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第二話 不誠実者の巣窟(八)

 翌日。

 朝から暇をもらったことになっている烑香は、変装することに勤しんでいた。

 いつもより少し焦げ茶がかった鬘に、不健康そうに見えるように目元にくまに見えるような化粧を施す。顔の角度を変えれば、地味な宮女に見えるだろう。


「これで洗濯籠を持っていけばだいたい大丈夫よね」


 外に出る直前にも内部から確認したが、幸い玻璃宮の付近からは息遣いが聞こえることもない。


(やっぱり、完全な無警戒だとは思わないけれど、一挙一動まで注目されてはいなくて助かる)


 皇帝と繋がれる可能性がある皇女を気に留めないわけにはいかない。が、本来陥れる必要がない相手だ。皇位継承の権利がある静傑とは違い妃たちが将来皇子を生んだとしても、邪魔になることもない。


(皇帝候補を蹴落としたいからこそ、静傑様に瑕疵がなかろうと悪い噂を立てる。気分が悪い行動ね)


 心情的に賛同できずとも、石榴の行動原理が把握できないわけではない。

 けれど、理解できないこともある。

 なぜ石榴が麗藍を陥れるような噂を流すのか理解ができない。『銀の妖』などと言えば、麗藍の評価も下がることに直結するだろう。


(皇女は敵でなくとも、義理立てする必要がないと考えている? でも、むやみやたらに敵を増やすことは得策ではないはず。暇つぶしや八つ当たりで皇女を陥れるなんて、しないでしょうし……)


 本当にわからない。

 そんな思いも抱えながら、烑香は洗濯場へと向かった。

 

 今日の烑香の目的は石榴探しだ。

 石榴が現れる場所が洗濯場とは限らない。けれど現状、彼女自身が動いているのであればこの場所は好都合ではないかと烑香は考えた。 


(何せ、作業をしながら話をするのにうってつけなのよね)


 彼女が調理もできるのであれば調理場もあり得るかもしれないが、それなりの身分で後宮入りできる令嬢が調理技術を会得する機会があるとは思わない。洗濯の経験もないだろうが、洗濯場であれば洗う以外にも運ぶという作業もできるし、調理場より広い野外であるので、何もせずにいたとしても、調理場より目立ちにくい。加えて職務上動ける範囲も広い。


(人が多いだけあって、色んな音が聞こえすぎるけれど……だいたい人の声は把握できる)


 洗濯場の様子は顔見知り同士が話している状況だが、ほとんどの者が互いに一定の距離を保っている。皆、基本的には真面目に仕事をしていた。

 ただしあくまで基本的には、だ。

 噂話をすれば手を止めそうな、そんな宮女の姿もある。


(さて、私も仕事をもらいましょうか)


 だいたいの仕事内容は周囲の様子を見ていれば把握できる。もとより自分の洗濯物は自分で洗っていたこともあり、烑香には仕事に対する不安がない。この場にはそれなりの人数がいることもあり、烑香が混ざっても不審がられることはない。

 唯一の心配は、石榴が来ないということだけだ。


(まあ、今日来るとは限らないし。今日がダメなら、明日も来てみればいい)


 だが、烑香の心配は杞憂であった。

 一刻が経過した頃、烑香の耳に待っていた声が届いた。


(来たのね、石榴妃)


 烑香はある程度洗濯物をまとめていた籠を手に、彼女の近くに移動した。

 おそらく石榴は長居はしないはずだ。さすがに妃が長く留守にすることは難しいだろう。


(まぁ、洗濯場に来ること自体が異例だし、確実だとは言えないけれど)


 できれば短時間で行動を起こしてほしい。

 そう思った烑香は自身の喉元を少し触り、小さく声を確認したあと石榴に近付いた。

 早い解決を望むのであれば相手の動きに任せるより、自身が誘うほうが早いはずだ。


「あの、すみません」

「あら、どうしたの?」

「この洗い終えたものを干すよう指示を受けたのですが、干場までの道がまだよくわからなくて……」

「広いものね、仕方がないわ」


 烑香は自分の声を変え、新人であるように装い話しかけた。

 石榴はそれに驚くことなく、慣れた様子で烑香に笑いかけた。


(……思った以上にここに入り浸っておられるのね)


 だが、自信があったとはいえ烑香だと気付かれなかったことは好都合だった。 

 化粧や声を変えてはいるが、どこまで通用するのかは相手次第であったのだから。


「大丈夫よ、新入りさん。一緒に行ってあげる」


 そう言った石榴は近くにいるほかの宮女に話しかけ、案内がてら自分が行くと洗濯物を受け取った。


(本当に紛れることに慣れてるわね)


 そんなことを思いながら、烑香は深々と頭を下げて礼を伝えた。

 道中、石榴は楽しそうに烑香に話し掛けた。

 「緊張しているの? いつから働いているの?」から始まり、「出身は?」「困っていることはない?」など、一般的だと思われる問いかけが続く。親切な先輩という雰囲気が伝わり、新人ならばその優しい声に思わず慕ってしまうのだろうとも思う。

 一応新人宮女を演じている烑香は控えめながらそれらしい返答をしつつ感謝を伝えると、石榴は笑みを深くした。


(……でも、こうして仲良くなっても石榴妃は自分の名を告げていないのよね。逆にこちらの名前も聞かれないから、不自然だとまでは思わないけれど)


 名乗るのを忘れていたと言われればそれまでだ。そもそも特別な意図があるわけでなければ、二人で話す分には相手の名前など必要がない。固有名詞がなくとも、「あなた」で片付く。

 だが、心細いだろう新人ならば親切な相手を信じることは自然だろう。

 そのまま雑談を続けつつ洗濯物を干していると、石榴は「そういえば」と切り出した。


「ここで働くなら気を付けたほうがいいことがあるわ。来たばかりなら知っていないと思うけれど、最近聞くようになった噂なの」

「噂、ですか?」

「ええ。最近、皇女様のところに銀髪の妖が出入りしているんですって」


 まるで恐ろしい噂でしょうと言わんばかりの表情に内心『いや失礼でしょ』と思いつつも「妖、ですか……?」と烑香は少し怯えたように振る舞った。

 すると石榴が「そうそう!」と何度も頷く。


「どうやって皇女様に取り入ったのかはわからないんだけど、噂では静傑殿下が手引きなさったとか。殿下は呪詛でも行うつもりなのかしら」

「それは、静傑殿下が危険なお考えをお持ちだということでしょうか……?」

「噂通りだと、そういうことになるわね。実際、昨日も密談している場が見られたようよ」


 その話に烑香は思わず吹き出しそうになったのをぐっと堪えた。

 あの状況を何人もが見ていたのに、密談とは。それでも本当に危ないと言いたげな様子だ。

 烑香は呆れを表情に出さないよう配慮しつつ、周囲の音に耳を傾けた。


(石榴妃はとても噂を撒くことに慣れておられるわね。この話もずいぶん周囲が聞き耳を立てている)


 石榴は新人に噂を広めようとしているのではない。

 新人に親切と称してそれらしく話すことで周囲が”噂”を知り、広げようとしている。


(ここで聞いている人たちは嘘でも本当でも関係ない。娯楽の少ない者の間では簡単に広がるだろうし)


 もしかすると石榴も話すのに都合のいい相手がいたことを幸運に感じているかもしれない。

 だが運がよかったのは自分のほうだった、と烑香は笑みを零した。


「教えてくれて、ありがとうございます」

「いいのよ、だって、私たちにとっても大事なことだもの」

「けれどその噂って、誰が出所なんでしょう?」

「え?」

「皇族の方々を噂するという、恐れ多いことをなさる方がいるなんて……。私はちょっと、近づきたくないです。怖いです」


 そう真面目な様子で烑香が尋ねると、石榴は小さく笑った。


「噂の出所なんて気にしても仕方がないじゃない。それに、大事なのはその内容よ」

「ならば、皇女様にお伝えしに行かねばいけないのでは」

「え⁉ 私たちが皇女様にお伝えできるわけないじゃない! 顔を合わせたいなんて不敬になるもの!」


 何を言い出すのと言わんばかりの勢いで石榴はいうが、あくまで烑香は世間知らずでけなげな宮女を続けた。


「皇女様の危機に繋がる事柄でも伝えてはいけないのですか……!?」

「貴女には常識がないの!?」

「せめてお話させていただけるかどうか、どなたかに伝言でもお伝えいただけるか、手を尽くさなくて良いと仰るのですか!?」


 周囲からはかかわりたくない、けれどこれはこれで面白い状況だといった様子で聞き耳を立てられている。

 この状況に焦るのは石榴だ。噂を撒きたかっただけのはずが、周囲の注目は噂そのものではなく、むしろ『噂を伝えに皇女のもとへ行くか否か』ということにすり替わってしまった。それゆえに、本来注目されるはずではなかった石榴の姿そのものが注目されてしまっている。

 狼狽える彼女の様子に烑香はほっとした。

 どうやら彼女はそこまで肝が据わっているわけでもなければ、想定外の事態への対応も得意ではないらしい。


(まぁ、でも私の役目はここまでかな)


 烑香はそこで周囲を見回した。誰一人として目を合わせないようにしているのを面白く感じながらも、目的の相手を見つけたので深々と頭を下げた。


「突然どうしたの、よ……」

「ずいぶんと面白い話をしていたようね、石榴妃?」


 中途半端に石榴の声が途切れたのは、いると思っていなかった相手がいたからだろう。


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