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第四話 うつつの胡蝶(二)

「花街に行くのは二蝶を弾くため?」

「ええ、それもひとつ。あとは会いたい妓女もおりまして。ただ、静傑様をお連れする場所として不適格なら街中で解散、帰りに再集合という形にしようかと」

「そこは行先を変更するわけじゃないんだ」


 少し笑いながら言う静傑に、烑香は目を逸らした。


「あれ、どうかした?」

「いえ、ちょっと……。よくよく考えると静傑様をお連れするのは、違う意味でもまずいかとも思いまして。妓女を骨抜きにしないでくださいね?」

「そんなに見目麗しいって思ってるんだ?」

「実際美形じゃないですか」


 何を言っているんだと烑香が言うと、静傑は謙遜することなく「ありがとう」と笑った。

 今まで聞いたことはなかったが、やはり自覚はあったらしい。


「静傑様のそういう堂々としたところ、とても良いと思います」

「そう? ありがとう。でも、意外な繋がりだね。妓女には色んな知識を持っているし、ほかでは得られないような情報を得られることもあるけど……それなりに対価は必要だよね?」

「ええ、まぁ」


 烑香の知る範囲で妓女が情報を無料で提供するなんてことは起こりえない。知識は武器だ。高位の妓女は学問や芸術に秀でているだけでなく街の噂から国外での流行物まで、その人脈を生かして様々な情報を持っている。

 さすがに顧客の情報となると滅多なことでは開示されないが、それも条件次第ではどうにかなる。

 必要なのは対価と、妓女に絶対不利益を与えないと思わせる信頼度だ。


 とはいえ、今日は情報を求めて妓楼に向かうわけではない。

 烑香が欲しいのは楽器の練習場所と、高級な松脂だ。 


「本当にご一緒なさるんですね?」

「俺は烑香の付き添いという仕事中だよ。一緒に行くって」

「以前も仰っていましたけど、街中はそこまで危なくないでしょう」

「烑香は自分の一族に……というか、正妻と異母妹に羨まれてるというか、恨まれてない? 出会い頭に刺されない自信がある?」

「ああ……やりかねないかもしれませんね」


 ただ、それは忘れていたというよりも起こりえないので可能性として考えていなかっただけだ。もともとあの二人は出歩くほうではないので遭遇するとは思わない。ましてや花街など絶対に来ないだろう。


「まあ、そこまでの悪意をぶつけられるのは俺のせいだし。だから待つくらいで気にしないで欲しい」

「でも、どうせあの方々は私の顔なんてろくに覚えてないですよ。髪色だけで判断してるでしょうし」

「………」

「どうかしました?」


 別に覚えてもらいたいわけではないし、むしろ今は覚えられていないほうが都合がよいだろう。だから自嘲したつもりはないのだが、黙りこくった静傑を見て烑香は首を傾げた。もしかして深刻なものだと誤解されたのだろうか?


「……いや、なんだかんだ聞いてはいるけど、未だその髪を見たことないなと思って」

「え、見たいんですか?」

「なんでそんなに驚くの?」

「今まで一度も仰ったことはないでしょう? あと、ずいぶん物好きだなと思いまして」

「自分の髪にそんな言い方をするのか?」

「私は好きですけど、この国で好まれないのは事実でしょう」


 それに対しては今更気にしもしないのだが、まだ静傑は何かを言いたそうにしている気もする。


「烑香が好いている髪なら綺麗なんでしょ。見てみたいと思うのは悪いか?」

「……」

「なんだよ」

「いや、本当に物好きだなと思って」

「ちゃんと理由を言っても結局そこに落ち着くんだ」


 しかめっ面の静傑に、烑香は苦笑した。

 出会った時は今のように少し幼い振舞をするとは思っていなかった。


(最初はむしろ冷静で大人びた雰囲気もあった……かな、一瞬だけ)


 見破ったあとは今と大差ない態度であったような気はするが、今ほど素直な反応をしているような気がした。だいぶ気が許されているのだろう。


(でも、もしこの態度が素であるのなら街中で尊き血を引く者だと勘付かれることもまずないでしょうね)


 そして、それが出来ない現状は彼にとってしんどいのだろうなと思う。

 そう考えていると、話が止まってしまっていた。


「ごめんなさい、揶揄ったわけじゃなくて。本当に珍しいなって思ったんです」

「それ、褒められた気がしないんだけど?」

「まあ、褒めてはいないです。でも、別に見せたくないわけじゃないですよ。人前でなければ、鬘を取ることはありますし。麗藍様にもつけなくても構わないとは言われているけど、やっぱり周囲に不快に思われたら仕事もしにくくなるから外さないだけです」


 麗藍は大丈夫だと言っているし、表面上は周囲の侍女たちも普通に接してくれるだろうことはわかっている。それでも実際に見て負の感情を抱かれる可能性は否定できない。姿を見ていないからこそできる対応があることは、烑香も知っている。


「失礼なことを聞くけど、この国の生まれでなければと思ったことはある? せっかくの髪を隠さず過ごせる国だったら、と」


 まず唐突だな、と烑香は思った。静傑がわざわざ気分を害する可能性のある質問をするとも思ってはいなかった。

 ただ、その質問は気遣い故に生まれたのだろう。

 早く国外に向かわせる方法がないか、静傑なら調べるだろうと烑香は思う。


「私、過去の出来事に対したらればで考えることは好きではないんです。それに受けた嫌がらせが母との楽しい思い出を上回ったことはありません。父も頼り甲斐があるとは言えませんが、優しいですよ。当主であることが、気の毒だと思うほどに」

「……そっか」

「まあ、先ほどの髪を見たいと仰った静傑様の発言も面白かったですし、この国に生まれたこと自体に悪い気はしていないですよ」


 なにより自由に音楽に浸れているのも今の状況があってこそ、だ。これは一般的な令嬢の立場であれば得られなかったかもしれない。

 銀髪が好きであっても見せびらかせたいわけではない。自分が見られれば充分だ。見せてほしいと言われれば断る理由もないのだが。


「……素直に嬉しいって言ってくれた方が嬉しいんだけど」

「え? うーん、そうですねぇ……。嬉しい、までの感情なんですかね……?」

「え、その程度の気持ち……?」

「あはは」

「驚くほど下手な誤魔化し方だね」


 そもそも話す気がないだけで、誤魔化す気はない。

 ただ同情でも打算でもない他人からの好意などあまりに久しく、自身の感情としてはよく理解できていないというのが実情だ。


「ああ、そろそろ目的地ですよ」

「……本当に妓楼に用があるんだね」

「まあ、繋がりがありそうには見えませんよね。でも、嘘じゃないとは思っていたでしょう?」


 看板に書かれた嫣紅館という名称をこの花街で知らない者はいないだろう。

 頂点争いをする妓楼にどういう伝手で何の目的でやってくるのか静傑は尋ねたいだろうが、店先で聞くわけにもいかないようだ。

 その状況をいいことに烑香は早速店に入った。

 すると偶然その場にいたらしい妓女が烑香の顔を見てニコリとほほ笑んだ。


「あら、蝶じゃない。久しぶりね」

「ええ、お久しぶり。(ばあ)はいる?」

「いるけど、なに、男連れ? 客?」

「ううん。とりあえず今日は護衛をしてくれている人かな」

「なにそれ、面白い。でもいい男そうだから私のお客に欲しいわぁ」


 ぷっと噴き出す妓女に静傑は何とも言えない表情を浮かべていた。

 もともとこういう場は縁遠い人なのだろう。


「ねぇ、いつもの離れを借りても大丈夫そう? あと、朱瑾姐さんにお時間があるようならお会いしたいと伝えてほしいんだけど。あ、貴女にもお土産をあげる」

「もう、急に来たって暇をしている人じゃないって知ってるだろうに。まあ、さすがに甘味をもらったら尋ねないわけにはいかないし、朱瑾姐さんが蝶のいうことを無下にするとは思わないけどね」

「ありがと。では、行きましょう」


 烑香は話を切り上げ、静傑のほうを向いた。


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