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第一話 出会いと鎮魂歌(九)

「ところで静傑様。せっかくですから、私の弾く音楽を一曲お聞きになられませんか? 私、この部屋にも自分の楽器を置いているんです。先ほどの話を聞く限り、私の実力もお知りになる必要がありますでしょう?」

「え? あ、ああ」

「では、すぐに準備しますね」


 そうして烑香は棚に置いている長細い箱から木製の特徴的な楽器を取り出した。

 それは二弦の楽器で、二本の弦の間に引かけるように配置された弓が存在し、音を出すための胴には整ったニシキヘビの皮が張られている。

 烑香はそれを左腿に置き、左手で弦を抑え、右手で弓を水平に引いた。


 途端、柔らかく暖かい、歌うような音色が部屋に響く。


 この楽器にはまだ名がない。母が作りはじめ、烑香が改良を続けているものだ。

 だから母との思い出が詰まる楽器ではあるが、母との思い出の音色が出せるわけではない。それでも、烑香はこの楽器を弾けば母と対話をしている気分になれる。


 そんな烑香が今奏でている曲は母がよく歌っていた歌だ。

 初めてこの国の地を踏んだ時、自然と歌ってしまったと聞いたその曲は、不思議とこの国をよく表している気がした。結婚生活上は微妙な立場であったはずだが、母はこの国に来てよかったと言っていた。そんな母が口ずさんでいたその曲は、確かにこの国らしい気がしている。


 しばらく音だけの空間が続いたが、やがて曲は終わる。

 感想を求めるつもりはないが、烑香は静傑の様子を窺おうとし、少し驚いた。


 静傑の目からは静かに一筋の涙が流れていた。


「……ありがとう」

「お礼を言われるようなことはしておりません」

「だが、これは兄上に向けて弾いてくれたんだろう」


 その言葉を烑香は否定しなかった。

 相手が静傑でなければ否定したと思うが、言ったところで気づかれるなら嘘を吐く必要がない。それでも肯定はし難かった。実際、見たこともない相手を思い弾いたというのは言い切れない。

 烑香としては静傑のために、その兄を追悼するための曲を弾いたのだから。


「沈黙は肯定と捉えて差し障りないかな」

「なんなりと」

「曲の中で、幼いころの兄上と遭った気がする。それで……あー……。兄上と、本当にお別れするんだなぁって今更ながら実感したよ。なんか、胡蝶の夢をみたようだった」


 胡蝶の夢。

 それは夢の中で胡蝶になり、自分が胡蝶なのか、胡蝶が自分なのか区別がつかなくなったという故事からくる言葉だ。今が夢か現実かわからないと言うのであれば、きっと静傑がそのころを一番良い記憶で、その頃のままいたかったということなのだろう。

 だが、静傑は現実を知っている。


(ただ、ずっと張りつめていらっしゃったのだもの。そういうこと、よね)


 兄に関する噂を払拭したところで、もとよりあっただろう喪失感は決して消えはしない。母を見送った烑香だってその気持ちは知っている。ただ、静傑はそこにとどまっていないことも理解している。


「この楽器の名前って、何かある?」

「未だ完成しておりませんので。良ければ付けてくださいますか?」


 母はこの楽器のことを烑香に伝えるとき、二弦と呼んでいた。弦が二つだからだろう。ただし仮称だとも言っていた。完成してから名前は考えようかなと言っていたことを覚えている。

 ただ、烑香は人にこの楽器の名称を伝える必要がなかったので呼んだことがない。


(……お母様は完成してからと仰っていたけれど、私は名前があったほうが完成に近付く気はするのよね)


 ただ、自身に命名の才はないと烑香は思っている。

 だから静傑が何と名づけるのか、興味がある。もし気に入らねば断ることもできるのだが、なぜか静傑は良い名を与えてくれるような気がした。


「……二蝶、かな」

「蝶、ですか。もしかして、先ほどの胡蝶のお話からでしょうか?」

「うん。……夢と現実の二つの世界を行き来させてくれるような、音に聞こえたから」


 そう言ってから、けれど静傑は髪に手をやり、小さく「やっぱり下手な名付けだよなぁ。せっかく大事な楽器だし、却下だよなぁ」と呟いていた。恥ずかしがっている。その姿に、烑香は少し笑ってしまった。


「いいですね。では、今日からこの楽器は二蝶です」

「え、いいの?」

「逆にダメな理由はあります?」


 長い時間をかけて考えられた名前ではない。けれど、自身の感想に合うようしっかり静傑が考えてくれた名前だ。

 まだ静傑は少し戸惑った様子を見せているが、もう変えるつもりがない烑香は再び弓を構えた。


「よろしければ他にも何か弾きましょうか?」

「あ、それはお願いしたい。……あ、でも、その前にひとつ言っておく。俺も未だ後宮暮らしをしているんだ」

「はい?」


 とっくに成人しているだろう皇子がなぜ皇帝の花園に出入りするどころか住んでいるのか、と烑香が首をかしげると、静傑が苦笑した。


「本来なら領地をいただいて、地方を治めている頃のはずだ。だが、陛下の御子で東宮になった者はすべて早期に崩御され世継ぎ安定しないから、未だ母の住んでいた宮に留め置かれているんだよ。病や襲撃による被害の軽減を目的としているんだろうけど、それだけなら後宮である必要もないんだけど……。まあ、そのあたりの陛下の考えは正直わからないよ。仕事もあるし、弟たちで陛下の妃に手を出す奴もいない。利点が少なすぎるしね」

「利点というか……まあ、静傑様はそれ以前に倫理的に手を出さなさそうですけどね」


 確かに子供を何人も亡くしているのであれば地方に向かわせ辛いことは理解できなくなくもない。病一つでも都のほうが治療に適しているだろう。貴族どころか庶民も跡取り問題には口うるさくなる中、この国の世継ぎとなればその重圧は比べ物にならないはずだ。


(そういえば、今代の賢帝と称えられている帝も帝位に即いた折りには兄弟が亡くなっていた……むしろ棚ぼた皇帝って言われているんだっけ)


 過去に呼んだ書物の知識を引っ張り出しながら、烑香は考えた。

 その前提を考えても、確かに静傑が言う通り後宮内で暮らす必要はあるのだろうか。少なくとも仕事を内廷でしているのであれば、寝所を後宮にしておく必要もないと思いもするのだが。


(……まあ、静傑様でもわからない人の考えを私が理解しようとするほうが無理よね)


 ただ何かあれば相談できる範囲にいるというのは心強い、と素直に思った。



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