第三話 呪符と利用法(四)
そして翌日、白鸞は碧羽を呼び出した。
その場には烑香も同行することになった。
初めて見た碧羽は目を伏せ、白鸞に深々と礼をした。
「この度は、申し出を受け入れていただいたこと心より感謝いたします」
その所作は美しく、言葉も揺らぎがない。
ただ、心からの言葉ではないと烑香の耳は把握した。
少なくとも彼女は感謝などしていない。そこだけは嘘だと言い切れる。
白鸞も気付いてはいるだろうが、碧羽と同様に感情と表情は区別していた。
「こちらこそ、遅くなり申し訳ございません。本日はよろしくお願いいたします」
「とんでもございません。では、早速お願いできますでしょうか」
「もちろんでございます。もう、皆さまにもお待ちいただいておりますので」
「……皆様?」
一瞬戸惑った碧羽に白鸞は変わらず笑みを浮かべ、「まずはこちらへ」と光傑の執務室へ案内した。
すると、そこには女官と宦官が五名ずつ整列している。
「どういう状況でしょうか、白鸞様」
「私も本当はもっと早く碧羽様の申し出を受けさせていただきたかったのです。ですが、実は夢枕に光傑様がお出ましになることが気掛かりで、どうしても遅くなってしまいました」
「夢に……?」
「ええ。光傑殿下が苦しみを訴えてでおられるのです。何が原因なのか、長くかかりましたが……先日、この部屋に苦しみの原因がある、と。お伝えくださいました」
碧羽は戸惑いを隠さないまま、目を見開いた。
「碧羽様をお誘いすることは迷いました。ですが、光傑様が安らかに眠ってくださるようお祈りにいらしてくださるお方。原因を探るご協力をお願いしたいのです」
「そのようなご事情が……。もちろん、事実を明らかにするためにご協力させていただきます」
その言葉に烑香は少し以外だと思った。
もちろん、とは本心ではない。だが、嫌がっているというよりは白鸞に使われることに対する抵抗感であるような気がした。真実を求めるために協力したいという気持ち自体は本心だ。
(でも、予想以上に戸惑っている)
碧羽(この人)も何か騙されている……? そう思いながら、烑香は白鸞の側に控え続けた。
そして間もなく室内の調査が開始された。
塵一つ見落とさないよう白鸞が指示したこともあり、女官も宦官も緊張しながらもくまなく室内を調べることができていた。
そのため呪符が見つかるまでには半刻も必要としなかった。
ざわつく周囲が聞こえていないかのように白鸞は呪符に近付き、小さく声をこぼした。
「殿下は、何者かに呪われていたというのですか……?」
膝から崩れ落ち、涙を堪え、震える声を押さえる白鸞を疑う者はその場にいなかった。恐ろしく的確な演技だと、烑香は思った。
だが、その空気に碧羽は飲まれていなかった。
「……白鸞様は、本当にご存じなかったのですか」
「知るわけがないでしょう⁉ 知っていればこのようなものをこの場に貼る不敬な輩を野放しにするわけがないッ」
その言葉に碧羽は何も返さなかった。
ただ、難しい表情を浮かべている。傍から見れば白鸞を疑っているわけではなく、状況を整理しようとしているように見える。
そんな中で烑香は口を挟んだ。
「……申し訳ございませんが、皆様はご退出願えますか。白鸞様は混乱なさっています。……そして、もしよろしければ碧羽様は残っていただけませんでしょうか」
「私が……?」
烑香の言葉に碧羽は戸惑っていた。
なぜ残るべきなのか、と短い言葉に気持ちが込められていたが、さほど間を開けず彼女は頷いた。
(よかった)
彼女が何を理由に頷いてくれたのか、烑香にはわからない。
けれど必要だから呼んだとはいえ、外野がいては話が進まない。
烑香の視線で、女官と宦官は退出した。
聞き耳を立てられるかと思ったが、意外にも彼女らはそのまま遠くまで去って行った。
利のない面倒事に巻き込まれたくはないのだろう。
だが、これで多少は声を抑えずとも、やり取りができるようになった。
烑香がそんなことを考えながら「白鸞様」と短く名を呼ぶと、白鸞は頷き、碧羽と正面から向き合った。
「……碧羽様、この度は巻き込みましたこと、心より謝罪申し上げます」
「それは……気にしないでいただけたらと思います。それよりも、御加減は大丈夫なのですか? 無理をなさらないでください。そして……本当に呪符に心当たりはないのですか。そもそもこのような危険なものを放置なさるなんて、管理はどうなっているのですか」
「どうしてお疑いになられるのです。光傑様を失うということが、私にとってどのようなことかお分かりでないのですか。貴女も、豪傑様を……」
「貴女と同列にしないで。貴女に何がわかるというの」
周囲の目が減ったせいか、白鸞と碧羽は徐々に感情の制御が困難になってきたらしい。
もとより対立関係にあった皇子同士の妃だ。二人が亡くなった後も互いに良い感情があるわけもない。
(おまけに今は互いが相手の言葉をすべて嘘だと思っている)
かといって再度口を挟むことも憚られる。
肩書上、今の自分の言葉に圧や重みがなく通用しない可能性があることは理解している。
烑香がそう考える間にも、二人の言葉は激しさを増していく。
「だいたい私は貴女が光傑様を呪い殺したと、その証拠がここにあると知らされ、ここに来た!」
「どういうことですか」
「文が届いたのです。……信じられないことをしでかす、不届き者の所業が綴られた文が。さすがに皇族にかかわる密告に記名はなかったけれど、それほど重大なこと、嘘であれば打ち首は免れない。嘘を伝えるはずがない。やはり信じて間違いではなかった……!」
碧羽はもはや言葉を飾ることもしなくなった。
だが碧羽、驚くべきはその内容だ。白鸞は眉を寄せた。
「その文に私が光傑様を呪い殺したとくだらない妄言が……?」
「妄言? 静傑と貴女が良好な関係であることは事実でしょう。もしかしたら、豪傑様をも呪ったのではないか、と疑いもした。……豪傑様が、いつも光傑様を呪いたいと口にされ、ぎりぎり踏みとどまられていたことを思うと、許せなかった」
豪傑の人柄は知らなかったが、その言葉だけで苛烈な人間だったんだろうとは想像ができる。そしてそれは、静傑が尊敬する人物像とは逆であるようにも感じられる。
だからこそ、静傑も碧羽から余計に敵視されているのかもしれない。
「私と静傑様とは、ご想像の関係にありません。前提として、後ろ盾のないあの方がどういう立場なのか、貴女もご存じでしょう。私は我が子を危険に晒すなど絶対にしない」
「でも、貴女の子は女でしょう」
「子に性別が関係あると? あの子は光傑様と同じ眼の光を持った、大切な子よ」
「お二方とも、まずは落ち着いてくださいませ」
迷っている間に状況がどんどん変化する、そう思った烑香は意を決して口を開いた。口を挟めるほど詳しく何かがわかったわけではないが、これ以上黙っているほうが状況の悪化を招くことはわかる。
「互いの言い分が異なる今の状況が続くと、文の差出人の思惑通りになりかねません。まずは、一度冷静になってくださいませ」
「侍女風情が何を言うの」
「碧羽様から見れば、私は白鸞様の味方でしょう。ですが、私は碧羽様が本心を仰っていることもわかります。ですから、何らかの誤解が互いにあるのではないかと思うのです」
そう言った烑香に、白鸞が目を細めた。
「烑香、何を言っているの」
咎めるような声色に、そりゃそうなるよな、と烑香は内心冷や汗をかいた。
碧羽の肩を持つこと思われても仕方がない。何せ、今の白鸞も冷静ではない。
「私は自身の安全を第一に考えております。だから申し上げるのです。お一方だけの言い分を本当だと信じるのみでは今回の件は片付かず、お二人だけではなく私も巻き込まれかねない状況だと思っております」




