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第一話 出会いと鎮魂歌(四)

 第五皇子。


 それが本来自分が拝謁できない存在であることを烑香は理解している。言葉を交わすのも無礼だろう。だが、黙っているわけにもいかない。すでに『企んでいる』など無礼に該当する言葉は吐いたのだ。取り繕うにも、今更すぎる。

 だが、少なくとも不敬で断罪されることはない。なぜなら彼は本来の身分ではない漣家の一員として振舞っている最中なのだから。皇族が成りすましをしていると周囲に知られるほうが、威厳の失墜という意味でよくないはずだ。


 ならば、委縮しすぎている場合ではない。

 どちらにせよ、すでに面倒事に片足を突っ込んでいるのだから。


「無礼を承知でお尋ねしますが、身分を偽ってまでご自身で相手探しをなさることに何の意味があるのですか? しかも朧家相手では、あまりに利益がないのでは」


 ある程度の歴史はあれど朧家当代は向上心があるとはいえず、実力も乏しい。むしろ当代のみではなく、ここ三代でゆるやかに一族の力は失われ、下降気味である。そのような家と繋がることで利益が得られるとするなら、その相手は名の力が足りない新興貴族くらいだろう。金はあるが歴史が足りない、そういう場合でない限り利点がないわけではない。

 だからこそ皇族にとって利点などひとつもないはずだ。


(そもそも第五っていっても、上の四人の皇子様はお亡くなりになっているはずよね。そうなると…ますます見合いの意味不明すぎるわ)


 帝位の継承に明確な長子優先が定められているわけではないが、傾向としては年長者が継ぐことが多い。継がない場合の立場は場合によるとしか言えないが、どの場合であっても烑香に接触を図る必要がない。なにせ利点が思いつかない。


(身分の告白が嘘だと思いたいけれど、これは本当だし)


 むしろ嘘であって欲しかった、と烑香が思っていると静傑は肩を竦めながら口を開いた。


「朧家を選んだ理由は、後回しにするね。今日の目的はきみの人となりを知るためだった」

「召し上げたいと仰れば、人となりなど知らずともできるお立場でしょう。何人でも娶れるお立場なのですから」


 そして合わないと判断すれば離縁もできるはずだ。もちろんそのようなことをされなかったのは幸運だが、理解はできない。相手が気遣いする性格だから、という可能性は皆無ではないが、目の前の皇子がそれだけだとは思えない。


「まぁ、本来はそうなんだけどね。とりあえず歩きながら話そうよ。男女が往来で話し込めば、痴話喧嘩でもしてるのかって変に目立つし」


 どうやら今まで周囲に人影がなかったのは偶然だったらしい。

 まだ距離はあるものの、近づいてくる人々や馬車の音が聞こる。烑香はそれらの音が聞こえていなかったことに驚いた。

 音が自分の耳から消えるほど驚くなど何年ぶりかと思いながら烑香も静傑に合わせて歩き始めた。未だ心臓は激しい音を立てている。


(それにしても身分に明らかになった途端、ずいぶん砕けた話し方をなさるのね)


 相手にとって自分がかしこまるべき相手ではないことはわかるが、いわゆる『高貴な御方』の言葉遣いだとは思えない。仮に素の性格がそうだとしても、むしろ身分を明かしているからこそ相応の振舞いが必要になるのではないのだろうか。街中だから周囲から浮かないようにと演技をしているのだろうか? そういう風には見えないが、この相手であればありえないことではない。

 そんな風に訝しむ烑香の視線など静傑は気にも留めていなかった。


「とりあえず予定通り組紐の店に行こうか」

「……その必要は、もうないのでは」


 身分を伏せ相手の様子を窺いたいが故に外出したのであるなら、その目的は達成されない。ならば屋敷に戻って話をする方がいいのではないかと烑香は思ったが、静傑は首を傾げた。


「どうして? 屋敷に戻ってもどうせ話せないし、外で話せる機会を探すほうがいいと思うけど」

「話せない? もしかして貴方様がお屋敷にいらっしゃることを知る人は少ないのですか?」

「そうだよ。あの屋敷の大半の人たちは俺のことを当主が気に入っている一族の末席だと思ってる。だから嫁探しをしてもらっている、みたいに。実利のないそんな理由であの狸親父は動かないのにね?」


「狸親父って……」


 同意を求められても詳しい事情を知らない烑香は答えられない。むしろ事情を知っていたとしても、漣家の当主をそういう度胸はない。余計な問題を起こしたくはない。

 さらに付け加えるならば、外でどこまで話しても良いものか判断しきれない。固有名詞を避ければ特定できないとは思うし、聞き耳が立てられているような様子もないので、そこまで気にしなくても良いものだとは思うのだが。


「あ、そうだ。今のうちにきみが婚約を回避したい理由を聞いておきたいんだけど、いいかな?」

「お答えすれば、私も質問させていただけますか?」

「もちろん」

「……私は将来、国外に赴くことしか考えておりません。正直令嬢としての教育も受けておりませんから結婚に興味はなく、面倒という印象です。おまけに私の髪色に対する周囲の反応を見ていれば、碌な結婚はできないと思っておりますし」

「俺の身分でも碌でもない婚姻だと思う?」

「むしろ一番避けるべきといっても過言ではないのでは。実家の助けがない状況では荷が勝ちすぎていますよ」


 嫌だと言っている時点で不敬だとは思うため、いまさら発言内容については遠慮はしない。そもそも自分に期待できないことを伝えることは、相手のためでもあるのだ。むしろ感謝してもらってもいいという雰囲気で伝えれば、静傑は目を瞬かせていた。


「しかし国外とは珍しい発想だね。何が目的?」

「亡き母から学んだ音楽をもっと深く知りたいのです。この国にも素晴らしい音楽が多数ありますが、母を形成した異なる環境、文化に触れ、音楽を知り、糧にしたいと思っております」

「へぇ。ご母堂が国外の方なら、噂で聞く髪色も納得だね。よく見れば目も青みが強いね。西方?」

「……はい」


 興味深そうに言う静傑に烑香は少々居心地が悪くなる。

 この髪色も周囲からは呪いだなんだの言われている。それを特に気味悪がることなく納得されるのはなんとなく慣れていない。


「しかし、留学か。思い切った希望だね。ご当主は納得してるの?」

「表面上反対まはされていませんが、納得してもらっているわけではありませんね。実際は当てのない旅というのが適当だと思いますし、費用を負担してもらえる状況ではありませんので」

「なるほど。理解はした。じゃあ、次はきみが質問してくれていいよ」

「ありがとうございます。……では、なぜ私と見合いをされたのですか」


 『それも、わざわざ身分を偽って』と言外に込めれば、静傑はそれまでの楽しそうな様子から一転、苦笑した。


「変な話に聞こえるかもしれないけど、私は婿入り先を探してるんだよ」

「は?」

「その反応、いいね。面白い」

「そのような感想は不要ですが……。まことで……ございますね」

「その不思議な言い方はなに? でも、こんな場面で嘘は言わないよ」


 ではなぜ、と出そうになった言葉を烑香は呑み込んだ。

 婿入りをわざわざ目指すということは皇位継承権を放棄するつもりだろう。

 立ち入りたくない話だ。中途半端に聞く利点など、何もない。

 そしてそんな目的があるなら、相手は自分であってはいけない。


「……もし貴方様が我が家の婿になりたいと仰るなら、私ではなく異母妹が相手になるでしょう。朧一族の本家には娘が二人。私が長子ですが、家を継ぐのは正妻の娘である妹だということはご存じですよね」

「うん、それは知ってる。でも俺が言えばひっくり返すくらいは可能でしょう?」


 確かにそれは間違いない。

 もちろん烑香に皇族の婿など、と一族の者は思うだろう。だが、それを口に出す度胸がある者がいるとは思えない。ならばすり寄って利益を得ようと方針を変える可能性すら考えられる。

 唯一本当に苦情を申し出そうな相手は異母妹だが、そもそも静傑が拒否をしているので叶うわけもなく、烑香や烽霜がどうにかできる話ではない。


 しかしそもそも異母妹を相手にしていれば、その面倒も怒らないはずである。なのに、なぜ自分に話が来たのか烑香には変わらずわからない。


「妹を選ばれる選択肢はないのですか」

「いや、アレはちょっと……。調べたけど、相当性格が悪いでしょ? 俺イヤなんだよね、性根が腐ってる奴って」


 間髪入れず告げられた回答に、思わず烑香は噴出した。


「だ、大丈夫か?」

「大丈夫ではありませんよ!! でも、くっ、く……」


 一応外部と接触する時は猫かぶりでもしているのだろうと思っていたが、どうやら猫はかぶれていなかったらしい。


「それで長女のほうを、試してみよう、と……く……くくっ」

「ちょっと、笑いすぎてるけど大丈夫? まぁ、長女は屋敷でも人前に出ないって聞いてて情報は手に入れられなかったし、婿入りできる先ってそう多くないからね。でもあの引きこもりっていう状況、本当は次女や本妻が軟禁してるようなものなんじゃないの?」

「否定はしませんが、私も都合がよいので気にしておりませんでした。見張りがいるわけでもありませんし、のびのびしていますよ」


 さすがによく調べている、と思いながらも烑香にもだいたい静傑の考えについて、予想がついてきた。


「それに貴方様は、むしろ私が困っている状況のほうが望ましかったのでは?」

「どうして?」

「抑圧されて生きる弱気な令嬢であれば、婿入りしたときの振る舞いもある程度幅が効きますし、助けだって求めることでしょう。婿入り志望の理由はわかりませんが、正当な当主として振舞うには都合の良い環境ですよね、我が家は」


 まっすぐ目を見て言えば静傑は両手を肩の付近まで上げ、降参だという意思を口を開かずに伝えた。


「やっぱり、お望みでしたか」

「ごめんね、引いてる?」

「いいえ? 理由なく私を指名するわけがないと思っていたので、むしろ納得です。理由がないほうが怖いくらいです」

「まあ、きみにとっても都合がいいとは思ったんだよ。もちろんきみが苦しんでないならそれは良いことだと思うけど、後から来た正妻とその娘を見返せるしって」

「あら、ありがとうございます。まあ、良好な協力関係を築くのであれば互いに利益がなければ成立しませんしね」

「手厳しいね」


 もちろん善意がまったくなかったとは思わない。

 それに、苦しんでいなかったことを残念だと思わず、素直に良いことだといった静傑はお人好しなのだろうと烑香は思った。


(でも、人が好いなんて……皇族としては大変でしょうね)


 気の毒だ、と烑香は少しだけ同情した。

 そして、だからこそ皇籍から離れることを決意できたのだろうと思う。静傑はおそらく謀略を不得手としているわけではない。ただ優しい性格であるのなら、しんどいことではあるだろう。ただ、やはりわざわざ婿入りまでして成し遂げたい何かがあるのかは変わらず捉えられないが。


「なに? まだ聞きたいことは続いてる?」

「そうですね。一番大事な話もあります」


 今の会話を経て『静傑』は烑香と婚姻を結ぶつもりがあるのか。

 それは今聞かずとも、そのつもりならば結果が屋敷に届くことだろう。けれど長々と待たされたくはない。たとえ求められたところで、はいそうですかと簡単に納得するつもりなどないのだから。


 ただ、それを聞く直前。大通りに入ったと同時、烑香の耳にはあまり聞きたくない会話が届いた。


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