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第一話 出会いと鎮魂歌(五)


(……ああ、これは)


 他人より多くのことを知らせてくれる自身の耳は優秀だと思うものの、こういうときには少々煩わしい。

 烑香は常々面倒ごとには関わりたくないと思っている。しかしその反面、理不尽なことは嫌いだ。ならば聞こえた時点で無視することはできず、対処に向かわざるを得ないのだ。


「失礼、少し用事ができましたので外します」

「え?」

「小間物屋には後でに向かいますので」


 そう口にすると、烑香はその場を急ぎ離れた。詳しく説明する暇はない。ただ、隠したいわけでもない。もし用事の中身を知りたければ勝手に付いてくるだろう。そう判断した烑香は大通りを横切り脇道へと一本逸れ、声の発生源に向かった。


 静傑は烑香のあとに続いた。幸い説明は求められない。


 道を曲がってすぐ、烑香は都にやってきたばかりだと思わしき旅姿で戸惑った表情を浮かべている若い女性と、育ちがよさそうに見える格好をした男、それからいかにも近づいてはいけないと思わせる、荒くれ者と言っても差し障りのない格好をした男が二人の男を視界にとらえた。

 その状況で静傑も状況を把握したらしい。


 男たちも烑香たちの存在には気付いたようだが、通り過ぎると思ったのだろう。

 足を止めた烑香に怪訝な視線を向けた。


「どうしたんだい? お嬢さん」

「失礼。そちらの殿方はお嬢さんがお困りであることにお気付きですか?」


 男たちは烑香に、少し驚愕した様子を見せた。

 そのようなことをいきなり言われるなど、思ってもいなかったのだろう。

 しかし男たちが言葉を詰まらせたのはほんの一瞬だけだ。次の瞬間には下卑た笑みを浮かべ、楽しそうに口を開いた。


「お嬢さんもこっちへ来るかい? 解決する手伝いができるかもしれないぞ?」

「人買いですか?」

「なあ、お嬢さん。怪我をしたくないなら口を閉じたほうがいいぞ。そっちのひょろい兄さんじゃ、護衛にもならないだろ?」


 その返答に烑香は思わずこぼしそうになった溜息をぐっと堪えた。

 確かに静傑は一見して武人には見えないが、足音からは当体幹がいいということはわかるし、身体の均衡も良い。これは鍛えていなければ出ないものだろう。

 ただし侮ってくれているのであれば助かると思うので、あえて訂正はしないのだが。


 それよりも、今気にすべきはこの場にいる旅姿の女性だ。

 彼女は烑香の登場に戸惑っている。まだ自身がどういう状況なのか把握できていないのだろう。初めて聞く単語を口にするような様子で『人買い……?』と呟いているが、そこに実感は籠っていない。そういう人だからこそ、今回は狙われてしまったのだろう。


「都に慣れていない女性に親切を装い宿を紹介し、法外な値をつける宿に泊まらせ、不足分は妓楼で稼げと売り飛ばす。最近横行している悪行ですよね」


 腹立たしさから強い口調で烑香が言った瞬間女性の顔は青くなり、男たちの顔は赤くなった。声を掛けられているのに未だ気付かれていないとでも思っていたのだろうか、と烑香は口の端をあげた。


「てめ、」


 しかし殴りかかろうとした男は瞬時に烑香の前に出た静傑によって殴り飛ばされた。それを見た瞬間、ほかの男も静傑に刃物を向け飛び出したが、静傑は臆することなく、二人を素手で昏倒させた。


「お前達、詳しい話を聞かせろ」

「……失礼ですけど、たぶん聞こえてませんよ」


 武術ができるだろうとは思っていたが、まさか素手だとは思わなかったと烑香が少し驚いていると、静傑は振り返り、烑香を睨んだ。


「どうして危険なことを独断でしようとした。きみ、武の心得なんてないだろ」

「倒せはしませんが、少なくとも自身の安全は確保できると踏んでいたので。ほら、唐辛子袋とか」


 袖口に隠しているそれを投げつければ大通りまで逃げる時間くらいは稼げる。それほど強烈なものを用意しているのだ。

 しかし静傑は長い溜息を吐いた。そういうことを言っているのではない、と言われた気がした。しかし逃げるための手段は他にも用意はしているのだから問題はない。


「あと、貴方様が付いてきてくださったのでさらに安全かなと思いまして。貴方様は武術の心得がおありのようですし、町はずれの荒くれ者程度には負けないだろうな、と」

「なに、期待してくれたの?」

「期待というより、倒せないわけないと踏んでました。正直想像以上でしたし」

「……そうなんだ」

「それより、どうしましょう。衛兵を呼んできましょうか」


 男たちを放置することもできるが、せっかく倒れているのだから役人に突き出しておいた方がいいだろう。悪事に慣れている様子であるし、同様の手口はすでに何件か行っていることだろう。

 ただ『静傑』が困らなければ、だが。


「頼めるか。私はこれを見張っている。起きたら問題だからな」

「はい。では、そちらのお姉さんはどうされます? ここで待っていても安全ですし、私と一緒に行ってもいいですし」


 証言が必要になるだろうから、残念ながら帰っていいとは言えない。そもそもようやく危険な状況にいたと理解できたらしい女性は震えており、放っておくことができない。女性は烑香の誘いにはすぐに「行きます」と反応した。

 そして連れ立って歩き始め大通りに入った頃、女性は口を開いた。


「あ、ありがとうございました。その、通りから外れているのに気付いてくださって……」

「ああ、聞こえたからね。事情があるのかもしれないけれど、初めての都では人通りの少ないところに行かない方がいいわ。大通りにはスリも出るけれど、あそこまであからさまな危険には出会いにくいから」


 烑香の言葉に女性は頷いた。

 どういう事情で都に来ているのかはわからない。ただ女性の一人旅など特別な理由がない限りしないことは烑香もよく知っている。その特別には出稼ぎ、家出、人探しなど、人に頼ることができない状況がほとんどだ。


(だからといって私が何かできるわけではないけれど)


 幸運を、などと言えば反発を受けることだろう。

 だから何も言わず、衛兵の元へ行った。女性はそこで話を聞かれることになり、烑香は別の衛兵と元の場所に戻った。


(でも、静傑様はどうなさるおつもりかしら。女性を連れ去ろうとしたことよりも皇族に刃を向けたことのほうが重罪になるだろうけど、お忍びなわけだし……)


 果たして目撃者が身元を明かす必要があるのかどうかもよくわからないが、偽っても良いものかもわからない。


(……まあ、私が考えても仕方がないか)


 どうにでもなれ、と思い元の場所に戻ると、静傑がニコニコと衛兵を連れて戻った二人を迎えた。

 やや面倒くさそうな衛兵を見た静傑は、無言で懐から鏡を取り出した。その鏡には鳳凰の紋章が入っており、静傑が皇族であることを示していた。

 衛兵の態度は一変する。

 こんな堂々と偽物を出す者なんて、この国ではあり得ないことなのだから。

 そんな衛兵に対し、静傑はスッと目を細めた。


「誰であっても対応を変えるな。衛兵の職務を何だと心得ている」


 衛兵はただただ小さくなるばかりであるが、違和感は覚えたのではないかと烑香は思った。怒りの理由が皇族に非礼を働いたことではなく、庶民をないがしろにしたことであることなのだから。尤も、萎縮しすぎて話にならないかもしれないが。


(しかしこの皇子様は本当に人がいいのね。それでいて権力を使うことを厭っているわけではない。偽装して見合いするのも頷ける大胆さだわ)


 静傑は衛兵に「街の様子を視察に来ている」と説明すると、衛兵は震えあがっていた。

 怠慢ではないか、と言外に含まされているように感じたからだろう。先ほどの様子を見れば本人たちに自覚はある。

 治安の改善のためには良い薬になればよいのだがと烑香が思っている中、静傑が衛兵にならず者たちを引き渡し、指示を終えた。加えて「私は一般人だ」と言っていたが、衛兵は後ろめたさもあってだろう、勢いよく何度も頷いていた。


「行きますか?」

「ああ」


 歩き出す静傑に烑香は続いた。

 そして大通りに出る前に烑香は尋ねた。


「良かったのですか? ご身分を明かして」

「別に街を出歩くことを禁じられてはいないからね。嘘を吐いて婿養子先を探して見合いしてることがバレるのはまずいけど」

「……その危険を理解していても、私に探りを入れたかったのですか?」


 その烑香の質問に静傑は目を瞬かせた後、ニヤリと笑った。


「質問、今度は俺の番じゃない?」

「何をお尋ねになりたいのですか?」

「あの状況にどうやって気付いたのか知りたいんだけど」


 なるほど、確かに普通なら気づかない場面だと烑香は納得した。怪しいとまでは思われていないかもしれないが、不自然だと思われるくらいはあり得る話だ。


「聞こえたんですよ。私、とても耳が良いので」

「本当に耳だけの問題? あの距離で?」

「ええ」


 疑いというよりは驚きが勝った声だった。

 ただ、それ自体を烑香はあまり意外だとは思わなかった。


(……恐らく静傑様にも嘘を見抜く力がある)


 それが百発百中かどうかはわからない。

 ただ、少なくともかなりの高確率であることは疑っていない。もとより人が好いといっても皇族だ。そうでなければ生き抜くにも支障があるはずだ。だからこそ、烑香の言葉が嘘ではないと伝わるはずだ。

 だが、続く静傑の反応は烑香の想定とは異なっていた。


「いいね。それほど素晴らしい耳であれば、亡霊の声も聴けるのかもしれないね」


 妙な冗談だと烑香は思った。

 日常会話に出てくるようなものではない、唐突な亡霊という単語がなぜ飛び出したのか、と。なにより真面目な声色であることが一番引っかかる。


「亡霊を信じていらっしゃるのですか?」

「あまり信じてはいないよ。でも、もし存在するのであれば兄の霊を鎮めたいと思う」

「……はい?」


 何を言っているのか本気で理解できない烑香とは対照的に、静傑の言葉は真剣だった。


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