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第一話 出会いと鎮魂歌(二)

 烽霜から話を聞いてから十日。

 烑香は見合いのため相手の屋敷に向かう支度をしていた。


(……さて、御断りいただくために頑張らないと。お父様には本当に迷惑をかけているけれど、結婚は絶対にごめんだわ)


 烽霜とともに馬車に乗り込むと、さっそく烑香は鬘の調整を行った。

 家の中でも出来ないわけではなかったが、今日はさすがに異母妹の邪魔が入ると面倒になる。

 実際見合いのことは異母妹にも知られていたようで、普段は来ないにもかかわらず、乗り込まれてしまっている。


「そのお姿で人前に? お姉様の無駄足になることよりも、相手がお可哀そう」


 愉快そうに言う彼女はずいぶんな性格だと思う。

 相手のことも憐れんでいるようで、実際のところ烑香が罵倒されることを楽しみにしているのだろう。

 そして仮に鬘を整えていたのならきっと乱されたことだろう。そう思うと、余計な手間を省いた自分を賞賛したい。

 もっとも大した反応をしなかったことで異母妹は気を害したようだったが、彼女を見ながら烑香は烑香で同情していた。


(この子はせっかく可愛らしい容姿なのに、あの様子じゃ生き辛いでしょうね)


 散々貶されてはいるが、烑香自身は自分の髪を好いている。

 面倒ごとを回避するため鬘を被ることに抵抗はない。しかしその前提がなければ、銀の髪で歩くことに抵抗はない。人にどう見られようが、好きなものは好きだと言えるし、自慢の髪だとも思う。ただ、面倒事が嫌いなだけで。だから異母妹の言うことなど気にならない。


 しかし異母妹はどうだろう。きっと自身に満足しているのなら絡んでくることはないだろうと思わずにはいられない。


 そんな姉妹関係を烽霜も気にしていないわけではない。

 時折仲裁に入ろうとしているのを烑香も知ってはいる。だが口出し程度で解決するのあれば、

もともと異母妹も烑香に絡んではいなかっただろう。

 それに烽霜は異母妹や本妻にも甘い。その背景には烑香に対するものと似たような、後ろめたさあるように思う。本妻とその娘いう立場であるのに、心からそう思えないということに対する、後ろめたさが。


 どちらにしても今更分かり合える気もしないので気にしなければいいのにと思いながら、鬘を整え終えた烑香は烽霜を見た。

 今の烽霜の顔色は明らかに悪かった。


「……お父様、大丈夫ですか?」

「あ、ああ。ちょっと緊張しているがね」

「見合いをするのは私なのですが」

「そうなんだけどね、緊張するものは緊張するんだ」

「そんなものなのですか?」


 確かにこれまで縁談から遠いところにいた娘を連れているのだから、多少気は張ることだろう。しかしそれだけにしては、少々落着きがなさ過ぎる。


(そんなに緊張する相手なの?)


 烑香は今日の相手の詳細を未だに知らない。

 知ったところで烑香が何かできるとは思わなかったし、烽霜も言いたがらなかった。相手から口留めされているのかもしれないが、烑香としては異母妹や正妻に聞かれたくないと思ったのかもしれないと考えていた。何せ、烽霜が断れない家格である。

 朧家より格上の家なんて多くはない。傾きかけていると思うが、それでも名家なのだ。だから異母妹が不機嫌になりかねない。

 そう思ったとき、烽霜が「もう着くよ」とやや震えた声で言った。

 烑香は辺りの景色を見て、思わず息を呑んだ。


(え、嘘でしょ……ここ、漣家のお屋敷じゃない)

 

 貴族社会に疎い自身でも知っている名家に、烑香は驚きを隠せなかった。

 科挙が盛んになり旧貴族の没落も多くなった現在でも、未だ本家の子弟は皆十代で及第しているという精鋭揃いの一族、漣家。国で三本の指に入る名家である。

 確かに漣家には分家を含め子息が多くいたように思うが、その家名を冠する限り、わざわざ奇特な娘に声を掛ける必要はないはずだ。


(もしかして今日のお相手って……よほど気難しい殿方なのかしら)


 一瞬烑香はそう考えたが、それ以上深く考えることはしなかった。顔すら見ていない人物のことを想像したところで正解など浮かばない。

 ただ、本当に難がある相手であれば、今回の誘いの意味も理解できる。


(私に話が回ってくる前に、ほかの令嬢との縁談がまとまらなかった、ということよね。ほかの令嬢でまとまらなかったものを、私でまとまるわけがない)


 わざわざ難のある相手を選ばなくてよい中で銀髪の娘に声をかける理由があるとしたら、もうほかに相手が見つからないというものくらいだろう。

 だが、多くの令嬢を袖にした男が烑香で満足するとは思えなかった。


(まあ、可能性だけだけれど。合っていればいいのにな)


 しかし何が理由であれ破談の可能性が少し高くなった気がし、幾分か気が楽になった。


 間もなく漣家の屋敷到着すると、そのまま応接室に通された。

 そしてあまり時間をおかず青年が、その当主らしき男を伴って現れた。

 青年の年の頃は烑香と同じか、少し上と言ったところだろうか。


(ずいぶん整った、優しい御顔立ちだこと)


 やや垂れ気味な目が柔らかい雰囲気を醸し出している。

 だがただの男前であれば尚のことこの見合いは生じていないと改めて思った。家柄がよい上に顔が良ければ、掃いて捨てるほど縁談もあったはずだ。

 ならばやはり性格に問題があるのかと烑香が疑問を浮かべていると、青年と目が合った。

 烑香は礼儀として姿勢を正してから頭を下げた。

 そして一拍遅れてから烽霜も同様の行動をとり、口を開いた。


「本日はお招きいただきありがとうございます、漣真殿」

「いや、こちらが無理を言ったんだ。訪問いただいたこと、感謝する。朧烽霜殿、そしてご息女殿。ようこそおいでくださった。今日の出会いが良い未来を結ぶことになれば良いのだが」


 そう言った漣真は隣にいた青年に挨拶を促す。


「漣幻と申します。朧烽霜殿、烑香殿。ようこそお越しくださいました」


 その声を聴いた烑香は驚き、同時に今まで抱いた疑問がある程度解けた気がした。

 どこまでも自然な笑みに、流れるような歓迎の挨拶だった。

 だが、烑香は違和感に気が付いた。


(なるほど、この人は替え玉なのね)


 呆れてもいるし、驚いてもいる。

 当然相手は気付かれているなど思っていないだろう。

 まだ彼は挨拶を終えたばかりで、表情だけ見れば偽物であるなどと悟らせないだろうと烑香も思えるのだから。


(私もお名前を語っていただかなければ、気付けなかった)


 烑香には母譲りの敏感な耳がある。

 普通は聞こえないだろう遠くの音だったり小さい音だったりするものが耳に届くのだ。加えて、音を聞き分けるのも得意だった。そのため、直感的に嘘を聞き分ける力も持っている。


 嘘だと判断したうえで目の動きだとか、仕草だとか、なんらかの理由を探すことはできるが、に音で判断した内容が誤りだったことはない。

 ただし他人に説明できるような断定できる根拠はなく、虚偽だと言われれば反論できない。故にこの能力は最初に母に話したきりで、父にも話したことはない。


(しかし替え玉ねぇ。本人が現れないんじゃ、あちらも破談にせざるを得ないよね)


 次は本人が現れるかもしれないと期待し見合いを組んで、けれど現れないということが続いているのだろうか。だとすれば声を掛ける先が減るのも仕方がなく、烑香に声を掛けることになった経緯も理解できないわけではない。変わり者には変わり者を。そう言われれば烑香も反論出来ない話だ。もっとも、そんな状況でも相手が現れなければ意味がないのだが。

 烑香は目の前の漣家の二人に同情した。


(成立させてはいけない見合いをやるなんて、大変ね……)


 烑香は自分が望む不成立が現実的になるので、相手が現れないことに対する怒りは一切ない。むしろ喜ばしい状況だ。だが漣家としては呼び出しておいて当該本人がいないなど、相手に言えるわけもない。だからこその替え玉なのだろうが、本意ではないはずだ。

 ならば、とても気の毒だとしか思えない。


(しかしこの偽物さん、相当度胸がある人ね)


 この状況で緊張することなく、相手に一切の違和感を与えないことには驚きだ。

 名前以外に声の揺らぎがない。果たしてこの世に彼と同じことをできる人間がどれほどいるだろうか?


(まぁ、いずれにしても今日限りのお相手ね)


 烑香が状況に安堵しはじめた中、漣真がおもむろに烽霜を見た。


「私たちがここにいても盛り上がりの邪魔になるだけだろう。烽霜殿は剣に興味はありませんかな。実はかなり収集しているので、よければ見て行ってほしいのだが」

「で、では是非……!」


 現れてから間もないのに一瞬で去ろうとしている漣真に烑香は驚いたが、ぼろを出さないためには妥当な判断なのだろう。烑香としても居て欲しいわけではないし、烽霜をややこしい話に巻き込むのは気が引けるので、一緒に退出してもらえるならむしろ助かる。


 やがて二人の足音が遠ざかり、目の前の男と自分以外の呼吸だけが残った中、烑香は先手必勝と思いながら口を開いた。


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