第二話 不誠実者の巣窟(九)
「麗、藍……殿……下……?」
「あら、そう呼んでくれるのね? 先ほどまでは皇女様皇女様と他人行儀に言っていたのに」
堂々としている麗藍が現れたことで、烑香は役目が終わったと肩の荷を下ろした。
ただ、石榴はまだ麗藍の登場を信じ切れていないようにも見えた。
(皇女がこんな場所にいるわけがない、と思っているのよね)
しかしそのようなことを言うのであれば、まんま彼女は同じことを問われるだろう。
ただし理由を問われれば対立的だ。不敬と究明。しかも石榴は宮女姿。どちらの立場が悪くなるかは、火を見るより明らかだった。
だからだろう。石榴は明らかに狼狽えていた。
「い、いえ。私が妃だなん、て……」
「今更それを否定するの? でも、あなたを拘束している間に石榴妃が現れるなら、違うのかもしれないわね」
無茶な返答を始めた石榴に麗藍がたたみ掛けた。
「噂の発信源はあなたでしょう。昨日、楽しそうに見ていたじゃない。お兄様と私の侍女が、一瞬すれ違った程度のことを」
「そ、んなこと……」
「あら、覚えがないかしら? 私、昨日烑香と一緒に貴女を見ているのよ。直々に貴女にお菓子を届ける途中にね」
その言葉に石榴は一瞬虚を突かれたようだったが、急激に顔を赤くした。
どうやら既に疑われていたという状況を理解したらしい。
「あなたがにできることを私ができないと思っているの? さて、一緒に来てもらいましょうか。烑香、彼女が逃げないように拘束してくれるかしら?」
「はい」
正しい拘束の方法は知らないが、ここで返事をしないわけにもいかない。
とりあえず書物で呼んだことのある知識をひっぱりだしながら後ろ手になるように抑えた。抵抗はされたが、烑香の想像以上に石榴は力が弱いようで、逃がしてしまいそうになることはなかった。
悔しそうに小さい息を吐いた石榴は、しかし次の瞬間目を見開いた。
「烑香、といった? まさか、貴女……」
その言葉の続きは聞こえなかったが、おそらく今、気が付いたのだろう。
それでも信じられないという様子であったので、変装自体が見破られたわけではないようだった。だから烑香は何も答えない。その代わり、干していない洗濯物を猿轡のように石榴の口に結んだ。
「皇女殿下の御前です。無駄口は許されません」
烑香自身になら何を言われても構わないが、銀髪を理由に場を荒らすことを許すわけにはいかない。そんな思いからの行動だが、案外うまくできたなと烑香は自分を少しだけ褒めてしまった。
その後の対処は麗藍の侍女たちが手配してくれていたらしく、石榴を宦官に引き渡すことができたため、烑香はひとまず持ってきた洗濯物を干し切ってから玻璃宮へ戻った。
洗濯物は人に任せていいのよと侍女からは言われたが、ただでさえも混乱しているだろう状況下で当事者から籠を渡すことは憚られた。相手も混乱するかもしれないという思いからの決断だ。
麗藍からは「律儀なのね」と言われたが、止められることはなかった。
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玻璃宮に戻った後、烑香は「午後と明日、自由にしていいわよ」という麗藍の一声のもと、一日半の有休を、烑香はのびのびと満喫することにした。
麗藍のいう自由は後宮から外出しても構わないというくらいの話であった。そこまで自由にしてよいのかと驚いたが、烑香は遠慮なく菊水の店に向かうことにした。
「あら、久しぶりじゃないか」
「こんにちは」
「この間の兄さん、思った以上の御方だったんだね。驚いたよ、ずいぶん美味しい収入になってくれたよ」
どうやら菊水は静傑の身分を把握したらしいが、金づる程度にしか思わなかったらしい。この肝っ玉のよさがあったからこそ烑香もこの場所に通うことができているので、ありがたいことこの上ない。
「で、今日はどうするんだい? あの兄さんももうすぐ来るけど、双六でもやっていくかい?」
「え、あの方、いらっしゃるんですか?」
「あら、知らなかったのかい?」
不思議そうに言われ、烑香は素直に頷いた。
忙しいだろうに、ここに来る時間はあるというのか。それとも、何か物品を取りにくるのだろうか。
「私はちょっと弾きたくて来ただけだから奥に籠るよ。あ、収入の分け前、用意してもらえたらもって帰りたい」
「わかってるよ、今から用意する。持って帰っておくれ」
そう会話を交わしたあと、烑香は借りている部屋に向かった。
そこで弓に松脂を塗り準備をしていると、部屋に近づいてくる足音に気が付いた。
なので、自分から部屋の扉を開けた。
「うわっ」
「二日ぶりですね」
肩を震わせた静傑に烑香はにやりと笑った。