112.王都道中
ハッチェマヒオは、学園に入学する時期が間近になってきたので、生まれ育った土地を離れて王都へと向かうことにした。
王都までの旅路に同行するのは、ハッチェマヒオの学園での世話役を担う女性使用人が一人と、役目が終わる教育係だった二人。そして馬が三頭。
ハッチェマヒオと使用人が同じ馬に乗り、教育係二人のそれぞれの馬には鞍に荷物を載せて移動する。
プルマフロタン辺境伯家の寄子貴族の土地では、その貴族の家に宿泊させてもらった。
その際に、どの家でも模擬戦を求められるこになったが、ハッチェマヒオは快く求めに応じて『斧術師』に体を任せて戦った。
育った体格で振るわれる斧の破壊力、そして魔法による遠距離攻撃。そして魔境の森での体験で育った、天職に体を預ける時間の伸長。
それらを駆使すれば、泊めてもらった寄子貴族家の随一の使い手以外なら、模擬戦に勝利することは可能だった。
そうして模擬戦に勝つと、寄子貴族家の当主は賞賛しながらも、表情の中に安堵の気持ちを隠しているような態度をとってくる。
「流石は次期当主と名高い、ハッチェマヒオ様。感服いたしました」
どの寄子貴族の家でも、ほぼ同じ対応をされた。
ハッチェマヒオは、最初の頃は気のせいかとも思っていたが、連続してそういう態度を取られれば悟りもする。
(プルマフロタン辺境伯家は、寄子貴族から見捨てられる寸前だったということだな)
もし仮にハッチェマヒオの戦闘の腕前が並み以下だったら、寄子貴族は鞍替えを考えたんだろう。
その鞍を替える先が、ハッチェマヒオからバジゴフィルメンテへなのか、それともプルマフロタン辺境伯家から別の貴族家なのかまでは、ハッチェマヒオには分らなかった。
そして考える必要はないとも判断した。
なにせハッチェマヒオの実力を見て、貴族家は安心したおうな様子だった。
それはつまり、ハッチェマヒオに期待して、プルマフロタン辺境伯家の寄子でいようと判断してくれたということのはずだからだ。
だが同時に、ハッチェマヒオはこうも思った。
(僕様が学園を卒業したら、父上には即座に当主の座から降りてもらう。執務作業の補佐役として実務に関わらせれば、文句はないはずだ)
ハッチェマヒオが魔境の森で、オブセイオンは執務で活躍する。
何時かはハッチェマヒオも執務を覚えないといけないだろうが、まずはプルマフロタン辺境伯家の新当主には魔物を戦う力があるのだと早急に内外さないといけない。
寄子貴族当主の態度を見たハッチェマヒオは、そう将来の計画を決定した。
寄子貴族たちの土地から、神が祝福された土地へと入った。
その土地がどこからかは、ハッチェマヒオは肌感覚で理解できた。
辺境では、常に微細かつ漠然とした不安感があった。この理由を、ハッチェマヒオは知らなかった。
しかし祝福された土地に入った瞬間、そうした不安感が一切なくなったことで、その理由について理解できた。
(あの感じは、魔物がいつ来てもおかしくない土地だと、そう無意識に警戒していたからか)
しかし祝福のある土地では、魔物が現れたたとしても、それは人を脅かさない程に弱い、警戒する必要がない相手だ。
だから人々は、警戒心を抱くことなく暮らすことができる。
そういう視点で物を見れば、畑で働く農家たちの様子も違って見えてくる。
辺境の農家は、魔物が来て畑が荒らされないか、少しでも早く農作物を収穫できないかと、気が焦っている様子が多かった。
しかし祝福のある土地の農家は、作業の手間はかけても、収穫を不安するような態度が一切ない。
そんな呆れるほどに長閑な様子に、ハッチェマヒオの表情には毒気が抜かれた笑顔が浮かぶ。
(噂では、神に祝福された土地を治める貴族は、辺境貴族を蔑んでいると聞いた。それは多分、安心して暮らせる土地を持たないことへの哀れみからなんだろうな)
そう理解して、ハッチェマヒオはズルいと思った。
曾祖父である『大将軍』が魔境を拓いてから、もう何十年と経っている。
それほどの年月土地を守ってきたのだから、プルマフロタン辺境伯領にも神の祝福で土地を安堵されてもいいはずだ。
勝手な言い分だとは、ハッチェマヒオ自身も理解している。
しかし、神の祝福のある土地にある安心感を知ってしまったからには、自分が生まれ育った土地にも同じものをと願わずには射られなくなってしまったのだ。
「神に願えば、叶うものなのだろうか……」
大昔の王は、人が魔物と戦う力を神に願い、天職が与えられるようになった。
ならば、長い期間人の土地としてある場所に祝福を与えて欲しいと願えば、神は叶えてくれるのではないか。
そんな想像を働かせながら、次の宿泊予定地へと進んだ。
早速宿を取ろうとして、宿の店主に拒否されてしまった。
「残念ながら、他の貴族の方が先に部屋を借りられまして、満室になっておるのです」
その断り文句に、プルマフロタン辺境伯家から連れてきた、女性使用人が食ってかかった。
「こちらは辺境伯家ですよ! その申し出を断るということですか!」
「そうは申されましても、一平民からしますと、お貴族様の違いなんて分かりませんよ。どうしてもというのであれば、お貴族様どうしで話をつけてもらわないことには……」
店主の困った様子を見て、ハッチェマヒオは使用人を止めた。
「それもそうだな。では、話をつけるため、その貴族とやらに繋ぎをつけてくれ」
「はい。それぐらいでしたら」
店主は、いそいそと宿の部屋へと向かい、少しして使用人らしき服装の年配の男性を連れてきた。
「なにやら、部屋を空けてくれと要望されているとか?」
その男性に問われて、ハッチェマヒオは一歩前に出ながら主張する。
「部屋を二つ空けて貰いたい。だめなら一つだけでもいい。うちの使用人は女性だ。野宿させるわけにはいかん」
「……ほう。ご自身は野宿でも良いと?」
「辺境に比べたら、ここは治安がよさそうだからな。軒先でも借りられれば、余裕で寝られる」
ハッチェマヒオはこの一年、地元でバジゴフィルメンテが魔境の森で活躍したと知って、その対抗心から自身も森での冒険者働きを厭わないようになった。
その活動の中で、魔物の襲来を気にしながら地面に座って気に背中を預けて休むなんて真似は、普通にやってきた。
襲われる心配のない場所で外で寝るなんて、その体験に比べたら楽勝に過ぎた。
そんなハッチェマヒオの自負が相手に通じたのか、感服したように年配使用人は頭をさげてきた。
「そういうことでしたら、一室開けましょう。お荷物などは、その部屋に置かれれば、漁れる心配もしなくて良いかと」
「そうしてくれると助かる」
「ああ、そうだ。まだお名前を聞いておりませんでしたね。インネペイラ子爵家に仕えております、テオと申します。主の子、トレヴォーソ様の学園入学に同行しております」
「それならば、こちらと事情は同じだな。僕様は、プルマフロタン辺境伯家の子、ハッチェマヒオ――」
そう自己紹介しかけたところで、使用人にギョッとした目で見られた。
「失礼。プルマフロタン辺境伯家のということは、学園で噂の?」
誰と勘違いされているかを悟って、ハッチェマヒオは顔に渋面が浮かんだ自覚があった。
「僕様の兄――バジゴフィルメンテのことだ。僕様は、今回が生まれて初めて王都に行くんだ。噂になり様がない」
「そういうことでしたか。いやはや、早合点して申し訳ありませんでした」
深く謝罪する使用人の姿を見て、ハッチェマヒオは早合点した理由が知りたくなった。
「なにか、バジゴフィルメンテと因縁が?」
「いえ、直接的な因縁はありません。ただ、各方面からトレヴォーソ様に、バジゴフィルメンテという生徒に勝てと、そう要望が来ておりまして」
「戦う準備ができていない今、出会うのは得策ではない。だから警戒していたと?」
「いえ、そういうわけではないのです。そも、トレヴォーソ様は準備するしないは関係ありませんので」
どういう意味かハッチェマヒオが訝しむと、一目見ればわかると言われて、そのトレヴォーソがいる部屋に案内された。
そうして通された部屋にいたのは、椅子に姿勢よく腰掛けている、痩せ型の青年。
赤茶色の短めの髪、鼻と頬にかけてのそばかす、それなりに整った配置の顔の作り。椅子に座っている膝の上に一振りの剣が置いてあり、その上に両手を置いた状態でいる。
特徴的な点はあるが、それが美しさには直結していない、そんな印象を、ハッチェマヒオは抱いた。
その印象よりなにより、ハッチェマヒオはトレヴォーソに違和感を抱いた。
それは、トレヴォーソの視線が真っ直ぐを向いたまま動かない点。
それも、入ってきたハッチェマヒオやテオ使用人ではなく、壁の一点をずーっと見つめている。
しかもその表情は、一切の感情を窺わせない、無表情である。
「ん? 無表情?」
もしかしてとハッチェマヒオがテオ使用人に向けると、頷きが帰ってきた。
「トレヴォーソ様は元から意識が希薄な兆候がありましたが、天職に『大剣豪』を授かってからは常に天職に身を任せておいでなのです」
「常に、だと?」
まさかそんなと、ハッチェマヒオがトレヴォーソに目を向ける。
しかしトレヴォーソは、まるで何も見えてないし感じてもいないかのように、ずっと椅子に座ったまま。
これほど自分という存在がない様子では、準備どうこうではないなと、ハッチェマヒオは納得したのだった。