第一話 出会いと鎮魂歌(七)
「あれ、烑香? 今日は来る予定なかったろ?」
「突然ごめんねぇ。ちょっと人を連れて来てさ」
「え、すごい美形じゃないか! 恋人?」
「そうだったら事前通告してお祝いしてもらってたよ」
「やだよそんな勿体無いことしないよ」
そんなやり取りをしながら、烑香は静傑のほうに向き直った。
「この女性は菊水さん。で、私のお友達」
「やぁ、美形のお兄さん。ここは交易品を扱いながら賭場もやってる庶民の社交場だよ。で、私のサボり場」
「ああ、ええっと……こうは言ってるけど、菊水さんここの頭領だから騙されないでくださいね」
おそらく大丈夫だろうと思いつつ烑香が説明すると、静傑は苦笑しながら頷いた。
店内には彼女以外にも数名の従業員がおり、向かって右手で荷運びや品物の検品、書き物をしている。そしてその反対側には机と椅子が何組もある。数人の客らしき者たちが机を挟み商談をしていたり、遊戯に興じていたりする。
「買い物? それとも双六? 囲碁? 象棋? 新しい札の遊戯もあるけれど。それとも借金?」
「残念だけど、今日も賭けないよ」
「じゃあ、いつものね。いいよ、おーい、ここ任せるから私は裏に行くよ」
烑香の言葉に菊水は「行くよ」と店の奥へ歩いていく。
「……俺、自己紹介もなにもしてないけどいいの?」
「いいんですよ。菊水さんは客じゃない人に興味はないから」
「まあ、助かるけど」
烑香と静傑がそんな話をしている間も菊水は鼻歌を響かせている。
「さあ、お兄さん。ここが烑香の遊び場だよ」
「遊び場、ですか?」
「ああ。ここに連れてきたっていうことはここを紹介するためだろ? 烑香のやつ、ここで金儲けしてるんだからねぇ」
「……金儲け?」
聞いていない、という顔で静傑が烑香を見た。
「そりゃ、本当に自分で何も稼いでないのに国外に行きたいなんて言わないですよ」
「この子、母親の教育の賜物で西側の言葉読み書きできるのよねぇ。だから翻訳をしたり、手に入った書物で金儲けになりそうな情報があれば商品をここで作るのよ」
「へぇ」
菊水がざっと説明してくれるので助かると思いながら、烑香は部屋の一角にある棚を開ける。
「烑香、それ使うのかい?」
「ええ。火種もお願いして構わないかな」
「いいよ。そいつ、信頼できる奴なんだね?」
「少なくとも不利益は出ないと思うよ」
何の話をしているのかと静傑が見ている中、烑香は五つの瓶を机に並べた。加えて器を六つ用意し、そのなかに綿を入れて酒精を含ませる。そして最後に、うち五つの綿に粉末を振りかけた。
そこまで用意ができたところで席を外していた菊水が戻ってきたので、烑香は窓についたてを立て、部屋を少しだけ暗くした。
菊水は「じゃあ、火種は置いとくから。火事はやめておくれよね」と言いながら部屋から出た。面倒事を感じたのか、それともこれ以上の同席自体が面倒だと感じたのか、ほかに興味があることがあったのか。烑香にはわからなかったが、名を明かせない相手を漣れている身としては都合がいい。
「では、ちょっと見ていてくださいね」
烑香は静傑に声を掛け、器の中の綿に火をつける。
一瞬、静傑が息を呑んだ。
そこには六色の炎が浮かんでいた。
「できるのか」
短く、けれど意図がしっかり伝わったからこその返事に烑香も頷いた。
「ええ。できるんですよ、炎に色をつけることは。……手掛かりになりそうな情報ですか?」
「ああ。十分に。確定ではないけど、暗闇から道が現れたようだよ」
「それはよかった。ちなみに、紫の色になっているものは明礬を使っています」
「なるほど。ついでに教えてほしい。……これ、お金になるの?」
静傑の質問に少し肩透かしを食らったが、ここまで見せたのだから以降隠す必要も特にない。
「ええ。私、これで火の滝を作ろうとしてるんですよ」
「火の滝……?」
「もしくは龍と称するほうが良いですかね。火薬で地面から思いっきり火を噴きある色の変わる仕掛けを作ったら、売れそうだと思いません? お祝いのときやお祭りに使えそうかなと」
「なるほどね。ちなみに試作品はもう出来てる?」
「はい、ありますよ。まだ量産できてないし、色ももう少し増やしたいし、何よりもっと綺麗に仕上がげたいんですけど」
販売するならばやはり美しく見えるものを作らなければいけない。
実際に制作を担う老職人が特にこだわりを重視する人であることも重なって初期より綺麗なものへ進化し続けているが、驚くほどの出来でなければせっかくの商品が人の噂になる前に消えてしまうかもしれないのだ。
烑香の返答に静傑は一つ頷いた。
「ねえ、借りをもう一つ作りたいんだけど。急いで一つ、綺麗なものを仕上げてもらえないかな?」
「何に使うおつもりですか?」
「こっちの潔白証明のひとつ。この借り自体はいい宣伝をすることで返したいんだけど、どうかな」
声色に嘘はない。
そもそも声を聴かずとも、絶対に儲けられるぞという自信に満ちた表情が嘘だとは思えない。これで嘘だというのなら、この男のことは何一つ信じられないと思えるほどのものだった。
「……もうここまで乗った話です。構わないですよ。でも、未完成品の、しかも見たことがない品物にそんな言い切りをしてしまっていいんですか」
「大丈夫だと思うよ。烑香も、菊水さんも。二人とも機会を逃すようなことはしない。絶対に間に合わせてくれる」
そう言い切られてしまっては、烑香も頷かざるを得ない。
「……で、もう一つとおっしゃいましたけれど……これも借りだとお考えで?」
「当たり前だろう。必ず何か返すから、考えておいて」
「ありがとうございます」
「どうしてきみがお礼を言うの。俺が言わなきゃならないほうなのに」
静傑はおかしそうに笑ったが、すぐに表情を戻した。
「悪いけど、戻ったらすぐ解散で」
「ええ、理解しています。ご健闘を」
「ああ」
「では、帰りましょう。漣幻様?」
「ははっ、きみは頼もしいね」
帰路はあまり口を開くことはなく、宣言通り戻ったあとはそのまま帰ることになった。そのこと自体に烑香はほっとしたし、烑香以上に烽霜のほうが安堵していた。どうやらよほど漣家当主と二人でいることに緊張したらしく、帰りの馬車では魂が抜けた様子だった。
「……烑香は、どうだったんだい」
「あー……。まぁ、何があっても漣家と縁続きになることはないと思いますよ」
何せ、本人が漣家に連ならない者だったのだから。
「それは破談ってことだね。まあ、気にしないでいいと思うよ」
烽霜の言葉に烑香は心の中で謝罪した。
あの人、皇子なんですなんて勝手に言えたものではない。
例え今回のことで静傑の懸念が一つ消えたところで皇籍離脱や婿入りの目的まで消えるとは思わない。そもそもそれで本当に解決するのかはわからない。何せ烑香自身は『亡霊』を見ていないのだから。
(それでも、まぁ、結果くらいは聞いてもいいけど)
というよりも、あの人なら借りを返しに来るんだろうな、と烑香は思った。