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第二話 不誠実者の巣窟(七)

 そして麗藍の命を受け、本来の職務である器楽の師を務め始めてから数日が経過した。

 麗藍の実力は相当のもので、本当に師が必要なのかという疑問を持ったのだが、それに対して麗藍はいつも通りの無表情で「貴女がそれを言うのは嫌味になるわ」と言っていたので、解任される心配は今のところなさそうだ。


(お母様から習った時のことを思い出しながらお伝えしているけれど、けっこう合ってるみたいでよかった)


 そして同時に母が偉大だったと思う。

 しょせん自分は真似をしているだけだ。劣化版といっても過言ではない。

 もしかしたら母も誰かの真似をしていたのかもしれないが、烑香にはそう思えなかった。真似で終わるような人であれば、新たな楽器を作ろうとはしていないはずだ。


(二蝶も弾きたいのだけれど……)


 静傑の前では演奏したが、未だ完成しているとは言い切れない楽器ということもあり、麗藍の前では演未だ奏していない。二蝶自体を弾いていないわけではない。胴に張っている蛇皮と弦の間に木片を差し込み、大きな音が出せないようにして練習や改良の模索も続けているのだが、本来の音を鳴らさなければわからないことが多い。


(まあ、弾くためにはまず麗藍様の前で弾くしかないんだけれど……今はそれに抵抗があるのよね)


 麗藍に聞かせたくないというわけではない。

 けれど、聞き慣れない音を響かせることによって周囲から注目を集めることは本意ではない。何せ、既に『皇女の器楽の師は妃を断罪した』という、烑香の意図とは異なる噂が立ってしまっている。幸いまだ容姿まで伝わっていない様子だが、知らない楽器の音を周囲が聞けば、次にどのような噂が立つかわからない。


(……玻璃宮の中だけに音が響けばいいのに。建物の構造条件もよくわからないし、どこまで響くかは、弾いてみないとわからないけれど……もう少し先にしたほうがよさそうね)


 ただ、いつまでも気にしなければいけないものでもないはずだ。

 麗藍いわく妃の入れ替えの噂など、すぐに消えて行くものらしい。頻繁に起こるわけではないが、珍しいことではない。足の引っ張り合いをし、負けて行く者は必ずいる。


(ひとまず石榴妃のことがひと段落するまでは、我慢せざるを得ないわね)


 自室でそんなことを考えていると、麗藍がやってきた。


「休んでいるところ悪いけれど、今、いいかしら?」

「はい。どうなさいましたか?」

「今から静傑お兄様と偶然すれ違うわ。その時に少し適当な話をしてほしいの。場所は、ここ」


 机に図面を広げ指し示された場所は、先日烑香が目撃を伝えた所からほど近い。

 人通りは微妙に少なく目立ちはしないが、まったく人目につかないというほどの場所でもない。


(というより、ここまで決まっていても偶然ってあえて仰るんだ)


 素直に約束しているからと言えばいいのにという思いを、烑香はぐっと堪えた。

 余計なことは言わないに限る。


「今日の私は貴女に付き従う宮女として荷物持ちをするわ。まあ、荷物と言ってもお菓子しか入れていないから軽いけれど」

「それは変装の一環ですか」

「ええ。だから遠慮はしないでね」

「わかりました。すぐに出られます」


 皇女を宮女のように扱うなんてとんでもないことだが、徐々に予想外のことを提示されても烑香は驚かなくなってきた。慣れと言うのは、怖い。


(まあ、それを含めてあれこれ考えても仕方がない。ゆっくりしていると静傑様を待たせることになるかもしれないし。このタイミングだと石榴妃に関する何かがあるということだろうし)


 だからすぐに出発するしかない。

 麗藍を供として扱うため、不要な会話は必要がない。だから道中はただただ歩くだけだ。

 幸いにも麗藍に注目する者はおらず、皇女だとは思われていない。変に後をつけられている様子もないまま、目的地に到着した。


 そこは人通りがある程度少ない場所ではあった。

 それでも人目がないわけではないので、足を止めて終えば目立ちはするだろう。そう思いながら周囲の音を探りつつ、烑香は歩く速度を少しだけ落とした。


(……いた。あっちね)


 静傑の足音を見つけた烑香は、そちらに歩みを進めた。

 するとすれ違う者を振り向かせたり、足を止めさせたり、溜息を零させたりする静傑が正面から向かって来ているのを発見した。

 静傑も供は一人連れていた。きっと彼の協力者なのだろうと思った。


「やあ、烑香」

「ごきげんよう、静傑殿下」

「仕事は順調かい?」

「はい。大変よくしていただいています」


 表面的な静傑の会話に当たり障りなく回答しながら、烑香は周囲の声にも耳を傾けた。


『静傑殿下がお話なさっている方はどなた?』

『珍しい、侍女にお声を掛けられることなんてほとんどないのに』

『見かけないお顔ね』


 そんなこそこそとした声が響く中、烑香は覚えのある声を拾った。


『あれは……麗藍殿下のところの侍女ではないかしら』


 その声を、烑香は探していた。


(……やっぱり、いた)


 ようやく見つけた声を辿ると、そこには宮女姿の石榴がいた。

 距離はあるが、日に焼けたような顔色に化粧しているようで、以前見た白さは感じられない。髪型が違うのは、おそらく鬘なのだろう。

 そして石榴は偶然近くにいただけだろう宮女に『そういえば、新しい侍女は銀の妖との噂があありましたよね?』などと口にしている。それに対し、話し掛けられた宮女が『銀の妖?』と不思議そうに聞き返している。噂というには、まだ定着していないようだ。


(そもそも今は黒の鬘を被っているから銀の要素がわからないはず。ということは、もう身元を調べたということかしら。そもそも会ったことのない宮女が皇女の新入り侍女の顔を覚えているとは思わないし)


 ただ、烑香と静傑が話していること自体には、本当に驚いていた。


(足音からして、静傑様を尾行していたのかしら)


 だが、それが彼女にとっては好都合だったのだろう。


『何か怪しい術でも使うのかしら?』

『ほら、妃を追い出したっていうのも……』

『ええ。じゃあ、なんで静傑様はそんな妖と仲が良さげなの?』

『それは……ねえ? 想像できてしまわない?』


 一緒に話している宮女に、そして周囲に聞こえるように、石榴は言っていた。


(……静傑様や麗藍様に聞こえる音量ではないけれど、嫌な雰囲気は感じられているはず。けれど、何も驚かれた様子はない)


 ならば二人とも、静傑が尾行され、何かしらの噂を流そうとされている状況を掴んでいたのだろうか。

 少し声を落とせば、あちらに声が届くことはない。

 そう思いながら、烑香は小さく告げた。


「いますよ。私から見て丑の方角です。髪は高い位置で一つ結っています」


 そう烑香が口にした時、静傑の連れが巻物をやや後方に落とした。


「どうした、大丈夫か」


 そう言いながら、静傑もその姿を確認した様子だった。

 同時に、麗藍が口を開いた。


「烑香様」


 その言葉は撤退の合図だと烑香は理解した。


「では、静傑殿下。御前を失礼させていただきます」

「ああ。姉上によろしく伝えてくれ」


 そうして静傑の横を烑香は通り過ぎた。

 しかし少し進んだところで「烑香」と短く静傑から呼び止められた。


「いかがなさいましたか?」

「無理はせぬように」

「……恐縮に存じます」


 このやり取りは石榴にさらなる餌を与えているのだろうか。

 内容は聞こえていないかもしれないが、呼び止めれば親密に見えることだろう。

 だが、静傑の言葉自体は本心で、かつ少しの申し訳なさと心配が混じっている。多少は何かしらの騒動に巻き込まれる可能性は想定していても、事態がこうも大きくなるとは思っていなかったということだろうか。


(でも、金切声で耳が痛くなるようなことも今のところはないし、楽器が壊される心配もないし、ご飯も美味しいし)


 全然無問題ですという表情で返せば、静傑は少しだけ肩の力を抜いたようだった。

 相変わらず気遣いの人だと、烑香は少しだけ呆れた。


「静傑様もご自愛くださいませ」


 そう一言告げてから、烑香は再度歩みを進めた。

 石榴は追加のやりとりに満足したのか静傑の後を追うことはやめたようで、その場で宮女と話を続けている。「貴女も面白い噂話を何か知らない?」と言い、井戸端会議を始めようとしているのは、ほかの情報も手に入れたいゆえだろう。


(面白い話、ねぇ。もう少し何の話をしているのか聞きたい気もするけれど、欲張りすぎは全部を失うだろうし、仕方ないわね)


 そんなことを考えながら烑香は、小さな声で麗藍に告げた。

 彼女がここに留まるなら好都合だ。


「……石榴妃の宮へ寄ります。お菓子を届けますので」


 いなかったという事実を、念のため麗藍の目で確実に見てもらっておきたい。

 烑香の声に麗藍は静かな声で告げた。


「上手な種蒔きをありがとう」


 それは決して目上の者に対して言う言葉ではなく、完璧な変装に似合わぬ、人に聞かれていたら一発で失言になるものだ。けれどほとんど吐息のような声であることや、周囲の距離感からはまず他人に聞こえることはないだろう。

 それでも警戒から烑香は返事をせず、黙って歩みを進めた。


(妃の宮に行くなんて緊張するけれど、芽が小さいうちに摘み取れるなら、ここで頑張るしかないわね)


 明日以降、近いうちに撒くだろう噂を回収する。

 面倒事は嫌いだが、本当の面倒になる前に仕事をきっちり終わらせたい。今後平穏に過ごすためには懸念を極力排除しなければならないことだ。

 そう思いながら烑香は歩みを進めつつ長い息を吐いた。


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