第六話 銀の胡蝶は嘘を斬る(一)
茶を飲み一息ついた後、麗藍が持ち帰った茶葉を預かると申し出た。
「盗まれるようなものではないと思うけれど。お兄様のところは人の出入りが多いでしょう」
「助かるよ。でも、構わないのか?」
「ええ。誰かの手に渡ると私も困りますから」
麗藍は淡々言い、そして烑香を見た。
「烑香。とりあえずあなたはこの後、私に稽古をつけてくれるかしら」
「え? もちろん構いませんが……よろしいのですか?」
「あまり考えすぎてもしんどいでしょうし、静傑お兄様が方針を決めないなら私たちにできることはないでしょう」
きっぱりと麗藍が言い切ると静傑は苦笑した。
「麗藍ははっきり言うね」
「濁しても仕方がないでしょう。私たちが自分から宰相との接触を試みることはできませんから」
麗藍の言葉はもっともだった。
少なくとも烑香が宰相に会うことは不可能だし、虎祐は後宮にはやって来ない。
それを理解していたからだろう、静傑は溜息一つ零すだけでゆっくりと立ち上がった。
「お兄様は忙しいですね。慰霊祭の準備もあるというのに」
「……俺もそう思う」
「あら、どうしてお掛けになられるの? お戻りになられるのではなかったのですか?」
「大変だから、やっぱり休憩してから行こうと思って。麗藍と烑香が癒してくれる音楽を奏でてくれるだろうし」
「癒しじゃなくて稽古ですよ」
わざわざ気を休ませるような選曲をする気はないと示すも、静傑はわざわざだらしなく座り直した。
帰る気はさらさらないと態度で示している。
「烑香、気にするだけ無駄だわ。準備をして頂戴」
「かしこまりました」
麗藍がそう言うなら構わないかと、烑香も気にせず稽古を始めることにした。
二、三日後には静傑の方針も決まっていると想定し、それまではひとまず気持ちを休めようと烑香は考えた……はずだった。
翌日午後、麗藍のもとに訪れた酷く厳しい表情を浮かべた静傑の話を聞くまでは、そう思っていた。
その表情にはいつも無表情の麗藍さえ、眉を少し動かした。
「いかがされましたか」
「……今朝、立太子の予定が伝えられました」
同席した烑香も、聞き間違いかと思った。
皇位継承は望まないし望めないという考えではなかったか。
だが一番戸惑っているのは静傑だと、その声が示している。
「なぜ、お兄様が……しかもこの時期に?」
「わからない。長子優先なんてことのない、純粋な力比べのはずが……どうして俺の名前が挙がったんだ。俊傑を選ばない理由がないはずだ」
僅かに苛立ちを含んだ戸惑いに、烑香はほんの少しだけ嫌な予感を含ませているような気がした。
「静傑様。もしかしなくてもそれを告げられたのは、宰相様ですか?」
「ああ。陛下には後ほど謁見できるよう、申し出ている。だから烑香にも来てほしい」
「私がご一緒できるものなのですか?」
「臣籍降下については陛下には願い出、内々定はしていた。それ自体は他には伏せていただいていたが、婚約自体は既に許可が降り公になっているから烑香に関係しない話じゃない。虎祐からは問題ないだろうと言われているけど、もしダメなら入室前に陛下からダメって言われると思うよ」
「……そうですね」
話は充分に進んでいた。
しかしそれにもかかわらずひっくり返ったとなれば、何らかの力が働いたのは明白だ。
(個人的な感想だけで言えば、静傑様は頂点に立てる方だと思う。けれど当のご本人が自身の力が及ばないところを理由に無理だと仰っているのであれば、それは間違いないこと)
何せ自分が逃げているようだと苦悩していたくらいなのだから。
そしてその状況を皇帝が理解していないはずがない。
それでもあえて静傑を推すというのであれば、それだけ期待が大きいということなのだろうか。それとも、俊傑に何かがあったのだろうか?
どちらにしろ、状況が急激に変化するのであればただ悠然と構えているだけではいられないと烑香は思った。
「……実は伏せていたけれど、陛下はここ数年……特に光傑兄上たちがお亡くなりになったころからは体調が優れない。公務の際は気力で隠しておられるが」
烑香は思わず息を呑んだ。
後継者が本格的に求められる状況下で、二人の皇子が亡くなっている。静傑の口ぶりからして、本当は猶予がない状況なのだろう。
「でも、ここは俊傑のはずだった。なぜ……」
「今はそのようなことを気にしている場合ではないでしょう。ご一緒いたします、参りましょう」
「……そうだね」
しっかりと言いながら、しかし珍しく静傑は自身の緊張を隠せていなかった。




