116.午後の訓練
本格的に授業が始まった。
午前の座学は新入生たちが同じことを学ぶ。
しかし午後の実技授業では、生徒個人が選択した方法で学ぶことになる。
従来の方法か、それともバジゴフィルメンテの方法かをだ。
ハッチェマヒオは、もちろん従来方法を選んだ。常に天職に体を預けっぱなしの、トレヴォーソも必然的にこちら側になる。
ハッチェマヒオはトレヴォーソを連れて、運動場の一画へ。
その場所は、多数の丸太や標的があり、自己鍛錬に適しているように見えた。
「お前たちには、午後の授業いっぱい、これら標的に向かって、天職に身を任せた状態での攻撃をしてもらう」
教師はそれだけ言うと、彼の近くに置いてあった椅子に座ってしまう。
教師の態度としてはどうかと思う姿ではある。
だがハッチェマヒオは、その教師の態度こそが正しいと分っていた。
なにせ従来の方法は、生徒が自身の天職に身を任せることでしか学べない。
教師が熱血指導を志したところで、言うべきこととやるべきことは「天職に身を任せるんだ」と指示するだけしかできない。それに、教師がやれやれと言ったところで、生徒が簡単にできるというものでもない。
要するに、この場での教師の役割は、生徒が天職に身を任せる姿を見ていることと、助言を生徒が欲したときに対応することで、必要がないときは椅子に座って待機するぐらいが丁度いいのだ。
そうハッチェマヒオが納得したように、他の多くの生徒も同じ風に納得しているようで、誰も不満の声を出すことなく訓練を始めていた。
そうした生徒の中で異彩を放ち始めたのは、ハッチェマヒオの横にいた、トレヴォーソ。
トレヴォーソは、相変わらずの無表情のまま、木剣をすらりと構え、そして丸太の一つへと打ちかかった。
その動きは、そう動くことが自然だと思わせる滑らかさだった。
そして、その動きで打たれた丸太には、かなり大きな音を立て、そして大きな傷が生まれていた。もちろんトレヴォーソが握っている木剣に破損はない。
その後もトレヴォーソは、丸太を相手に木剣を連続で振るう。
途切れ目のない連続攻撃によって、丸太はどんどんと削られていく。空中に飛び散る木くずが、綺麗で滑らかな動きに反して、木剣が強烈な打撃を与えらている証明となっている。
そうした光景を、生徒たちも教師も呆然と見続けてしまう。
ハッチェマヒオがハッと我に返ったのは、木剣で削られる丸太がもう少しで削り折られそうになった頃。
「ま、負けていられるか!」
ハッチェマヒオは対抗心を燃やして、自分も天職『斧術師』に体を預けた。
『斧術師』によって体が自然と動き始め、トレヴォーソが打ちかかっている標的の隣にある、丸太へ打ちかかる。
バシバシと重く大きな音を立てて、木斧が丸太へとぶつかる。
片や『大剣豪』で、片や『斧術師』。
同じ木の武器による打ちかかりであっても、『大剣豪』が散らせる木くずの方が量が多い。
それでもハッチェマヒオは、これが自分の信じる道だと確信を持って、体を『斧術師』に預け続ける。
やがてトレヴォーソを操る『大剣豪』は、標的の丸太を削り切って倒したところで、訓練は終わったとばかりに生徒たちが集まる場所まで下がった。
ここでようやく、他の生徒たちも訓練に参加しだして、それぞれが天職に身を任せ始めた。
ここにいる生徒たちは、バジゴフィルメンテの方法に平民や平凡職が集まったこともあって、貴族家のそれなりに貴重な戦闘職の者ばかり。
天職に身を任せることも、短時間なら誰もが可能のようだった。
ハッチェマヒオは、それら生徒たちの天職の動き方を見て、思いを新たにする。
(バジゴフィルメンテの方法が優れているというのは、やっぱりまやかしだ。これほど見事な動きを、一朝一夕どころか、数年で学ぶことなどできやしない)
ハッチェマヒオは、そう確信を強めると、さらに自分の体を『斧術師』に預けることに注力することにした。