職に身を任せているようですけれど?」
口調から察するに、どうして戦闘態勢に入っているのかという詰問だった。
ハッチェマヒオは、首を横に振って、そうじゃないことを示す。
「トレヴォーソは、四六時中、天職に身を預けっぱなしだ。つまり、この状態が普通だ」
「常日頃とは?」
「僕様が見ている中で、一度たりとも、こいつ自身の意思で体を動かす姿はなかった。恐らく、起きてから寝るまで、ずーっとだ」
「それはまた、バジゴフィルメンテ様とは別方向の、ぶっ飛んだ方なのですわね」
マーマリナの評価を聞いて、ハッチェマヒオは首を傾げる。
「王城で働く者は、常に天職に身を預けている者だと聞いたことがあるが?」
だからどうして『ぶっ飛んだ』なんて評価になるのかと言外に尋ねると、マーマリナが呆れ顔を返してきた。
「それは業務を行っている間は、という意味らしいですわ。だから業務時間外――例えば食事中や休憩時間などは、条件に当てはまりませんの。これは、アマビプレバシオン様から聞いた、確かな情報ですわよ」
「そうだったのか。それは良い情報だ。こちら側が共有しても?」
「構いませんわ。そちらには有益でしょうけど、バジゴフィルメンテ派閥が秘匿しても意味のない情報ですもの」
話がズレたが、マーマリナが軌道修正をしてくれる。
「それで、わたくしはその方と戦えば良いのですわよね」
「その通り。開始の合図は、僕様がやってやろう」
マーマリナが構え、その対面へとトレヴォーソを配置してから、ハッチェマヒオは二人の間に立って審判役を担う。
「それでは。ようい、開始!」
ハッチェマヒオが号令を発した直後、トレヴォーソが先に仕掛けた。
トレヴォーソは――『大剣豪』は木剣を右肩の上に乗せる構えを取りながら、真っ直ぐにマーマリナへと駆け寄っていく。
素早い接近を見てか、マーマリナは構えを防御偏重のものへと切り替えている。
「よしっ、来なさいですわ!」
マーマリナの気合の声に応えるように、『大剣豪』が素早い剣振りを行った。
マーマリナのガントレットと、『大剣豪』の剣が当たり、甲高い音が響く。
マーマリナの防御は、完璧に剣の軌道を防いでみせた。
しかし剣の威力が予想外に体に響いているのか、マーマリナは防御の構えを解けないでいる。
そんな風にマーマリナが動けないでいる間に、『大剣豪』は二度三度と剣振りを行っていた。
マーマリナはガントレットで全てを防いでいるが、ハッチェマヒオの目からだと明らかに劣勢に立たされているように見えた。
「くうぅ。バジゴフィルメンテ様の剣撃並みとは、恐れ入りますわね!」
マーマリナのその言葉は、果たしてどんな意図を持ってのものなのか。
単なる愚痴か。それとも現状認識なのか。
ハッチェマヒオが評価をつける前に、マーマリナに新たな動きが現れる。
マーマリナはガントレットを剣を受け止めるように使っていたが、ハッチェマヒオとの戦いの時にやった、攻撃を逸らすように使い始めたのだ。
しかし、流石は希少職の『大剣豪』。
マーマリナの逸らしに即座に対応して、体勢を崩すことなく剣振りを続けている。
片方が防御。片方が攻撃。そんな光景がずっと続く。
ハッチェマヒオは、その二人の戦闘を間近で見ながら、マーマリナの評価を上げた。
これほど長く『大剣豪』の攻撃にさらされて立っていられた人物は、天職に身を預ける従来法を学ぶ学生の中には居なかった。それこそ、卒業間近な最上級生を含めてもだ。
(『大剣豪』が攻めきれていないのは、先ほど教えてもらった、最適な動きが予想できるという話に繋がっているんだろうな)
『大剣豪』の剣振りは、傍目からすると、無駄が無くて洗練された素早いもの。
それこそ、瞬き一つの間に斬り捨てられてしまうような、そんな鋭さがあるものだ。
そんな攻撃の全てを、見てから防ぐのは難しい。
だけれども、剣を振り始めるより先に、どこを攻撃されるのかが分かっていれば、その場所を防御しておけばいいので、防ぐことは容易になる。
事実、マーマリナの動きを注視すれば、『大剣豪』が剣を繰り出し始めた直後には、打たれる場所にガントレットを配置し終えていることが分かる。
しかし詳しく見ると、その防御も完璧とは言い難いようだと、ハッチェマヒオは感じていた。
(『大剣豪』は剣一本で戦っている。対するマーマリナは左右の腕に一つずつガントレットがある。つまり一つの武器に対して二つの防具を操ることで、どうにか防御を成立させているようだ)
防御は成立しているが、模擬戦の時間が経ち、マーマリナの動きは鈍り出している。体力切れだ。
逆に『大剣豪』が動かすトレヴォーソの体は、最適な動きを続けているため、体力消耗による運動の鈍りは原則的に起こらない。
その動きの冴えの違いによって、段々とマーマリナの防御が追いつかなくなっていっている。
「くっ、ぬ! まだ、まだ、ですわあ!」
体中から汗を滴らせながら、マーマリナが気合の声を吐く。すると、鈍っていた体の動きが、模擬戦開始直後程度まで持ち直した。どうやら根性と底力を発揮し、無理に体を動かしている様子だ。
しかしそれは、体力切れ間近の足掻きのようなもの。
多少の延命は出来ても、勝負を覆すほどの効果は見込めない。
少なくとも、ハッチェマヒオはそう考えていた。
だがそうではないことを、この直後に知ることになる。
『大剣豪』が何度か攻撃し、とうとうマーマリナが防御しきれずに体勢を崩した。
ハッチェマヒオにも見えた。マーマリナの首の左側の防御が皆無になっている。明確な隙だ。
『大剣豪』もそれが分かったのだろう。正確無比かつ強烈な一撃を、その首の隙目掛けて振るう。
これは決着だ――というハッチェマヒオの予想は外れる。
「引っかかりましたわね!」
マーマリナが怒声のような声を上げながら、首の左へと左腕を持ち上げた。
『大剣豪』の剣が、マーマリナの左腕を打つ。
攻撃は命中。しかし致命傷となる場所ではない。勝負決着とはいかない。
その上で、マーマリナが左手で剣を掴んで、その動きを止めてしまっている。
「食らいなさいな!」
マーマリナは宣言しながら、足を振り上げる。
ハッチェマヒオも先ほど食らった、顎を下から上へと蹴り上げる攻撃だ。
『大剣豪』は剣を掴まれて動けない。
これは決着かとハッチェマヒオは思った。
だが、流石は希少職の『大剣豪』。一筋縄には行かない。
『大剣豪』は捕まれている剣を巧みに動かして、マーマリナの体勢を崩させた。それにより、マーマリナの蹴る体勢が完璧から外れる。
バジゴフィルメンテ式の天職の力の引き出し方は、天職が認めるほどの綺麗な動きをすることであると、ハッチェマヒオも聞いたことがある。
そして崩れた体勢の蹴りは、その条件に当てはまらなくなる。
そのため、マーマリナの蹴りはトレヴォーソの顎を捉えたが、天職の力を失った蹴りは『大剣豪』が動かす体にダメージを与えることは出来なかった。
「くっぅ! 失敗しましたわ!」
マーマリナが口惜しそうな声を上げた直後に、彼女の足を『大剣豪』が蹴り払った。
背中から地面に落ちた、マーマリナ。
『大剣豪』は腕に力を込めると、掴まれたままの剣を倒れているマーマリナの首に、木剣の刃に相当する部分を押し当てた。
完璧な決着な構図に、ハッチェマヒオは終了を告げることにした。
「トレヴォーソの勝ちだ。文句はないな!」
確認を取ると、マーマリナは地面に倒れながら首を縦に振った。
「わたくしの負けですわ。噂の『大剣豪』は伊達ではありませんでしたわね」
負けても清々しそうなマーマリナに、ハッチェマヒオは疑問をぶつける。
「悔しくなさそうだな?」
「ふふっ。負けたからには、悔しいですわよ。ですが、この悔しさも慣れたものですわ。わたくしが何度、バジゴフィルメンテ様やアマビプレバシオン様に負けていると思っていますの。ちなみにバジゴフィルメンテ様相手だと、学園に入学してから一度も勝てたためしはありませんわ」
「負け慣れているから、悔しさも少ないということか?」
「違いますわよ。この負けは、わたくしの実力向上のための糧になるのですわ。悔しいだけではないからこそ、平然としていられますのよ」
マーマリナは微笑んでから、寝転がった状態から起き上がった。
「さて、これで、こちらの派閥の謝罪は終わりという認識でよろしいですわね?」
マーマリナの問いかけに、ハッチェマヒオは事の発端を思い出した。
「ああ、問題ない。謝罪はちゃんと受け取った」
「それなら良かったですわ。それでは、自派閥のもとに帰らせていただきますわ。失礼いたしますわね」
マーマリナは一礼し、背中を向けて去っていく。その運動着の背中は、先ほど転がされたときに付いた土に塗れていたが、負けても誇りを失っていないようにハッチェマヒオには見えた。