113.入学
同じ宿に居合わせた縁から、ハッチェマヒオ一行とトレヴォーソ一行は同道することになった。
しかし同道といっても、単に旅の歩調を合わせる程度のものでしかない。
その理由は、トレヴォーソが常に『大剣豪』に体を預けっぱなしだから。
天職に身を預けると、無表情になり一切喋らなくなるのは常識だ。
なのでトレヴォーソが喋らないのならと、ハッチェマヒオは気を利かせて声をかけてやる必要はないと判断し、お互いにあまり干渉せずに過ごすことにした。
そんな不思議な様子の旅も、王都に入って、さらに学園の前まで来れば終わりになる。
ここから先は、生徒であるハッチェマヒオとトレヴォーソ、その両者を世話する使用人だけが、進むことができるばしょだ。
ハッチェマヒオは、馬から降り、運んできた荷物と使用人を横に置くと、教育係を終える二名と会話することにした。
「いままでご苦労だった。二人はこれから、どうするのだ?」
「プルマフロタン辺境伯家に戻り、次の弟君が生まれて育つまでは、領軍に勤めることになるかと」
そう接近戦を教えた方の教師が答えた後で、今度は魔法を教えた教師が答える。
「別の魔法を扱う天職の子を教えに向かいますよ。なので、コレでハッチェマヒオ様とはおさらばです」
「そうか。寂しくなる――とは言わんぞ。次の勤め先でも元気にやるのだな」
「ハッチェマヒオ様も、学園で良く学び、良き辺境伯におなりください」
ではと、二人と三頭の馬は、ハッチェマヒオの元へと去っていった。
短くとも言葉を交わしたハッチェマヒオたちとは反対に、トレヴォーソの方は静かな別れだ。
必要な荷物が馬車から移動され、それを終えたら馬車と人員は引き上げていった。
ほぼ言葉もない、傍目からすれば事務的に見える行動だ。
普通の貴族家お子なら癇癪を起こしそうな扱いだが、『大剣豪』に身を任せきりのトレヴォーソは無表情のままで何も感じていないようだった。
ハッチェマヒオは、トレヴォーソたちが大丈夫か心配になったが、要らぬ世話だろうと自分の荷物を持つことにした。女性使用人にも、一番軽い荷物を一つだけ渡して、学園の中へと入る。
門番に止められることなく、ハッチェマヒオと女性使用人、続いてトレヴォーソと年配使用人が学園の敷地を踏んだ。
「まずは貴族寮へと向かう」
ハッチェマヒオが宣言し、貴族寮と案内板が示す方向へと歩いていく。
それから少しして、ハッチェマヒオは後ろから上がった、年配使用人の声が耳に入った。
「どうなさったのです、トレヴォーソ様」
どうしたのだろうとハッチェマヒオが振り向くと、トレヴォーソが立ち止まって動こうとしない姿があった。
なにか不具合でも起きたのかと考えそうになってから、そうではないと、ハッチェマヒオは悟った。
トレヴォーソの両手が腰の剣に添えられていて、さらには片方の手は剣の柄を握りかけている。
その姿は、トレヴォーソの体を動かしている『大剣豪』が戦闘他姓に入ったことを示している。
(学園は、王都の中央部にある。ここは、平穏の代名詞みたいな場所だぞ?)
どうして戦闘態勢になっているのか、それほどの危機があるのか、ハッチェマヒオは事情がわからない。
それでも天職が反応してるのだからと、ハッチェマヒオも警戒心を持って周囲を確認する。
しかしながら、学園の中は平穏そのものといった感じで、危険な雰囲気は欠片も感じ取れなかった。
どういうことかと訝しむハッチェマヒオの声に、どこかで聞いたような声が入ってきた。
「おや。もしかして君は、ハッチェマヒオかな?」
聞き馴染みがあるようでないような、そんな若い男性の声。
ハッチェマヒオが声の方を見ると、長身瘦躯――いや、高い背丈と鍛えられて絞り込まれた肉体を持つ、学園生徒が立っていた。
その中性的な顔立ちと、頭髪が黒くて長いのを見て、ハッチェマヒオはこの生徒が誰かを直感した。同時に、どうして声が聞き馴染みがあるようでないのかも悟った。
「バジゴフィルメンテか。背が高くなり、声変わりもしたようだな」
「僕の見た目はプルマフロタン辺境伯領に居たときよりだいぶ変わったと思うんだけど、一目で分かってくれて嬉しいよ」
ニコニコと笑いながら、バジゴフィルメンテが近づいてくる。
その足取りは無造作のようでいて、しかし実際はとても洗練されていた。
ぎこちなさは欠片もなく滑らかではあるが、動きに少しだけ余裕を含んである、そんな動き方。
この余裕が、あたかも理路整然とした機械的な動きになりそうな完璧さに、人の血肉が通った温かさを感じる要因になっている。
そういった雰囲気を、ハッチェマヒオは理屈ではなく感性として理解して、歯噛みする。
(明らかに、実力の差が開いている)
ハッチェマヒオは、今この場でバジゴフィルメンテに挑みかかった場合を脳内で想像するが、『斧術師』に体を任せてても勝てるという自信を持てない。
領地で育んだ自信が揺らぐ気持ちでいると、再び背後にいる年配使用人の声が聞こえてきた。
「トレヴォーソ様!」
悲痛な悲鳴のような声が聞こえた瞬間、ハッチェマヒオの横を誰かがもの凄い速さで通過した。
それは先ほど立ちつくしていた、トレヴォーソだった。
トレヴォーソは、何故かバジゴフィルメンテへと駆け寄りながら腰から剣を抜き放ち、そしてバジゴフィルメンテへと攻撃した。
この行動は、実際はハッチェマヒオの目で捉えられるギリギリの速さ――つまり、一瞬で行われた出来事だった。
出会いがしらの、一瞬での不意打ち。
並の相手なら、決着がついてしまうような、決定的な電撃戦だ。
しかし、ハッチェマヒオが感じていたように、バジゴフィルメンテは並ではなく異常な相手。
トレヴォーソの一瞬で行われた打ちかかりを、バジゴフィルメンテも一瞬での剣の抜き放ちで防いでみせていた。それも、焦った様子のない、満面の笑顔で。
「今年の新入生は、生きが良いね。それに、僕に剣で防がせる一撃を放てるなんて、なかなかのものだよ」
バジゴフィルメンテは笑いながら、防いでいる剣を動かす。
ぎゃるり、とバジゴフィルメンテとトレヴォーソの剣が擦れる音が鳴った。
その次の瞬間には、バジゴフィルメンテの剣は振り抜かれていて、トレヴォーソは大きく後ろへと跳躍していた。
この攻防の後、バジゴフィルメンテは剣を収め、トレヴォーソは更に後ろに跳躍して距離を取る。
かなり離れた位置に着いたところで、トレヴォーソの様子は先ほどまでと同じ、視線をまっすぐ前に向けた無表情での立つ状態になった。
ハッチェマヒオは、両者の開いた距離を見て、内心で唸る。
(『大剣豪』がこれほどの距離を取るということは、バジゴフィルメンテの剣技は、この圏内でなら相手に致命傷を与えることが可能ということになる)
ハッチェマヒオが内心で戦々恐々としているのとは裏腹に、バジゴフィルメンテは軽い調子のままだ。
「うーん。なんだか嫌われちゃったかな。せっかくのハッチェマヒオの友達を困らせるのも悪いから、僕は別の場所に行くことにするよ。ハッチェマヒオ、入学おめでとう」
バジゴフィルメンテで祝いの言葉を告げてから、どこかへと去って行った。
その姿を見送った後で、トレヴォーソがハッチェマヒオのすぐ後ろまで歩いてきた。
ここでようやくハッチェマヒオは、トレヴォーソが急に立ち止まった意味を理解した。
「バジゴフィルメンテの接近に気付いたから、歩くのを止めたわけか。そしてバジゴフィルメンテが戦闘態勢でないとみて、脅威を排除するために斬りかかったわけだ」
ハッチェマヒオの声に、トレヴォーソ――『大剣豪』は答えない。
だがハッチェマヒオは、それでも構わないと思った。
(理由はどうあれ、バジゴフィルメンテに防御させる腕前があり、バジゴフィルメンテと敵対する気でいるというのなら都合がいい。僕様の目的のために、トレヴォーソは利用できる)
バジゴフィルメンテは生中な方法では敵わない。
だがハッチェマヒオの『斧術師』とトレヴォーソの『大剣豪』の組み合わせなら、バジゴフィルメンテの実力に及ぶのではないか。
まずは二対一の状態で勝ち、その次に一対一で勝つ。
そんな未来の予想図を描きながら、ハッチェマヒオはトレヴォーソを先導するようにして、貴族寮への道を進んだ。