表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/38

第二話 不誠実者の巣窟(十)


「急に開けなくてもいいだろ。勢いが良すぎる」

「せっかく手間を省いて差し上げようとしたのに挨拶より先に文句を仰るなんて」

「いや、絶対驚かそうとしてただろ。今の顔がそう言っているぞ」


 静傑の反論には返答せず、烑香は「どうぞ」と右手で入室を勧めた。


「今日は何の御用事で菊水さんのところに?」

「ああ、結構いい掘り出し物を持ってるみたいだったから見せてもらいに。これとか」

「なんですか、これ?」

「葡萄酒。西国のものが今、役人の間で少し流行っているんだよ」

「つまり買収用に購入していると」

「その言い方は酷くないか? それに、俺も飲んでみるつもりなんだけど」


 静傑は文句は言うものの、烑香の指摘自体は間違っていないのだろう。否定はしなかった。


「政治ってお金かかるんですね」

「嫌になるよな、本当に。ここで安くていいのを買えるのは助かる」


 そう言いながら、静傑は机の上に瓶を二本置き、椅子に腰を下ろした。


「まあ、でも今日はここに烑香もいるだろうなって思ってたよ。休みを与えられるだろとは思っていたから」

「そしてその間に諸々処理がある、と」

「まあ、そういうこと。楽器を触る時間なんてないだろうから、師が離れていても問題ないだろうし。でも、出かけるなら誘ってくれたらいいのに。一人で出歩くのは危ないだろう?」

「危なくはないですし、貴方様もお忙しいのでしょう。噂を立てられた当人ではありませんか」

「俺は捕まえた現場にいなかったし。今回は麗藍の仕事だよ」


 静傑が浮かべている表情は、忙しいだろう麗藍に対する同情だろうか。それとも、自分に置き換えて嫌だなと思っているのだろうか。


「で、まぁ、麗藍のことだ。ちゃんと説明しないと思うから俺から話をしておこうかと思って。もうあらかた話はついたっぽいし」

「良いのですか?」

「ああ。あいつも面倒くさがって話さないだけで、話しちゃいけないということじゃないし」


 てっきりあの態度は『察せ』と言っていると思っていたのに、そのように言われ思わず肩の力が抜けた。


「とりあえず、石榴妃の動機からだけど。まあ、人魂事件に便乗し、俺を追い出して陛下が妃の誰かと子を成さなければならない状況を作りたかったとのことだよ。俺がいなくなったら皇子はあと一人しかいないし、既に四人も亡くなっているという状況だったら、焦るよね」

「では、なぜ麗藍様が巻き込まれることに?」

「あー……。一緒に俺を悪者に仕立て上げて責めたかったみたい。烑香が朧家出身で、俺が手引きしたことに気付いてたでしょ。演奏の腕前は確かでも、あまりに面倒な人物を連れてきて……って思わせたかったみたい。もともとそんなに仲が良いようには見えてないはずだし」

「そういうことなのですね」

「怒らないの? 失礼極まりないでしょ、俺は烑香がそう思われるの腹立たしく思うけど」


 そう静傑が言うので、烑香は苦笑した。


「静傑様は怒って良いと思いますよ。でも、私は何かされたわけではありませんので気にするだけ無駄です。それに、怒ってくださる方が居れば、私が怒らずとも良いかなと」

「そういうものか?」

「ええ、私にとっては。……ところで、今更ながら高貴な方々に関する重要なお話のようですが、私が聞いてもよい話なのでしょうか」


 正直、今の話はだいたい想像ができていた。

 しかし単なる予想と確定情報は違う。そして、この話はここで終わりではない。

 きっと面倒な話が続くだろう、そう思い一旦止めようとしたが、静傑はにやりと笑った。


「奥方殿は聞けないと?」

「あの、そういう言い方します?」

「するよ。俺だって愚痴りたい」


 これだけのことを起こされておいて愚痴程度でよいのかと思うが、そう言われてしまえば反対できるわけもない。

 そして烑香が何か言葉を見つける前に、静傑は口を開いた。


「一時の気まぐれでも陛下のお手付きがあった彼女だからこそ、再度の機会を狙っていたんだよ。このまま後宮に閉じ込められているのはごめんだ、と」

「……」

「まあ、気持ちはわからないでもない。実行するのはどうかと思うけど」


 閉じ込められる、という表現は決して大げさなものではない。そのまま朽ちていくくらいなら、と彼女は覚悟を決めたのだろう。理由が異なるとはいえ新たな身分を欲している静傑は、その気持ちに思うところもあったかもしれない。


「でも、ひとつだけ俺も想像していなかったことを彼女は言った。あの人は本当に人魂が出たと思っていた。真実のほうこそ捏造に違いない、と」

「え……」

「ただの噂、されど噂ということだね。龍も全員が見られたわけじゃないし」


 そう言いながら、静傑は窓の外を見た。


「……馬鹿げた話ですね」

「本当にな。第三皇子……光傑兄上と俺が仲違いなんてするはずがないのに。何が母君に真実を伝えようとしていた、だよ。冗談でもそんなこと言うなっての。ほんと、馬鹿げてる」


 それは石榴に対する呟きであったのか、それとも後宮全体に対する不満であるのか。その答えを烑香が知る由もない。

 ただ、静傑がはっきりと後宮が嫌いだということだけは伝わる。加えて、このような噂を流される状況があるということは、人魂を作り出した犯人の手掛かりが未だ掴めていないのだろう。


「放っておいてくれれば俺は去るのに。まあ、去る前に、せめて変な噂は片付けておかないと光傑兄上にも、後を継ぐ俊傑にも申し訳が立たないから『掃除』を済ませて置きたいけど」

「あら、儀式以外にも婚約が遅れる理由があったのですね」

「あるよ。むしろこっちが主たる理由。無茶苦茶な立場だけ押し付けるつもりはないって。……事前に話したら、烑香もこんな後宮での生活に不安があるかなと思って黙ってたんだけど……悪かった」


 徐々に肩を落とした静傑は、烑香を自分の問題に巻き込むつもりはなかったのだろう。

 ただ、烑香には謝られる理由がよくわからない。


「別に気にしてませんけど」

「……麗藍もだいぶ扱いにくかっただろう」


 それを皇族以外で肯定できる者がいるのであれば会ってみたいと烑香は思う。

 無茶ぶりが多いし、言葉は足りない。

 ただ悪い人間でないことはわかっていたので、嫌だと感じたことはない。

 それを失礼がないように伝えようと烑香が短い思考に入った時、静傑が長い溜息を吐いた。


「……麗藍の言い分としては、烑香が自衛できるかどうかを見極めたかったらしい。あの場所で騙されないか、と」

「なるほど、ところどころ違和感があったのですが……そういうことだったのですね」


 謎が解けた、と烑香は思った。

 麗藍がもつ人脈をすべて稼働させれば、手数を減らして石榴を捕える事ができていたはずだ。

 だが、とにかく烑香を関わらせようとしていた。その理由がわかって、烑香は少しすっきりとした。


「謝らないでくださいませ。後宮での生活は私を心配してくださったゆえの配慮なのですから。それに、実家にいるときより安全なので安眠できます」

「だが」

「冗談でも遠慮でもありませんよ。むしろ私は貴方様が存外過保護なのだと驚いております」


 いつもの崩した調子ではない逆接の言葉に烑香は小さく笑った。本当にこの人はお人好しだ、と。


「それでも申し訳ないと思うのであれば、早くいろいろな問題を片付けて婿に来てくださいませ。私は早く旅に出たいです」

「なかなか悪党のような台詞だね」

「実情を知ってる当事者ですから構わないでしょう。貴方様も早く終わるなら私のことも使ってくださいよ」

「きみも大概お人好しだな」

「どこがです」

「本当にわからないわけじゃないだろう? 龍を用意してくれたのは烑香とこの店なんだから」

「……御蔭様で今回の件で私の懐は温かくなりますが、貴方様が融通を効かせてくださらないと売り込む力が足りませんので、万全の状態で引き続き協力を得たいと考えている私がお人好しですか?」

「しっかり者のお人好しっていうのは成立すると思うよ」


 肩を竦めた静傑の表情は変わらなかった。

 それを見て烑香も苦笑した。


(まぁ、私もさすがにこの状況で放っておくほど非人道的ではないわね)


 けれど、それを優しさだと言われるとむず痒いし落ち着かない。

 しかしそんなことを口にできるほど烑香は素直ではなかったし、問を重ねるほど静傑もしつこくはなかった。だから互いの考えの奥底まではわからなかったが、問われた時点で自分の真意などなんとなく気付かれてしまっているのだろうなと烑香は心の中で溜息を吐いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ