第一話 出会いと鎮魂歌(八)
それから、七日が経った。
見合いの結果がいつまでたっても届かないことに烽霜がやきもきしていることを烑香は気付いていた。早く帰りたいという表情であったのに、良い返事を期待しているのだろうことはなんとなく気が付いた。その相手が皇族であるなど、そして嫁入りではなく婿入りを考えているなど気付いていないからこそ、そんな風に思っているんだろうなと烑香は思ったが、あえては言わなかった。言ったところであまりに突飛な話になってしまう。
そう思っていた日、漣家当主名での文が届いた。
内容は見なくともわかる。見合いが不成立ということだ。
(仮に成立させるにしても、漣幻様からの話はなかったことにしないといけないし。改めて静傑様からのお話になるでしょうが……)
はてさて、一体どうなるだろうか。
少なくとも貸しを作っているので一方的に婿に来ることはないだろう。
そう思っていると、烑香宛てにも一通文が添えられていたらしい。先にお断りがあったからだろう、届いた文は特に開封されていなかった。
文にはごくごく一般的なお世辞が並び、それでも縁がなかったという内容が綴られている。ただ、そんなものならわざわざ自分あてに来ないだろ。
「最後、余白が大きいわね。こういうこと?」
ろうそくに火をつけ、そこに手紙をかざしてみる。
すると文書が現れた。
『龍のもとで待つ』
その内容に「なるほど」と烑香は呟いたが、同時に少しだけ面倒だとも思った。
菊水の店で待つということなのだろう。ただし相手がいつでもいるわけがない。菊水に会って時間を確かめろ、ということなのだろうか。
とはいえ、さすがに無視するつもりもない。烑香はさっそく抜け出す手はずを整え、菊水に会いに行った。
そして、静傑と顔を合わせた。
「こんなにほいほい出歩いていいんですか」
「いいんだよ。それにいつもで歩いているわけじゃないよ。今日は文が届くって聞いてたからだし」
「そうですか。ですが、お待たせしてしまいましたね」
「気にしないで。結構勝たせてもらったし。稼げたよ」
どうやら賭け事も楽しんだらしい静傑に、確かに皇族らしからぬ姿と離脱希望も理解できる気がしてしまった。賭け事に強いことは良いと思うが、菊水の笑顔に青筋が浮かぶほどとは、一体どういう勝ち方をしたのだろうか。
「……それはそうと、話があるからお呼びなんですよね」
「ああ。この間の部屋に行こうよ。あそこ烑香は自由に出入りしてるんだよね」
「そこまで聞いたのですか」
菊水に確認をとっただろう静傑が先に進むので、烑香もそれに続いた。
諸々機密が多いのでこの店の人間でもあまり近づかない……というより菊水が近づけないようにしているあの部屋は、確かに内緒話にうってつけの場所である。
部屋に入って、適当に腰を下ろした静傑は周囲の様子を確認している。
話が漏れないようにということだろうが、その心配はない。
「大丈夫ですよ。声が届く範囲に人はいません」
「本当に絶対の自信があるんだね」
「羨ましいでしょう? 自慢の耳です」
そうにこりと微笑めば、静傑はふんわりと笑顔を見せた。
「そうだね。凄いと思う」
「……ありがとうございます」
自分から話を振っているにもかかわらず、こうも素直に褒められることは居心地が悪いと烑香は思った。
だが、その空気はすぐに断ち切られた。
「……この間の話。ありがとう。兄上たちの霊という噂は否定できた」
「あら、良かったです」
「それだけ? 聞かないの?」
「正直詳細を聞いてよいものかどうか、私にはわかりかねますので」
出来たら聞きたくない。
烑香はそう笑顔を浮かべた。むしろそのような詳細よりも返しに来ただろう借りの話だけでよい。そう思っていたが、生憎静傑は笑顔で話を続けた。
「せっかくだから聞いてよ。……まあ、仕掛け人はわからなかったんだけど、火を使った形跡は見つけられた。だから……火の滝を陛下に献上し、見てもらい、祝いの品とした。噂は俺の実験を見たのだろうということにして」
「……なるほど。ところで私、聞きたいって言っていませんよね?」
「まあまあ、聞くだけならタダでしょう? それで……噂なんて知らないふりして、朧烑香に協力を仰ぎ仕上げたと報告した」
「……はっ。私の名前を出したのですか!? どういう経緯で!?」
「漣家の紹介で火の扱いに詳しい者を探したということにした。主な仕様は極秘事項であることからこの店を通さなければ得られないということは申し上げている。まあ、お気に召した様子だったから御用達になる可能性はあるな」
「恐れ多すぎて胃が痛い」
十分すぎる対価を得たのではないかと思いながら、烑香は呆れた返事を返してしまった。
なるほど、この対価のためには話を聞かざるを得なかったのだろうなとも烑香は思った。
「嬉しくないの?」
「……確かに資金が溜まることは嬉しいことですけど」
「それで、ひとつ相談が。まあ、資金がある程度溜まるっていっても、ほら。いろいろ面倒事は多いだろ? だからさ、やっぱり結婚しないか?」
「どうしてそういう提案になるんですかね」
それは避けたいと言ったはずなのに、と烑香が睨むが、静傑は余裕のある笑みを浮かべている。
「事情は知ってる。そしてそれを俺は問題とも思っていない。こんな感じで烑香も金を稼ぐこともできるかもしれないし、そもそも俺も多少の財産もある。別に朧家の財産を使わなくても済む」
「そりゃ、そうですけど」
「別に朧家の名と身分がもらえるなら、俺はそれでいいし。烑香の夢が実現すればいいとも思ってる」
好条件を伝えられているのだと、烑香は理解できる。
むしろこれを逃したら国外を旅するなど、実現しないのではないのではないかと思ってしまう。
ただ、その条件が婚姻だ。
本来婚姻など結んだうえで自由に諸外国に出かけられるなんてものではない。
それができるとすれば……。
「……それは、たとえば私が当主夫人としての役割を全放棄したいと言ったり、後継ぎは別の人と作ってほしいって言っても良いっていうことですか?」
いくら本人が皇族らしからぬ様子だとは言え、身分はそれだ。
こんなことを言うなど不敬も甚だしいと思いつつ、この相手であれば怒られないことは確実であるし、なにより最重要事項である。
だが、静傑はすでに予想していたのか、相変わらず余裕のある表情を浮かべていた。
「それが条件なら受け入れる。借りがあるわけだし」
「ならば御受けさせていただきたいです」
「ははっ、いいね。話が早くて」
「まあ、貴方様は嫌な人ではないですし。むしろ丁寧かつ親切で、もし友人になるならこういう方がよいと思うほどですよ」
だから構わない。
そう言うと、静傑は目を瞬かせた。
「友人、か」
「不敬ですか? 今更ですけど」
「いやそっちはいいんだけど。友人なんて響き、俺は無縁だったから。なんかいいなと思っただけだよ」
そう言いながら口の端を上げるものだから、烑香からは思わず肩の力が抜けてしまった。その中でも静傑は「友人」ともう一度呟き、少年のように笑うものだから烑香もつられて笑ってしまった。
「ねえ、友人だと思っても構わない?」
「私もそのほうが夫婦よりは気が楽ですね」
「まあ、対外的には夫婦になるけど、そこは勘弁してね」
契約は成立だ。そう、互いに拳を突き合せた。
まったくもって婚姻の約束には見えない形であるし、友人というより現状は利害の一致の割合のほうが多い気はする。だが、これから友人になればいい。
そう思っていると、静傑が急に表情を引き締めた。
「本当にありがとう。兄上の名誉を守ってくれたこと、心から感謝している」
「お礼はもう言っていただいたのに」
「いや、これはいくら言っても足りない。俺はどうしても兄上の死が冒涜されているのが納得できなかったから。亡霊になったことにされていいように使われて、そんなことをされていい人じゃない」
そう静かに静傑は言ったが、怒りが滲んでいることに気付かないわけがない。
それは未だ発見できていない犯人に対するものなのか、それともそれを見つけられない自分自身に対するものなのかまではわからない。
ただ、静傑はこのことを自身の立場そのものよりも重要視していたのだろう。
やっぱり、根本的にお人好しだと思わずにはいられない。
「……まあ、でも貴方様はすごいですね。亡霊じゃないってお兄様を信じなさったからこそということはわかっていますが、この世の中です。本当に信じ続けることができる人なんて、どれほどいることか」
亡霊なんて当たり前にいると思われている世の中だ。
よほどしっかりした信念を持っていなければ流されても仕方がない。
「まあ、信じるというか、絶対だと思っていたんだけどね。証明できなけりゃ意味がないよね。だから本当に感謝している」
「偶然知ってることだったからお役に立っただけで、これからも役立てるとは思わないですけど」
「でも、俺の知らない知識はいっぱいあるでしょ。俺も宮廷内のことならそこそこわかるけど、国外の知識はないし、国内の知識だって政治に極端に偏ってるから」
「それを言ったら私は貴族の常識がないですけどね」
でも、それでちょうどいいのかもしれないと烑香は思った。
互いに相手が完璧であれば、相手をしにくい。自身はもちろんだが、なんとなく静傑もそうなんだろうなという気がしている。
「で、ちょっと現実的な話だけど。まあ、婚約はこちらから申し出るとして。立場上の手続きや儀式の諸々があるからすぐに婚姻は事実上不可能だし、なんなら婚約も内定状態で止まることになるんだけど。だからといって、烑香を朧家の屋敷に置き続けるのはちょっと問題があるなと思ってる」
「そう? 今でも本当に不便はないんですけど」
「いや、だって。俺は権力がなくても皇族。今まで何もなかったとしても、きみの妹は絶対きみに嫉妬で仕掛けてくるだろ」
「あー……」
確かにそれは間違いないし、楽器を壊されるのは困る。
「それで。俺は烑香の実力を知らないからなんとも言えないところはあるんだけどさ……いろいろ整うまで、後宮で俺の妹……皇女に仕える気はない? 器楽の師として」
「はい?」
「給金も出る。それで、住むところも用意できる。まあ……場所柄難がないわけじゃないけど、きみのだいたいの状況も理解してるから。国外に行って知識を深めたいと思うくらい、音楽は得意なんだろう?」
悪い条件で用意されるわけもないだろう。
ただ、場所が場所だ。詳細を知らずとも、いろいろと問題が……主に人と人との衝突が日常的に起こりそうなところだ。実際すでに静傑も難ありだと言っている。
(でも、皇女様のところ……なら、命の危険はない……と思うよね)
かたや実家は烽霜が庇ってくれるだろうという期待はあれど、異母妹が静傑を狙い始めれば本気で命を奪いに来られる可能性も考えられる。
「お願いします」
「了解。まあ、これからもよろしく」
そうして改めて互いに挨拶を交わす。
今までとは異なる問題は生じるだろうが、想定外の出会いがあったように、夢物語であったような未来も本当に現実になるかもしれないと烑香は思った。