第2話「セリとナズナとふたりの宇宙戦」①
星の海って言うけどホントなんだなあって思う。いま、わたしのまわりにはたくさんの星が海のように広がっていて、足元には青い地球がやっぱり海のように座している。
球形の空間の中で浮かぶわたしは、まるで星の海を泳いでるみたいだ。これまでまったく思いもよらなかった場所に、いまわたしはいる。
わたし、月岡ナズナはどこにでもいるごく普通の中学生だ。そのはずだった。でも、いまは違う。だいぶ違う。「征天大銀河星間帝国皇室第14皇家ミリシエール家内親王、ナーズナディール・パ・ラ・ミリシエール皇女殿下」だってさ。なにそれ。
笑っちゃうよな。でもこうして、亡くなったはずの祖父に導かれて、隠されていた秘密の宇宙船に乗って、星の海に飛び出していくわたしは、確かにごく普通の中学生とは、ちょっと言い難いなあ。
いまは人型宇宙船とやらで月の裏側を目指している。祖父の話によるとそのあたりの宇宙空間には「門」があって、それを通って銀河系世界に繋がる航路があるのだそうだ。高速道路の入り口みたいだね。
その先には何があるんだろう。わたしの両親に、会えるんだろうか。生きているかどうかも分からない、父と母に。まったく、冷静に考えてみれば無茶な話だよ。セリを誘っても来てくれなかったのはまあ、当然よね。
セリ。桜田セリ。どこにでもいる普通の中学生。小さなころからずっとそばにいた、幼なじみの男の子。
やっぱり、いっしょに来てほしかったな。
「ナズナよ」突然目の前に四角い画面が広がる。なんかそう……タブレットみたいだ。わたしは持ってないけど友達はよく使ってる。あんな感じの大きさでモニター画面が空中に浮かぶ。
「なに、おじいちゃん?」画面の中に映るのは祖父の月岡ゴギョウだ。あれ?祖父にも本当の名前があるのかな。それはともかく、この大きさで白黒の映像というのは、お葬式の遺影みたいでちょっと怖い。
「居室の準備が整ったぞ。そちらにはベッドもあるから、しばらく休んでいなさい」
うーん、わたしはもう少し星を見ていたいなあ。「あのね、おじいちゃん」あれ?なにかとても大切なことを忘れている気がするぞ?
「なにかねナズナ」「えーとね」遺影みたいな祖父の顔をまじまじ見つめる。遺影。お葬式。家。あっ。
「家のことどうしよう!戸締りはしてきたけど、おじいちゃんの遺影もなにもそのままだよ!電気も水道も止めてないよ!!」たいへん!お家が差し押さえられちゃう!!
「そのようなこと、気にするでない。無事に帰還が叶えば些細な問題じゃ。帝都本星にはミリシエール皇家本屋敷他、地所も多くある」「……それ『あった』でしょう?」「むむ」
普通、御家騒動があって14年も経てば、お屋敷なんて人手に渡ってるんじゃないかなあ。それにわたしは、宇宙にお引越ししたいわけではないのだし。
「言っておくけど、わたしは別に地球とお別れしたとは思っていないよ?ちゃんとここに戻ってきて、またここで暮らしたいよ?」友達だっているのだし。ああ、ご近所さんやお世話になった人たちにもご挨拶しておきたかったなあ……。
まあ、仕方ないか。一度旅を始めてしまったからには前に進まないとね。それにきっと、なんとかなるよ。私の居場所を守っていてくれるよ。
セリが。
……うーん、大丈夫かなあ。まあスズシロさんとスズナさんもいることだし、ね。
「それでね、おじいちゃん」それでだ。大事な話をしなきゃ。
「なにかな?」「ちょっと言いにくいんだけど……怖いよ?」「なぬ?」「なんだかその、お葬式の遺影みたいじゃない。大きさと言い色と言い」
実際のお葬式に使った遺影は、笑顔でピースしてたんだけど。祖父は普段あんまり写真撮ったり撮られたりする方じゃなかったから、そんなのしかなかった。
わたしはどんな顔をしたらいいのか全然わからなかったけど、おじいちゃん自分が亡くなるなんてほんとに思いもよらなかったんだろうなって思ったら、急に涙が止まらなくなった。そしたらハンカチを……
セリが貸してくれたんだ。
ええい、もう!そういうことを考えるなわたし。
「なんかもう少しカラフルにするとか画面の……解像度?を上げるとかしたほうがいいよ。そのほうがわたしも落ち着く」「なるほどのう……。しかし、いまはまだこのブランシュ・ネージュの天測システム内部で自由に使える領域が限られておってな、そうそう簡単に描画データ量を増やすわけにはいかんのじゃ。随時支配領域の拡張はしているのだがの」うーん、よくわかんないけど駄目なんだろうか。あっ、こういうのはどうかな。
「会話アプリでアイコンに使ってた似顔絵があったでしょ?おじいちゃんが自分で描いて使ってたやつ。あれなんか親しみがあっていいよ。おじいちゃんと話してる気分になるし、イラストとしては簡単なものでしょう?」「ふむ」
「いや、しかしいまは新しく画像を描きだすことも出来んからなあ。存外仮想人格というのも不便なものでな」「わたしのスマホに画像あるけど、あそこから拾えない?」「おお、ナズナのスマートフォンなら確かに衣装箪笥に収納されているな。よし、出してみようか」
手元の空間が光って、わたしのスマホがにゅるんと出てくる。なんだかマンガみたいだ。こういうのにも慣れて行かないとね。
「画像はおじいちゃんのアドレスに送ればいいの?」「いや、こちらから接続してデータを受け取ることは出来る。電源だけオンにしてくれれば大丈夫じゃ」なるほどねー、はいどうぞ。
「データを変更する際に一旦システム全体が暗転するがすぐに回復する。心配せんでいいぞ」「はーい」「ああ、しかしヘルメットは着用しておきなさい。念のためだ」「うんわかった」
またもや手元が光り輝いて、スーツとおそろいなデザインの、銀色のヘルメットが出てくる。あ、髪まとめないと。束ねただけじゃだめだ。ゴムだけじゃどうもやりづらい。髪留め、残念だったなあ。大事にしてたのになあ。
「まず被帽をかぶりなさい」「キャップ?」「襟元から引き上げるのじゃ」おー、伸びる伸びる。パーカーのフード……いや、なんかダイビングスーツみたいだ。ヘッドホンみたいなスピーカーが、耳元にあるのね。「そこでヘルメットを装着し、後ろにあるボタンを押すのじゃ。それで気密が保たれる。外す時も同様に」はーい。これだね。
オートバイのヘルメットよりは視界が広いみたい。うん、なんかいい感じだね。「これバイザー?は開け閉めできるの?」「側面にスイッチがある」おお。おお。おお。「あまり遊ぶものではないぞ」「へへ、ごめんね」「では暗転するぞ」
うわっ、ほんとに真っ暗……ではないな。ぼおっとスーツが光ってる。蓄光素材みたいね。なんて言ったっけ、そうだ操舵服だ。ステアスーツって言ってたなあ……。
スーツに包まれて、身体全体がぼんやり光る。ウエストの周りにあった羽根みたいなのはいまは消えちゃってて、肌が見えてるようなところも、なにか薄くて透明な素材が一枚覆っているんだこれ。宇宙服、なんだろうな。
身体にぴったりフィットした服でラインがばっちりわかるから、なんかちょっと恥ずかしいな。誰も見てないけどね。
ジロジロ見てたのはいたな。ちぇっ、セリのやつめ。つまんなそうにこっち見てるからついつい手が出ちゃった。そりゃあわたしは、セリのお母さん、スズナさんほどスタイルよくないけど。よくないけどでも。
だいたいセリはスズナさんの前じゃすぐおとなしくなっちゃうんだから、あれ絶対マザコンだよマザコン。「僕には帰る家もあるし」なんて、まったくねー。
家。帰る家。それはきっと、この旅の先にあるんだろうな。見つけたいな。見つけてそして、また帰ってこよう。足元の地球に。
足元は真っ暗だ。なかなか電気つかないね。
「おじいちゃーん、まだ直らないの?」
返事がない。すぐ回復するって言ってたのになあ。もしもーし。
あれ。いまなんか変な感じがしたぞ。なんだろうこれ。電車が動き出した時みたいな、揺れて引っ張られる感じ。気が付いたら身体が床に押し付けられてる。床?いや天井なのかな。上下がよくわからない。左右かもしれない。
これ、もしかして宇宙船が動いてる、加速してるんじゃないだろうか。いや、落下してるとか?やだそれ怖いよ。
「おじいちゃん、返事してよねえ!」どんどん身体が押し付けられていく、動けなくなる。なにこれ、ど、どうしよう……
「――!――!!」
あれ?なにか声が聞こえる。強い調子で、なんだか怒ってるというか……警告している感じだ。でも、何を言ってるんだか分からない。外国語……なのかな?女のひと?いや、なんか違うような……。
「――!――!!」まただ。同じことを繰り返してるけど、意味がわからない。これじゃあむしろ不安がつのるばっかりだ。
「わかるように言ってよ!日本語でいいよ!!」
「発語解析」おや?「基本言語を再インストールしますか?」はいはいはい!お願いします!「お願いします!」「インストールが完了しました。以降本艦はこの言語でオペレートされます」本艦?ああそうかAIっぽい感じがするんだ、この声。
「警告!本艦は墜落軌道に入っています!!」わわっやっぱり落っこちてるんだ!なんとかしないと。「えぇっと、どうすればいいの?止められないの?」
「現在本艦の操舵機能は停止しています。自動操舵に移行しますか?」「いいよ!そうして!!」「イエス、アイハブコントロール」
突然モニター映像が回復して、全天に視界が広がる。わ!月がもう目の前だ。どんどん大きくなっていく!「強行着地処理を開始します。衝撃に備えてください」またウエスト周りに「羽根」が出現して、わたしは球形の操舵室内に浮かび上がった。
わかってきたことがある。この羽根が出るときには、なにか危険なことが起きる兆候があるんだ。視界いっぱいに月面が広がって、そのまま上下がぐるんと入れ替わる。宇宙船ブランシュ・ネージュが姿勢を変えたんだろう。足から降りるつもりなんだ。
怖い!見てられない。ぎゅっと目をつぶってこらえるけれど、大丈夫なの!?
ものすごく速いものがものすごい勢いでものすごく大きな何かにぶつかったような音が響く。ああ、月面に不時着した衝撃で船体が揺れて、操舵室内の空気が響いているのね。
目を開ければ一面砂ぼこりがもうもうと立ち込めている。モニターが生きてるってことは無事に降りることが出来たのかな。「ねえ、ちょっとあの……大丈夫なの?」「損傷は軽微、計上するほどもありません」すぐに返事が返ってくる。よかったー。
いや、よくないよねやっぱり。やっぱりよくない。おじいちゃんはどうしたんだろう?
「あなた、誰なの?ブランシュ・ネージュの天測AIってあなたのことなの?」「その認識の通りです」おじいちゃん、それ書き換えたとかいってなかったっけ。
「おじいちゃんと変わってもらえる?」「『おじいちゃん』なる機能は本艦にインストールされておりません」えっ。
「さっき暗転する前にはちゃんといたよ!ねえちょっとどういうことなの」「現在のリブート以前は、本艦は何らかの外部プログラムによって不正に権限を取得され、その統制下に置かれていました」それだ!「それがおじいちゃんだよ!いまどうしてるの!!」「現在、当該プログラムは運用を停止しています。スキャン後に消去いたします」「だめだめだめだめ!絶対ダメ!!」
「やっぱりおじいちゃんに変わってよ、なんかその……アカウント的なアレなんでしょう?」「推奨できません。本艦の性能発揮並びに航行の安全に致命的な問題が生じます」うーん、困ったなあそれは……あっ。
「こっこのスマートフォンにダウンロードできない……かな?」うーんできっこないよねそうだよねえ。「可能です」「出来るの!?」「これは帝国宇宙軍の正規通信規格で接続可能な情報機器ですから、問題ありません」
そ、そうなんだ……。メーカーとか全然知らないしおじいちゃん「中高生向きあんしんスマートフォンじゃ」なんて言ってたけど……うーん、なんかちょっとなー。
「しかしメモリ容量が若干不足しますので、一部のアプリケーションを消去する必要があります。容量としては『催眠誘導アプリグルグルくん』というものが丁度――」
「それは消していいです」
「アプリケーションを削除しました。ダウンロードを開始します。この処置にはしばらく時間がかかります」「はーい、お願いします」ちょっと休憩、だ。飲みものでも持ってくればよかったね。そういうのはどこにあるんだろ?あとでおじいちゃんに聞いてみないとな。
でもなんか、月ってほこりっぽいところだね。遠くから見てた方が綺麗だったなあ。『私を月まで連れて行って』なんて歌があるけど、本当に連れて行ったら幻滅しちゃうかも。
おや、なんだか動いてる星があるよ。流れ星かな、羽根みたいなのが光ってまるで、まるでいまわたしが乗ってる宇宙船みたいだ!「注意喚起。所属不明の宇宙船を探知しました」やっぱり!「機動戦列艦3隻と確認」えっそれ大丈夫なんだろうか。追手が来るかもなんておじいちゃんは言ってたけれど……。
「あれ、善い宇宙船なのかな?それとも悪いものだと思う?」「抽象的な概念は判断できません」そーだよねー。うーん……、ともかく挨拶してみようか。最初から悪いだなんて、決めてかかっちゃダメだよね。
でもあたり一面まだ巻き上げた砂ぼこりが浮かんでる。これじゃ気づいてもらえないかも知れないね。言葉は通じないだろうしなあ、たぶん。
手を振ってみたら気がついてくれるだろうか?「ねえブランシュ・ネージュ、わたしが動くとあなたもそのまま動くようにできるんでしょう?」「可能です」「じゃあ、そうしてよ」「戦闘操舵に移行しますか」「うん、お願い」「外部端末へのプログラムダウンロード作業は中断されます」「それはまあ、仕方ないね」「では操艦を委譲します。ユーハブコントロール」あっはい。ちょっと身体を動かしてみる。よし、ブランシュ・ネージュも動く動く。
おーい、こっちだよー。気がついてくださーい。片手じゃ駄目かな?両手を思い切り高く上げてみる。うーん、気づいてくれないかなあ。砂ぼこりだらけだものなあ。
「もっとはっきり目立つ物ってないかなあブラン」「戦闘旗を掲揚すれば、こちらの存在を明確に主張できます」「じゃあそれお願い」ブランシュ・ネージュの背中に、光で描かれた大きな紋章のようなものが浮かび上がる。わー、なんか綺麗。格好いいなあ。強そうに見える。あれ?強そうに見えていいのかな??
「敵艦が戦闘機動を開始しました」ちょちょちょ敵って、ちょっと待ってよ!「所属不明って言ってたじゃない、敵じゃないでしょ!」「本艦が挑戦の意志を示しましたので」
「挑戦なんてしてないよ!」「兵装が内蔵された腕部を指向し戦闘旗を掲げれば、それは抗戦と撃退の意思表示です」「やめてやめて!いますぐやめてよ!通信とかできないの!?言葉は分からなくてもいいからさあ!」「一般通信回線を開きました」おねがい、答えて。「敵艦は既に暗号化通信を行っています」だから、敵じゃないよ!!
3つの航跡がひとつにまとまってる。なんかこれはすごく危ないんじゃないかって「警告、戦闘照準を受けています」やっぱり!「守って!」「防雷障壁を展開します。同時に近接防御波動兵装作動」「お願い!!」
ブランシュ・ネージュの前方にぼんやりとオーロラみたいに光るカーテンみたいなものが展開される。これ「障壁」とやらなんだろうか。でもその向こうでなんか光った!すごい閃光で眩しい!!障壁がぎらぎら輝いて揺れて、ちょっとこれ大丈夫なのブラン?
大丈夫じゃなかった。
光の柱みたいなものが障壁を貫いて、ブランシュ・ネージュの胸に命中する。ああ、アニメや特撮のビームみたいね。なんて言ってる場合じゃないよ。映像も操舵室も揺れに揺れて、ブランもわたしも月面に倒れた。
「ブラン大丈夫!?しっかりして」「装甲に被害を受けました。敵艦の火器は本艦の防空兵装を突破するものと認め、これより反撃を行います」反撃!?それはたぶん、もっと状況を悪化させるだろう。ダメだよ。
「逃げよう。反撃するよりそっちの方がいいよ」「戦闘宙域を離脱しますか」ああ、でもなにかがこっちに飛んでくるのが見える。爆弾とかミサイルとか、あれはたぶんそういうものだ。怖い怖い怖い!。死にたくないってすごく思う。
モニターのなかで小さな太陽みたいな爆発が起こる。ブランが輝度を下げてくれたからすぐに眩しさは収まったけど、何かすごく――
重い。
身体が重い。月に落下した時よりずっと重くて、手も足も動かない。なにこれ。
「ブラン、ブランブラン!聞こえる?全然身体が動かないよ。あなたは動けるの?」「重力擲弾攻撃を受けました。本艦は一時的に局所重力異常に囚われています」
重力異常って、ここだけ強く押さえつけられてるってこと?たしかに、さっきまで巻き上げられていた砂ぼこりが全部無くなってる……。
そして、きれいに視界の開けたモニターの中では、月面に押し倒されたブランシュ・ネージュの上にロボットがひとつ、浮かんでいた。鉄砲のような長い武器をこちらに突き付けて。わたしに向けて。
思わず、名前を呼んだ。いつでも頼りになる名前。いつでもそばにいる名前。わたしが困っている時には、いつでも助けてくれる名前。幼いころから、ずっとなじんだその名前を。助けて、
「助けて、セリーっ!!」
いまはもうそばにいない、名前を。