第2話「セリとナズナとふたりの宇宙戦」③
ナズナのことになると、僕は時々周囲の状況が目に入らなくなる傾向がある。それはよくないという自覚はあるけれど、ことナズナに関しては、どうしてもね。
あの時もね、そうだったんだよ。
きっかけは、些細なことだったらしい。ゴギョウさんとナズナの二人暮らしで、一人がもう一方に秘密を抱えていれば、そりゃ軋轢も生じるだろう。ナズナが同年代の子供よりも大人びた性質の、聡明な子に育って行ったからこそ抱く疑問もあったのだろう。
ともかくある時、二人は喧嘩をした。普通の家庭ならよくあることだ。ナズナがそのまま家を飛び出したというのも、ままある話だ。お互い一人になって頭を冷やせば、また元通り仲の良い祖父と孫の関係に戻ることができるだろう。普通はそういうものだ。
僕らの住む街を少し歩けば、結構な広さの河川敷に出られる。週末にはバーベキューやスポーツに興じる人たちが集まったり、夏の夜には花火が打ち上げられたりと賑やかな場所になるけれど、平日の夕方近くというのは、あまり人の気配も無い。ひとりになるにはいい場所だ。
だから、人気のないところにひとりでいる子供を探す輩にとっても、そこは都合のいい場所なのだ。
あとから聞いた話では「鳥の写真を撮っている」と言って話しかけるのが、その男の常習の手口だったらしい。カメラを携えて、どこか鳥の集まる場所を知らないかと声をかける。
実際にナズナがどのような会話を交わしたのかまでは、さすがに僕も知らない。ただ、普段だったらそんな見知らぬ人間の声かけに応対しただろうか、そこは疑問だ。
普段と違って平静ではなかったから、むしろ激昂した自分自身の感情や行動に、少なからず後悔するところがあったからこそ、見知らぬ男の尋ねに親切に応えて「穴場」を案内しようとしたのだろうなとは思う。
そいつがナズナの背後でナイフを抜くまでは、僕も手は出さなかった。
風ぐらいは、吹いたかもしれない。それで振り返ると背後の人間が音も立てずに居なくなってたら、そりゃ誰しも不安になるだろう。だから僕はすぐ土手に上がってナズナに声をかけた。
――どうしたの、きょろきょろして。
――いや、知らないよ?上からたまたまナズナがひとりでいたのが見えたから。
――もう遅いよ、家に帰ろうよ。
――そうだね、ゴギョウさんも心配するよ。
父さんには、背後関係が明らかでないうちに処断するのは早計だと諭された。あれがただの猟奇的犯罪者なのか政治的暗殺者だったのか、その判別ができないと後々問題が生じ、命取りになることもある。
行動自体は、間違ってはいない。ただ周囲の状況を広く観察する視野を持ちなさいと諭された。そしてまずは情報を取ってから、だと。
母さんはずっと黙ったままで、僕を抱きしめていた。普段は逃げ出したくなるのに、その時はなぜか落ち着いたのをよく覚えている。
結局、警察の方でも目星は上がっていたようで、捜査の手が身辺に及んだことに気づいた容疑者が自殺を図ったという線で落ち着いたらしい。物証は自宅から大量に押収された。
政治的背景は無かった。
結構大きなニュースになったけど。皆すぐ忘れた。ただ、その後ゴギョウさんは街の人たちと積極的に関わるようになって、様々に面倒を見たり、トラブルの仲裁をしたりと、色々熱心に取り組むようになった。おかげでナズナにも知り合いが増えた。いいことだ。
母さんはイカれた格好で街中の悪を退治して回るようになった。ヤクザもチンピラも不良も次々に更生し、街の治安は急速に改善して平穏が訪れた。それはしばらくしてから聞いた。自分の息子に秘密を持つのが楽しかったらしい。ひどい話だ。
ともかく、その後ナズナが犯罪に巻き込まれるような事態は起こらなかった。
うん?あの頃父さんは何をしてたんだろう?記憶にないな?
ま、そんなことを思い出した。
いま、僕の隠密特務艦ラーベ・クレーエは月を目指して最大戦速で航行している。目指すは月の裏側、ナズナが乗ったブランシュ・ネージュの墜落地点だ。早く、早く行かないと。
でも、落ち着いて広く視野を持たなければならない。まずは情報を取ってからだ。地球近傍に出現した3隻の戦列艦は、長距離航行と高加速突撃が可能な機動戦列艦だという。帝国宇宙軍の正規戦列艦ならば、スペックは頭に入ってる。
遠距離からの雷撃で簡単に沈むほど、間抜けな相手ではないだろう。通商破壊戦のようにはいかないし、このラーベ・クレーエも搭載魚雷も、そういう目的のためには設計されていない。
運動性は明らかに向こうの方が高い。なるべく近距離で戦わないと、いいようにあしらわれて終わりだ。おそらくは長射程の重火器を装備しているだろうから、それも使われたくはない。
至近距離まで接近したうえでこちらの姿、気配にも気づかれないうちに撃沈するのがいちばんなのだけれど、さてどうしたものかな。艦紋探知機を飛ばしているのは間違いないだろうし……。
やはり3対1では分が悪いか。ブランシュ・ネージュを戦力に数えられたら……。ダメだダメだ、ナズナをそんなことに使おうだなんて考えるな。白雪姫を護るのが僕の務めなんだから。チェッ、あと6人とは言わないけれど、もう少し仲間がいればね、いいのにな。
そして圧倒的に向こうの方が脚が速い。月までの距離差のみならず、こっちは加速度よりも隠密性を重視してるから、地球の重力圏を脱ける制約もあって、その点は分が悪いどころの話じゃない。クソッ、間に合えよなラーベ!
こんな時、日本語にはいい言葉がある。「焦りは禁物」だ。僕は額に流れる変な汗を拭う。大丈夫、落ち着いているさ。さっきから目蓋がビクビクするのは、視神経が準備運動をしているだけだよ。
艦に移動を任せて自分は何もできないというのは、これはちょっとストレスが溜まるなあ。発進準備中に省略された各種のチェックでもすれば、少しは落ち着くかな。
各種火器の調整、エネルギーの充填。実体弾の装填と予備弾を確認。視線誘導照準機構のチェック。チェック。チェック。チェック。チェッチェッチッチッチッチッ……。
戦闘に備えて、ヘルメットも用意しておかないとね。黒の操舵服に合わせた黒いヘルメット、バイザーも漆黒で降ろしてる内はこっちの顔は向こうには見えない。正体不明、秘密の忍者なのでこれでいいのだ。なんでさっきから舌打ちばかりしてるんだ僕は。
通信回線を開いて傍受可能な帯域を探るけど、さすがに平文でやりとりするはずもないか。
でも、このまま会敵するのはやはり悪手だ。いったんは潜航し、監視筒を上げて密かに近づくほうがいいだろう。しかし潜航すれば余剰次元を徘徊しているだろう艦紋探知機に気づかれる危険がある。
動力を切って無紋潜航するしかないか。月の重力を利用すればそれでも加速は可能だろう。速度がガタ落ちするのは仕方ない。仕方ないけどでも!奥歯がギリギリ軋むのが分かる。
焦るなよ僕。隠密接敵用途に優れたラーベ・クレーエの特性を活かして戦うんだ。相手の次元に合わせる必要なんて無い。それでも時間は、待ってくれないのだけれど。
見えた!監視筒が紡錘形の船体に人型の上半身が生えたように見える船型の機動戦列艦を捉える。赤と青の帝国軍正規軍装の艦が情報通りに3隻いるぞ。2隻は上空で警戒監視を行って、そして1隻は低高度で長槍銃を構えて、
月面上に倒れたブランシュ・ネージュにいや、
ナズナに銃口を向けてるぞ!ナズナが撃たれる!!
開けっぱなしにしていた通信回線が何かを傍受する。声だ。いつでも僕が聞きなれた声。いつでも僕がそばにいた声。いつでも僕が護ってきた声。その窮地にはいつでも僕が飛び込んで行った声だ。
「助けて、セリーっ!!」
いつでも僕を呼ぶ、その声。
ナズナのことになると、僕は時々周囲の状況が目に入らなくなる傾向がある。それでいい。そうなると決めたんだ。
本当はここで魚雷を撃つべきなんだろう。姿も見せずに影から護る。それが正しい忍者の在り方だ。でも、そうはしなかった。そうしないではいられなかった。未熟だなあまだまだ。父さんに笑われるよ。
余剰次元にありったけの量子囮チャフをバラまいて起動させる。これでこっちの所在にも感づかれるだろうけど、艦紋探知機が何機潜んでいようが知ったことか。
そのままラーベ・クレーエの大腿部推進装置の出力を全開させて最大戦速まで増速する。警告表示が大合唱してもすべて無視だ。動力炉が焼き切れたって構うものか。その時はこいつを爆弾代わりにでもするさ。
ナズナに銃を突き付けている小隊指揮艦級が、ようやくこちらに気づいて索敵波をぶつけてくる。だが、もう遅いぞ。
余剰次元からの急速浮上システムをブローアップ、その加速を利用してラーベ・クレーエは小隊指揮艦級に襲い掛かった。人型宇宙船と機動ユニットの結合部分に強烈な蹴りを放って強引に分離させ、戦列艦本体に組みついたまま加速してラーベごと月面まで落下させる。ヤツの長槍銃は衝撃で腕から離れたな、よし!いいぞ。
上空の兵卒艦級2隻には、ラーベの背面発射管から魚雷を発射して攻撃を加える。撃ちっ放しの自動乱数追尾では容易に迎撃されるから、4発の魚雷それぞれの3つのベクトルをAR操作盤の手動で同時に制御しなきゃならない。腕が12本ぐらい必要になる。それを2本でやるんだから大変だよ。2発をペアにして1発は3次元空間をあからさまに航行し、もう1発は影のように余剰次元を進む。それぞれの敵艦をその組み合わせで襲う。
兵卒艦級のうち1隻はこの2発の魚雷を用いた簡単な引っ掛けであっさり撃破出来た。しかしもう1隻は手強い。こちらの陽動にも引っ掛からず、自ら機動ユニットを切り離してわざと当ててきたのは驚いた。「兄弟殺し」って戦法で、思い切りのいい操舵手だな。
1発目の魚雷をそれで阻止して、余剰次元から浮上してくる2発目のシーカーを妨害する。うまい手だ。僕はそいつが2発目の魚雷を撃墜したタイミングで、それまで遊弋させていた5射目の魚雷を背後から打ち込んで仕留めた。きたない手だ。それがどうした。
両腕は操舵のトレースを切って魚雷のコントロールに専念してたから、足蹴にした小隊指揮艦級への攻撃は脚だけでやるしかない。ラーベの両脚で締め付けながら、膝頭に装備されてる衝撃レーザーを撃って目についた内蔵火器やレーダー・センサー類を片端から潰していく。戦列艦の頭部には精密機器が集中配置されているので、念入りに焼く。
向こうも格闘戦に持ち込もうとするけど、手を焼かすなよ。関節部分の装甲の端境にレーザーを打ち込んで両腕を折る。月面に叩きつけてやったらこっちのもんだ。
戦列艦は一般的に、船体前面に乗船口を有している。背面には物資搬入用の大型ハッチがあるけれど、緊急時にはそこから乗員区画を丸ごと射出することが可能だ。切り離された乗員区画は脱出カプセルとして機能し、救援が来るまで乗員の安全を確保する。
だから、それを使えないようにするためには、戦列艦の、人型宇宙船の背中を地面に押し付けてやればいい。そんな手が使えるのも、月面近くまでノコノコ降りてたこいつが阿呆だからだな。
出来たばかりのクレーターから表土が立ち込めて、もうレーザーは撃てない。けれど物理法則はいつでも平等で公平だ。光学兵器が使えなければ、殴るか蹴るかすればいいのさ。
月面に倒れた小隊指揮艦級を踏みつけるように、続けてストンピングを放つ。操舵室の外骨格式トレースシステムが限界になるほどの勢いで連撃を繰り返して、そして僕は冷静だ。冷静であるけどなぜだかずっと、
「お前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がッ!!」
なんて叫んでいた。こいつはナズナに銃を向けてた。ナズナを、殺そうとしていた。
それは罪だ。罪は罰せねばならない。
楽に死ねると思うな。
「やめて!」誰かの声が聞こえる。ああ、受信回線開きっぱなしだったな。大丈夫、すぐカタを付けるよ。
「やめなさい!!」どうして?こいつは君の敵だよ。君を殺そうとしていたんだよ。君の敵は、僕にとっても敵なのだ。僕は君を護るよ。だから、やめない。敵艦の胸甲に亀裂が走る。
「わたし、征天大銀河星間帝国皇室第14皇家ミリシエール家内親王、ナーズナディール・パ・ラ・ミリシエールが命じます。いますぐ戦いをやめなさい!」ハッ!?
その声を聴いて、身体が勝手にフリーズした。僕のこころの奥底に刻まれた何かが、僕自身を支配してこの勅命に従わせるんだ。いや、どうしてやめなきゃいけないんですか皇女殿下。
息が荒い。汗がダラダラ流れて止まらない。鼻血が出ている気がする。目は、目はなんか視点も焦点も定まらない。3対1でも勝ちましたよ、皇女殿下。僕が君を護ったよ、ナズナ。
ラーベの足元では小隊指揮艦級がズタボロに撃破されてた。乗ってる人間が生きてるか死んでるかわからないけど、それはどうでも構わない。
3隻の戦列艦を相手に貴重な魚雷を5発も撃って、量子囮チャフも全部使い切ったのは少し勿体なかったかな。でも初陣にしては上出来でしょう?ナズナに不埒なことを仕掛けてたヤツは、とりわけ念入りに仕置きましたよ。褒めてくれとは言わないけれど、なにか声を聞かせてほしい。
起き上がったブランシュ・ネージュがこっちに近づいてくる。あまりこういうのに興味持つのはよくないと思いますが、やはり敵の正体は御自身で知りたいものですか。
乗船口が開いて操舵服姿のナズナが見える。ヘルメットを被っているから船外活動だって大丈夫、安心ですね。まさか直接こっちに出向いてくれるのかな。どうしよう、心の準備がいやまだ正体を知られるわけには……。
掌甲板に立ってこちらを向いたナズナの顔を、ラーベのモニターが捉える。拡大する。
えっ。
なんかものすごく怒ってにらんでるんですけど。
僕を。