第六話 銀の胡蝶は嘘を斬る(三)
それから暫く会話が消えたが、やがて静傑が口を開いた。
「……陛下はああ仰ったけれど、やっぱり陛下らしからぬ判断だと思う」
そう言い切った静傑は深く息を吸い込み、それからゆっくりと吐き出した。
一番違和感を覚えたくない相手だ。けれど、腹を括ったのだろう。
「陛下が『永遠に私の手の内』と仰ったのは烑香にも聞こえた?」
「はい。有り体に申しますと、何言ってるんだろうこの人、って思いました」
「正直だな」
もはや苦笑するしかないとでも言いたげな顔で、静傑は烑香に向かって肩を竦める。
けれどその表情はすぐに引き締められた。
「不老不死を願われるような御方ではなかったはずだ。冗談として仰ることはあっても、本気であったとは考えられない」
「もっとも、本気であったとしても該当する薬は存在しないでしょう」
「……だよな?」
「何、自信を失くされているのですか。確かにこの国には昔から不老不死の薬に関する迷信は多くありますけど、少なくとも現時点ではどれも作り話でしょう。存在するなら、すでに不老不死の人間がいるってことですからね」
歴代の皇帝の中には不老不死の薬を探すため大規模な探索隊を編成したり、民衆の支持を集めた自称仙人が献上した怪しい薬や水銀を飲んだ者もいたとされている。そして、その中には賢帝と称えられた者もいるという。
(そんなに不老不死って憧れるものなのかしらね)
もしかすると死期が間近になってこそ感じられるものなのかもしれないが、現状烑香にとっては不要のものであるのでその気持ちは理解できそうになかった。
それに、理解したところで何らかの意味を持つこともないだろう。
「理由はともあれ、真意を確かめるための時間はあまり残されていませんね」
静傑が指名された理由は不明でも、この時期に東宮が指名された理由は皇帝の体調が理由だろう。
納得できる回答を得ていない静傑は、国のことを思えばこの状況を受け入れられはしないはずだ。ただ与えられる役割を受け入れるだけの人ではない。だからこそ納得できる回答を得るか、納得できる継承……俊傑の立太子を認められるよう働きかけるだろう。
いずれにしても、すぐに動かねばならない話だ。
「正直ここまで悪くなられているとは思っていなかった。目の充血や空咳も見られた。……虎祐からは聞いていない」
「……宰相様、ねぇ」
虎祐が何を考えているのか、烑香には全く分からない。
ただあの体調である皇帝から信頼を勝ち取っているのであれば、皇帝の意向にはある程度虎祐の考えが反映されているのではないかと思う。そもそも、当初からどこかひっかかる男である。
ならば虎祐から攻めたいところではあるが、何か手があるだろうか……?
「ねえ、静傑様。宰相様って女性や芸事にご興味があったりしませんか?」
「は?」
「どうせこちらが下に見られているんです。最高の接待をして、油断をさせ、ちょっとお話してもらったりしてみません? 私、幻の蝶仙との伝手があるんですけれど?」
うまくいくかはわからない。ただ時間を浪費することになるかもしれない。
それでも金では動かない幻の妓女に興味惹かれれば良い機会が設けられるかもしれない。
「……虎祐が特別女性に心奪われているっていう話は聞いたことがないけれど、芸術に対しては深い理解と自信を持っているはずだよ」
「ならば『蝶仙の批評をしませんか』とでもお誘いしますか。自分で言うのもなんですが、蝶仙は異例尽くめで名を高めた特別な妓女。なかなか良い餌ではございませんか?」
蝶仙としての対面であれば、直接顔を合わせることはない。
一番近くても衝立越しにしか客の前に現れない。
その状況であるのなら蝶仙が烑香だと認識することはないだろうし、静傑と二人揃って虎祐の話を聞くことができる。部外者の前でどこまで虎祐が話すか怪しいが、核心に触れない話し方であれば可能性はあるのではないかという望みがある。
「……いいのか? 妓楼の許可も必要だろうし、お前の音はそういうもののためではないだろう」
「無茶なことではありませんし、融通利かせてもらうために破格でお仕事を受けてきているのですから妓楼には納得してもらいます。それに、私の音で友人が救えるのであれば、それは素敵なことだと思うのです」
もしかすると返礼として何日か妓楼で演奏することにはなるだろうと思うが、その程度だ。
利用できるものは利用する。
何せ今は躊躇っている場合ではないのだから。