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第五話 茶葉の遺言(四)

「静傑兄上、今から私の部屋にいらしてくださいませ」

「では遠慮なくお邪魔するよ」

「多少の遠慮は持ち合わせてお越しください」


 帰路、麗藍は静傑を誘いはしたものの、見向きもせず進んでいく。

 麗藍は表情に乏しいところがあるとはいえ、本来麗藍は人をないがしろにするようなことはしない。恐らく仲が良いように見せないよう配慮しているのだろう。


 道中言葉少ないまま玻璃宮に戻ると、すぐに麗藍は人払いをしたあと、烑香と静傑を応接室に通した。


「さて、と。静傑お兄様、その茶葉を烑香に渡してくださいませ。もっとも、烑香が欲した茶葉は私がいただいても良かったのですけれど」

「それは差し出がましいことをしたね」

「悪いと思っていないのに謝るのはよしてくださいませ」

「……いまの麗藍はちょっと烑香に似ていた」

「何をわけがわからないことを仰っているのですか。早くなさってくださいませ」


 表情に変化があるわけではないが、麗藍は普段よりも人間味があるような気がした。


「それで? 烑香には何が見えたのかしら。私にはただの乾燥した草に見えたけれど、いずれにしても良い話ではないのでしょう?」

「……ええ、麗藍様のご想像通りでございます。おそらくこの茶葉には鳥兜が混じっております。正直茶葉自体が非常に雑な砕き方をされているので、目立ちにくくはありますが」


 変化に気付きやすいように硝子を利用していたとしても、どこかで『これだけやっているのだから大丈夫だ』などと思う気持ちがあったのかもしれない。会ったこともない相手のことを想像、理解するのは難しいが、兄の殺害を考えるような人間だ。自身の力に驕る気持ちがないとは考え難い。


「……この状態でよく気が付いたな」

「私も昔は毒に注意していましたからね。毒見なんていませんし。この断片、多分そうですよ」


 好きで学んだわけではないが、生き残るためには必要だった。

 放置されるようになった今でこそ一切手出しされることはなくなったが、母を亡くした直後には正妻から排除されそうになっていた時期があった。毒殺もあり得ると菊水のところで現物を見たり、母の遺した図録で学ぶことで危険なものを多く覚えた。実際、それで命を長らえたことがある。


(……母様もあの書物の量を見る限り相当毒には苦労していたのよね)


 そのおかげで自分の命が助かったのだから、気の毒だと思いつつも感謝をしてしまう。そして今回、気付く手掛かりとしての知識を与えられていたことにも。


「甄佳様はあのように仰っていましたが、この瓶を見る限り毒殺の可能性は排除しないほうがよろしいかと」

「……豪傑兄上の最期は、突然苦しみはじめ呼吸困難や嘔吐の症状があったらしい」

「鳥兜の症状でしょうね。それでも過労で通ったのですね」

「兄上自身が他人の侵入を極力排除し、余計なものは口になさらないから消去法で残ったというような雰囲気だったと思う。食事や水に関しては毒見役に異常がなかったことから、毒の可能性は消されたはずだ」

「それにしては不自然で、だからこそお二人とも疑いは残しておられたのですね」


 そんな烑香の答えに、二人は無言を以て肯定した。

 だが、それは烑香の主張に納得したと同義ではなかった。


「……しかし鳥兜が原因だとするのならば、人に気付かれずに混ぜる機会はいつあったというの? それに有名な毒の症状に気付けないほど皇族付の医官の腕は悪くないはずでしょう」


 静かに麗藍が口にするが、静傑は顎に手を当てた。


「いや、ありえない話ではない。長年勤めてくれていた医官は兄上が亡くなるひと月前に体調を崩し城を去っている。後任は先代が指名した者とは別の者だ。……実力ではなく、政治的な動きがあった可能性がある」

「つまり能無しだった可能性もある、と」


 その烑香の言葉に「きっぱり言いすぎだ」と静傑は言ったが、否定はしない。静止されなかったことから、烑香は言葉を続けた。


「茶葉に鳥兜を混ぜ込む方法はいくつかあると思うのですが……。たとえば、瓶の発注を殿下が直接職人に依頼なさっているわけではございませんよね」

「そうだね」

「だとすると、誰かが余分に瓶を発注し、瓶ごと入れ替えることも可能でしょう。あの部屋に有った同型の瓶をいくつか拝見しましたが、一見しただけでは違いが判りませんでした。注目すれば、細工にほんのわずかな差もあるのですけれどね」


 豪傑の警戒心が高いのであれば、それも難しいことだろう。だが蓋を開けて茶葉を入れ替えるよりも、容器ごと入れ替えるほうが動作は少なく済む。

 ただしそのような作業をできる者はかなり限られてくるだろうが。


「いずれにしても簡単に侵入できないお部屋です。ですが、誰が容器を入れ替えたかと言う問題よりも、個人的に知りたい問題があります。……毒殺が成功したのであれば、普通こんなものを現場に残したままにしますか?」


 自分ならすぐに処分すると烑香は思う。

 いくら目立ちにくく、実際豪傑の死後からこれまで誰も気付くことはなかったとしても、けれど危険性を考えれば早期に回収しない理由はないはずだ。豪傑が生きていた頃に比べれば、とりかえる難易度も下がるだろう。


「絶対に見つからない自信があったのかもしれませんが……仮に静傑様が本当に茶会を行われたら死者が増えていたかもしれませんよ」


 何かがあると知って選んだ茶葉だ。だからこそ本気ではなく出任せだったことはわかるが、他人に振る舞えば何事もなく済むとは限らない。もっとも茶葉を直接食べるのではなく、かけた湯を呑むだけでどれほど毒が回るのか烑香も知りはしないのだが。

 いずれにせよ急死した豪傑の遺品が絡んだ上で体調不良者が現れれば、きっと呪いだという噂が再度広がったことだろう。

 そう考えたとき、烑香の頭に浮かんだのは茶葉の瓶を持った静傑を見た虎祐の心から嬉しそうにしていた顔だった。


「……ところで、宰相様は豪傑殿下のもとをよく尋ねられていたのですか」

「滅多にはなかったと思うよ。虎祐は後継者のもとには通うけど、それ以外は特にって感じだったから豪傑兄上は嫌っていたし、自分の部屋には来させなかったんじゃないかな。甄佳様が嫌っているのもその辺のこともあるし。別に俺はそういうところは気にしないけどね」

「理由をお聞きしても?」

「用件がなくて来られても面倒くさいし。……というか、今、まさに面倒だし。烑香の迎えだって俺が行くつもりだったのに突然来てさ」


 そう言う静傑の表情は単に訪問を面倒だと思っているだけではなかった。

 烑香が感じているように、なんとも言えない感情を持っているのかもしれない。


「……それで、虎祐に何か気になるところがあったの?」

「はい。この茶葉の話なのですが……。これ、宰相様が一見してお茶だと分かるものでしょうか?」


 静傑は豪傑から直接聞いたので知っていても不思議ではない。


(あの部屋には棒茶も保管されていたのに)


 通常であればそちらを茶だと思うことだろう。それに、茶葉意外にも乾燥した薬草も瓶詰で保管されていた。

 だからこそ、見慣れていないだろう中でどう判断したのか、烑香には分からなかった。

 なぜ、これを嬉しそうに茶葉だと言えたのだろう、と。


「……情報として豪傑兄上の飲む茶が一般的でないと知っておられるとは思う。宰相が茶葉に詳しい可能性も否定はできない。だが……言いたいことはわかった」


 少なくとも虎祐は身の回りのことを、たとえば茶の用意まで自分でする人ではないと静傑は呟いた。


「ところで……光傑殿下はどのような事故に遭われたのですか」

「崖からの転落だった。馬も、そして護衛も転落したらしい」

「らしい?」

「発見されたのが兄上が行方不明になってから二日後だった。衣服に争った形跡はなかったものの、そもそも痕跡が消されている可能性があった。あと……先ほど聞いての通り、この捜索指揮は豪傑兄上がとっておられた。だからこそ直後は怪しまれたが、本人がひどく狼狽えていたとことも伝わっている」


 その様子が偽りだと言われても仕方がない状況もあった。

 だからこそ、その後豪傑の周囲の視線が厳しくなっただろうことも想像できる。


「……捜索の編成に虎祐が関わっている可能性は高い。陛下の御命令であったため、相談相手がいるとすれば彼だろう」


 手掛かりとなるのか、ならないのか。

 もしも豪傑の死に、そして光傑の死に関わっているとするなら相当厄介な相手となる。

 

「……二人が真剣に考えているところ、悪いのだけれど。仮に二人のお兄様の殺害に関わっているのなら、次は貴方ですよ。静傑お兄様」


 麗藍の言葉に、静傑は肩を竦めた。


「だろうね」

「大丈夫なのですか?」

「大丈夫も何も、何かしてきたら躱して捕まえるしかないだろ。俊傑が狙われる前に、片付けなければいけない問題だ。……俺が皇子(この立場)であることに意味があるとすれば、このためなのだろうから」


 言葉の調子はいつも通りでも、本音で真剣だからこそ、皇族としての顔を見せる。

 麗藍は興味なさそうに「そう」と短く打ち切ったのも、その意思を尊重してなのだろうと烑香は思った。


「ところでお兄様。仰っている医官をねじ込んだのは宰相なのかしら?」

「虎祐ではないよ。でも、虎祐の派閥の者だね」

「……お兄様は本当によく調べているのね」


 それだけ調べていても、静傑はこれまで相手の尻尾を掴み切れていなかった。

 そんな中で少しの綻びが見え始めたのは、相手が驕っているからだろうか。それとも、静傑が見下されているからだろうか。


(静傑様が侮られているのであれば、今はそのほうが助かるけれど)


 何せ現段階においてはあくまで疑いがあるのみなのだから、まだまだ情報を漏らしてもらわなければ困る。もっとも、まだ怪しいだけで確定してはいないのだが。


「烑香、どうかした?」

「え? 特に何もございませんが?」

「そう?」


 しばらく黙っていたからだろう、静傑に尋ねられたものの、烑香は首を傾げて返答した。

 黙ってはいたが、特に口を挟むことがなかっただけで、自分が尋ねなければいけない場面ではなかったはずだ。

 ただ、そう尋ねられるほど難しい顔をしていたのかもしれないと烑香は思う。

 実際、今日はいろいろな情報が押し寄せている。

 しかしその中でもやはり一番衝撃が強かったのは、甄佳が口にした『お命が狙われるやもしれません』と言う言葉だ。


(これまで静傑様が直接命を狙われている可能性に言及していなかったのは、当然知っていると思っていたからよね)


 実際、彼に隠す気などない。仮に尋ねていれば素直に返答されただろう。

 それなのに意識していなかった自分は余程世間知らずなのだろうと烑香は思った。


(でもまあ、常識は静傑様や麗藍様にお任せしましょう。私の常識のなさなんて今更のことだし、すぐにどうこう出来る話じゃないもの。仮に常識がないからこそ見えるものがあるなら、私が見逃さない)


 いずれにしてもれることをやるだけだと思いながら、烑香はひとつ息を吐く。


「さて、静傑様。今必要なことは何かおわかりですか」

「え。作戦会議?」

「違います。食事です。腹が減っては戦は出来ぬという言葉をご存じないのですか?」


 今の時間は食事時ではない。 

 しかし色々と考えていると腹が減り、脳が甘味を欲している気がした。

 そして場にそぐわない発言であったにもかかわらず、麗藍が頷いた。


「では烑香、貴女がお茶の用意してきてくれるかしら。信用しているわ」

「あまり上手くはないですよ。まあ、安心はしてください。私もできるだけ美味しいものを飲みたいので頑張ります」


 そう言いながら、烑香は部屋を出た。

 想定よりもずっと面倒なことに巻き込まれている。

 自身がこのような場に、人の生死にかかわるような状況に深くかかわることになるとは思っていなかった。


(朧家(あの家)から離すだけであれば、麗藍様のもとではなく静傑様の侍女にしてくださってもよかった。そうならず、麗藍様の師を任されたのは万が一のことがあった際、私に危険が及ばないようにするためでもあったのよね)


 もちろん適性の話もあっただろう。けれど、それだけではなかったはずだ。

 だからこそ烑香も覚悟を決める。

 頭の中では母が昔に言っていた『中途半端な行動では何も手に入れることができず、また、守れない』という言葉が響いた。


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