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第三話 呪符と利用法(一)

 石榴は後宮の秩序を乱した罰として後宮から追放された。

 追放理由は皇族に関する虚偽の情報を流したためと隠さず公表された。宮女に扮していたことは伏せられていたが、処分前に現場を見ていた者たちが噂を流したためそのときの状況は広く伝わった。そして、その過程で噂に尾ひれが付いていく。

 それは『皇女のもとにいる『銀の妖』が呪いで石榴妃を追い出した』というものだった。

 その噂はまるで真実かのごとく独り歩きし、いよいよ『妃が銀の妖の噂をしたために呪詛を受けた』と書き換えられそうになったとき、間もなく消えた。

 何が起きたのだと烑香が耳を澄ませていると『皇女様の名を出すと皇族の噂とされて処分される』という内容が聞こえてきた。

 だいたい、それが石榴追放から一か月後の出来事だった。


 そしてその頃になって、麗藍が噂について口にした。


「まったく、呪詛などという不確かなものを使うより権力を振りかざすほうが確実だというのに」

「麗藍様が仰ると冗談とは言えませんね」


 琵琶の稽古後、楽器を片付けながら何てことのないように麗藍は言ったが、おそらく皇族の噂云々は噂を上書きしたのが麗藍だろうことは想像できた。

 それは難しいことではなかっただろう。

 皇女の侍女がそう伝えれば、それ以上噂ができる者などいない。

 噂をしていた者たちは自身が関わっていたという不都合な事実を隠すために、嘘を織り交ぜ新たな噂を流し始める。やがて烑香の噂が消えたころには『石榴妃は呪詛を行い皇女を害そうとした』という、本来の出来事とは全く関係ない話が出来上がっていた。


「ところで烑香、貴女に褒美の話があるのだけれど」

「私はすでに琵琶をいただいていますが」

「私からではないわ。陛下からよ。後宮の平穏維持に尽力した恩賞とのことよ」


 何の冗談か、と烑香は顔を引き攣らせた。

 権力者からの謝礼などやっかみを買うだけで有難迷惑この上ない。

 せっかく余計な噂が消えたというのに、再び着火するようなことは避けたいのだが、ここで断ってよい……いや、断れるものなのか烑香にはわからない。


「……麗藍様、失礼を承知でお尋ねします。辞退を申し出ることは陛下の面子を潰すことになりますか」

「謙虚な姿勢だとは思うけれど、不興を買う可能性は否定できないわ」


 淡々とした返答を受け、烑香は思わず額に手を当てた。

 麗藍はそれでも苦言は呈さなかったが、代わりに烑香に衝撃を与えた。


「今日の午の刻、謁見の間に行くわよ」

「本日ですか……!?」

「ええ。稽古前に宰相からの文が届いたの」


 なるほど、稽古に支障がでないように後で伝えてくださったのか……などと烑香に思う暇はなかった。すでに呼び出されている時間まで半刻を切っている。


「烑香に物欲がないことはなんとなく理解できているわ。希望を聞かれるだろうけれど、何もないならお任せするのも一つの手よ」

「かしこまりました」


 一応同意は示すものの、実際にその通りにするつもりなどない。

 相手に任せて想像以上のものをもらってしまったとき、周囲から……麗藍の侍女からどう思われるのか想像ができない。


(そもそも今回の件で私が功労者のようになっているのは、麗藍様が私を試されたからというだけの話。自分で調べ始めた話ではないわ)


 その目的がなければ今回の功労者に自分の名前が出てくることはなかったはずだ。

 しばらく世話になる場所で同僚とうまくやるには、羨ましがられるような褒美は手にするべきではない。


(いやもしかしたら私と同じように面倒だと思って同情してくれる可能性もあるかもしれないけれど……まだそこまで仲良くないから、聞けないし)


 刻々と近づいてくる時間を前に烑香は頭を悩ませながら烑香は謁見の間へ向かった。謁見の作法ももちろん知らないのだが、幸いにも謁見は麗藍が先導するということなので安心した。


「時間通りですね、麗藍殿下。そして、お久しぶりです朧烑香殿」


 謁見の間の前で待っていたのは、宰相の虎祐だった。

 屋敷まで迎えに来てもらって以来だと烑香は思ったが、皇帝の側で働いている人間が雑用ともいえる迎えをこなしたという事実に、改めてなんとも言えない気持ちになった。


「どうぞ、こちらへ」


 そして麗藍とともに烑香は謁見に挑んだ。

 謁見の間では皇帝の側に立った虎祐から形式的に名を呼ばれ、その後皇帝から直接顔を上げることを許可さる。

 そこで初めて目にした皇帝からの視線は、歓迎とは程遠いものであるように感じられた。


(……まだ私が発言していない状況で?)


 口を開くことが許可されていない状況だ。一見しただけで不快になるような態度はとっていないはずである以上、理由があるとすればここに来る以前の問題が原因だろう。

 皇帝が持つ威圧感は無言であっても重く感じる。

 ただ、烑香とてだてに人に疎まれて生きてきたわけじゃない。声が聞こえなくとも、わかることだってある。


(疑念? それとも、警戒? もしかして、褒美を口実に私を見極めるために呼び出した?)


 そう考えれば心当たりがないわけではない。

 後宮の問題の解決に貢献したといえばそうかもしれない、そのことをきっかけに調子に乗る者ならば新たな問題を生み出しかねない。しかも皇女付きであるうえ、すでに伝わっているか否かはわからないが皇子が妻にしようとしている者である。

 権力争いに関与しようとしているように見えても仕方がなく、それを煩わしく思われても仕方がない。

 しかし権力争いに絡もうとしていると誤解されているのであれば、かえって褒美の選択は簡単になった。


「褒美を与える。求めるものを述べよ」


 抑揚のない平坦な声に、烑香は覚悟を決めた。


「恐れながら、ニシキヘビの皮を頂戴したいと思います。できるだけ鱗の揃ったものを求めます」

「……蛇皮だと?」


 蛇皮は手に入りにくいものといえば、手に入りにくいものだ。

 ただ皇帝からの褒美として希望するには、いささか物足りないものだろう。皇帝の持つ力を甘く見ているのかと思われても不思議ではない。


「理由を述べよ」

「恐れ多くも、私は皇女殿下に器楽の師としてお迎え頂きました。ですので音楽の道を究めることは殿下のためになると信じております。そして……そのためには新たな楽器を作ることも必要かと考えております」

「その材料にする、と」

「はい。可能な限り、よりこの国の素晴らしさを世に知らしめることができる音色を出す楽器を完成させたく存じます。私には音楽しかございませんゆえ」


 そう言い切った烑香は皇帝の反応を待った。

 皇帝相手に嘘が通用するとは思わないし、誤魔化すにしても矛盾を生じさせるわけにもいかない。嘘ではない言葉だけを並べ、烑香は視線をやや伏せる。

 やけに無音が長い気がするが、実際にはそれほど時間が経過していないのは自分の心音で把握できる。


「……承知した。見事な蛇皮を授けよう」


 その声からは先ほどまでの冷たさが緩和されたように感じられた。

 まだ疑念は消えていない。さすがに完全に信用されるわけはないだろう。

 けれど烑香にとってはそれで充分だった。信用まで欲しているわけではない。


「しかし蛇皮のみであれば物足りない。ほかに希望するものがあれば申せ。楽器に関するものでも構わない」

「もったいないお言葉、恐悦至極に存じます。しかしあまり労せず手に入れるばかりであれば、素材のありがたみを忘れかねず、良いものを完成させられない恐れがございます」

「褒美を与えすぎないことが褒美だと申すのか」

「恐れながら」

「承知した。下がるがよい」


 そう皇帝が口にした瞬間、烑香はやっと肩から荷が下りた気がした。

 麗藍に視線で促され、烑香は無事なんらかの失態を犯すことなく謁見の間から出ることができた。

 そして玻璃宮に戻った後、麗藍にねぎらわれた。


「よく陛下の前で気後れしなかったわね」

「それどころじゃなかったというのが正解ですね。でも、排除されずに済みそうで良かったです」

「あら、やっぱり気付けていたのね。あまりにも自然だったから、天然の発言かとも思ったわ」

「……そろそろ事前にいろいろと教えてくださっても良いのですよ?」


 やっぱり麗藍は知っていたのかと烑香が息を吐くと、彼女は首を傾げた。


「なぜ? あなたは失敗しないでしょう。実際に理解していたし」

「心の準備というものがございます」

「そう。気を付けるわ」


 烑香の言葉は一応受け入れられたようだが、麗藍はよくわかっていないようにも感じられた。


「麗藍様、もうひとつお願いしたいのですが」

「何かしら」

「あのように私を試された理由を麗藍様はどのようにお考えか、教えていただいても構いませんでしょうか」

「わかっているから、あのように対応したのではないの?」

「予想はしております。ですが思い返すと不思議なのです。表情に苦しげなものが混じっていた気も致しました」


 皇子や皇女に近付く者を見極めるため。

 問題ある妃の元に通っていたという恥を曝け出されたため。

 それらが複合的な要素が絡み合って不快感を生じさせているのだろうが、何か他のこともあったのではないかと思う。


「苦しげ? 陛下はいつもあのような雰囲気よ」


 考えすぎだと麗藍に返答され、烑香は肩透かしを食らった気分になった。

 気のせいであれば、それでいい。むしろそのほうがいい。ある程度の自信はあるが、耳とは違い確信はない。距離もあったし見間違いかもしれない。


(麗藍様が仰るのだもの、気にしすぎたのね)


 しかし気にしすぎるほど緊張しても仕方がない場面であった。願わくば、二度とあのような場には出たくないものである。


「でも、これから貴女は大変よ。良くも悪くも、より目立つことになったもの」

「どういうことでしょうか」

「まだ私にもわからないけれど、たぶん何かが起きるわ」


 その麗藍の言葉に烑香は気のせいであってほしいと願った。

 だがその祈りは虚しく、四日後、烑香にはニシキヘビの皮と共に慰霊祭に参加せよという勅命が届いた。


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