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第六話 銀の胡蝶は嘘を斬る(七)

 虎祐の処分は滞りなく行われた。

 虎祐が持っていた権力の大きさから、本人以外にも広く処分は行われることになった。その詳細は烑香の耳にも届いたが、静傑が聞かせたくなさそうにしている様子であったので、気付かない振りをし、そして記憶しないようにしていた。


 ただ、虎祐の様子だけは伝えられた。


「本当に例の薬を飲ませることはなかったけど、牢で正気を失ってるよ」

「栄華を失ったのが耐えられなかったんですかね」

「未来も潰えたからだろうけど、おかげで勝手に話してくれるから調書が進むよ」


 複雑な声色なのは、仕方がないことだろう。明らかにしなければならないことであるが、明らかになったところで過去を正すことはできないのだから。


「……ひとつ虎祐の言葉が本当であれば、信じたくないことが増えたんだ」

「それは私がお聞きしても大丈夫なことでしょうか」

「聞いて気分の良い話じゃないと思う。でも、俺が一人で抱えるには少し重い。勝手な話だよね」


 断ってくれても構わない、そう告げられたところで、烑香も「ハイ、ソウデスカ」と言うわけがない。


「運命共同体なんでしょう。嫌な話なら忘れるので、どうぞ」

「……虎祐の言葉が真実であれば、飲まされた薬のせいであったとしても、光傑兄上たちを殺すよう命じられたのは陛下だ。実行したのは虎祐だし、誘導している可能性が高いがな」

「……え?」

「私も信じたくはない。ただ、私を見て錯乱した虎祐が『陛下がご指示くださったのでしょう』と、怯えていた。私は若い頃の陛下によく似ていると聞いたことがあるけど、見紛ったらしい」


 どういう表情を浮かべるべきか、本人もわからないのだろう。ただ、軽く話そうとしていても辛いということがありありと見てとれた。

 そして虎祐の言葉が本当だとすれば、などと言ってはいるが、実際本当だと静傑は既に判断している。


「……陛下がそうなさった理由はお聞きになられましたか?」

「賢帝と称された自らの存在が消されることを陛下は恐れられ、命じられたと……。そんな内容だったかな」

「……」

「陛下のお言葉を勝手に解釈しただけだと、私は思いたい。第三皇子を亡き者にし、第四皇子を犯人にする案も陛下からのお言葉だって言ってたけど、信じるわけにはいかない」

「理由をお聞きしても?」

「錯乱した者が喚いている、自らの罪を軽減するために言っている程度にしか奴の声を聞いた者たちは思っていない。理由が何であれ、陛下を害そうとした時点で極刑以外に道はない。他の罪が加わろうとも、これ以上重い罪にはできない。だから、陛下はそのようなことを仰ってはいけない」


 そう言った静傑は、はっきりとした声とは裏腹に表情は冴えなかった。


「どんな結果になったとしても、胸糞悪いことになると思ってはいたけど。言葉にできないね」

 

 烑香はその言葉に返事はしなかった。

 どう返事しても、静傑は気を使った返答をすることだろう。

 それでも言わないことを決めたのは、決して信憑性の問題や皇帝の名声のためだけではないだろう。虎祐の言葉が本当でも元帝が再び政の舞台に戻ることはない。療養をするが、よくなる見込みはないと麗藍からは聞いている。

 だから再び犠牲者がでることはない。


(それに皇家の血筋から、それも皇帝が自分を守るために子殺しをしたなど知られれば、駿傑殿下が難しい舵取りを強いられることになる)


 国を、民を想い駿傑の順調な継承を目指して来たのだ。

 真実を告げても実利は何も得られない。


「俺ってずるいよね」

「そうですね。……ずるいくらい優しくいらっしゃると思いますよ」


 きっと否定したところで静傑は納得しないだろう。

 烑香の言葉に静傑は目を見開き、困ったように笑っていた。

 烑香としては結果がどうあれ、罪状が変わらないのであれば重要であるとそこまで感じなかった。

 とはいえ悪政が敷かれているのであれば確かに卑怯だと思うかもしれないが……少なくとも、静傑が大きな改革を望んでいないのだ。政治には詳しくはないが、虎祐が悪人であったとしても政治体制をすべてを作り直さなければならないほど悪い状況ではないのだろう。

 烑香の返答を聞いた静傑は突然深呼吸をした。


「いかがなさいましたか」

「……いや、重いなって思ってさ。俺はこれ一つ決めるだけで、精一杯だ。いくつもの重い判断を下す帝という立場の重責は、とんでもないものだなと思った」


 そう口にしてから、静傑は目を閉じた。


「陛下もご自身の体調の変化に気付けないはずがないんだ。でも、誰にも相談なさっていない。……薬物を受け入れられていたんだ。最終的にどうなるのかご存じだったのかまでは知らないけれど」

「……」

「俺が同じ立場なら、薬に逃げたいと願うんだろうか」

「たぶん、大丈夫ですよ」


 深刻に考えている静傑には申し訳ないとは思ったが、烑香ははっきりとそういった。悩むだけ、無駄な話だ。なぜなら……。


「静傑様って人を使うのが上手いじゃないですか」

「その言い方って、褒めてるの?」

「褒めてますよ。……全部自分で何とかしようなんて気負わないでしょう? 使えるものは使う。だからなんだかんだいって麗藍殿下とも良好なご関係じゃないですか。なので、逃げたくなる状況に陥る前になんとかなさいますよ。大丈夫です、私が保証します」


 皇帝には二度目通りが叶っただけで、その本質はわからない。けれど、静傑は異なる軸を、しっかりとした自分の形を持っているのだと思う。


「散々手伝わせてる烑香に言われたら何も言えないよね」

「あら、嫌味に聞こえました?」

「全然。むしろ、何心配してるんだって自分に突っ込みが入れられる余裕ができたよ」


 そもそも俺は皇帝にならないのにね、と静傑は小さく。


「……勝手な想像ですし、願いであるだけなのかもしれませんが。私、陛下が静傑様を指名されたのは、こうして静傑様なら虎祐を捕らえられると思われたからではないか、と思うのです」

「どうしたの突然」

「陛下は静傑様のことを謙虚で自分の立ち位置を把握する理解力があると仰いました。……これは皇帝の資質では無く、冷静に状況が見分けられるかどうかを判断するための時間だと聞こえるのです」


 なんとなく、今を逃せば二度と言う機会はやってこないのでははないかと烑香は思った。

 肯定は正気である時間は少なかったのかもしれない。けれどそれでも虎祐に気付かれることなく、願いを託していたのであれば。もしくは、駿傑のために頑張る兄を応援していたのであれば。

 結果が何か変わるわけではない。それでも静傑が指名されたことには意味があったのだと、やり遂げたのだと、烑香は静傑に信じてもらいたかった。


 そんな烑香の思いが伝わったのか、伝わらなったのか、それはわからない。

 ただ、静傑の纏う空気が少し柔らかくなったように見えた。

 そして烑香の言葉に静傑は長く息を吐いた。

 

「暫く忙しくなる。だから、烑香の望みを叶えてあげられるのはもっと先になるんだけど……。とりあえず、婚約は表に出していいかな。なんていうか、もっと頃合いを見計らったほうがいいと言うなら、そうするけど……」

「え? 静傑様に問題がないなら、いつでも歓迎ですよ」

「よかった。……さすがに駿傑が継承ってときに俺がフラフラした状態だったら、ちょっといろいろ面倒なのが沸きそうだから」


 ほっとした様子を見せる静傑に、烑香は一体なぜと疑問を浮かべた。

 麗藍のもとにいるのだって、婚姻を結ぶまでの一時避難だ。結婚だってとっくに了承しているというのに烑香が断る理由など何一つない。


「……なんでって顔してるよね」

「え? ええ。それは思ってますから」

「今の状況に引いてない? 今更ながら後悔してない? 普通じゃない状況があまりに続いてるから。いや、皇族でも普通じゃない状況だけど」


 なるほど、やはり相手として面倒だと断られることを静傑は危惧したらしい。

 

「まぁ、状況変化が忙しいなとは思ってますよ。ややこしい世界もあるんだなとか」

「ほら……」

「でも、別にそれだけですよ。静傑様は嘘を吐かないから、一緒にいて居心地いいですし。あと、危機回避に全力を注いでるがゆえに死ななさそうですし。それに貴方が皇族出身でも、私が妃になるわけではないですし」


 あくまで静傑が婿入りする予定であるし、政治的なかかわりが残るかもしれないが、今ほど自身が何らかの政治的事情にかかわることもないだろうと烑香は思う。

 だから別に問題を感じたことはない。


「それに、いくら契約結婚でもできれば人間的に好きな人のほうがいいじゃないですか」


 性格的に合うことも貴重なものだと烑香は思っての発言だが、抜けた表情を見せた静傑は、やがて顔を朱に染めた。


「え? ……もしかして照れてらっしゃいます?」

「むしろ烑香はどうしてそんなさらっと言っちゃうの」

「あら、私が静傑様を嫌っているように思われていましたか?」

「そうじゃないけどさ。いや、まぁいいよ。素直なんだってことにしておく」


 呆れたような溜息交じりにそう言われたが、何を疑問に思われたのか烑香には見当がつかなかった。それなりにうまくやっているつもりで、これならば今後も問題ないと思っていたのだが。


「本当に、勝てる気がしない」


 そう小さく付け足された呟きに、一体何に勝つ気でいるのだろうかとようかは不思議に思った。自身が勝っていることなどないし、烑香に競りたいことはないのだが。


「婚約も大切ですが、やることは山積みですよ。兄上様の仰っていたという怪しい動きも調べなければいけないでしょう。ちゃちゃっと芽を摘んでしまいましょう」

「ほんと、頼もしいね」


 笑う静傑に、烑香は口の端を上げた。


「だって、楽しく過ごすには必要なことでしょう。私、嫌なことがあったら、その何倍も楽しいことをしなければいけないってお母様からも教わっていますので。だから、静傑様もこれから呆れるほど楽しく過ごさなければいけないんですよ」


 おそらく静傑はそれまでそのような考えを抱いたことはないだろう。

 けれど目を丸くした彼が今までで一番大きく笑った。


「難易度が高そうだけど、凄くやりがいがありそうな使命だね」


 それは、どこまでも晴れやかな表情だった。

本日投稿分で第一部完結いたしました。

それに伴い、毎日更新は終了となります。

(何と言ってもストックが尽きたところが大きいです…!)

続きはのんびりとお待ちいただけますと大変うれしく思います…!


お読みいただきありがとうございました。

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